第2話 猛特訓
半グレにノミが殴られる小一時間ほど前。
「これがフルダイブ装置か?」
自宅の寝室で
耳に装着するアクセサリで小指の爪よりも小さな金色のリングだ。
「なるべく小型のほうが邪魔にならぬと思うての」
彼は耳に付けようとするが上手くいかない。
苦労する姿を見かねたノミはイヤーカフを受け取ると代わりに付けてあげる。
「主殿はこのような小物はつけぬのか?」
「アクセサリなんて一つも持ってないし、そもそも女性からプレゼントされたのも初めてだ」
彼の身長は百七十、ノミは百五十くらいでキスをするのに丁度よい身長差。美少女に耳を触られて少し頬を赤らめている。
「やめぃ! 中年男が頬を染めても気味が悪いだけじゃ。しかしわからんのう、見た目は普通なのじゃから異性との交際ぐらい問題なかろう?」
「どうも俺はカタブツらしくてね、気が休まらないらしいんだよ、俺と一緒にいると」
「今まで気難しい爺様がそばにおったからのう、ワシはさほど気にならんが」
「それは慰めの言葉か? 同情か? 老人と比較されても心の傷が広がるだけだぞ」
「おいおい、爺様たちは結婚して子孫を残したぞ、一緒にするでないこの社会不適合者が」
「ご先祖様すみません、あなたの子孫は結婚できそうにありません」と言いながら空に向かって合掌する。
「安心せいワシが婿にもらってやるわ」
「黙れ高級ラブドール! で、どうやってこの装置は使うんだ?」
「稼働させると体から力が抜けるからの。まずはベッドに寝るのじゃ」
久崎はベッドへ上がり仰向けになる。
「うむうむ。では起動のための合言葉『ノミ、こっちに来いよ。忘れられない夜にしてやるぜ』と優しく囁くのじゃ」
ノミは久崎の声真似をして冗談を言う。
「かみさま~こいつポンコツだわ~、返品するんで取りに来てくれませんかね~」
「わ~~~冗談じゃ!」と言いながら腕をブンブンと振っている。
「返品が嫌なら本当の起動方法を教えろよな」
「冗談もつうじんとはカタブツだのぅ。普段使わない言葉なら何でも良い、主殿が決めるのじゃ」
「ふむ……。なら『ディープダイブ』でいい」
ノミは人差し指で優しくイヤーカフに触れる。
「了解、設定したぞい」
久崎はささやくように、
「ディープダイブ」と唱えると、体の力が抜け自然と
「鏡で見慣れているとはいえ、生身の体が目の前にあると気持ちが悪いもんだな」と、ノミの体を操作している久崎がノミの声で喋っている。
『ワシの声は聞こえておるかの?』
脳の中に直接ノミの声が響いてくる。
「うわっ! 驚かせるなよ」
『喋らずとも考えておることはワシに伝わるからの』
『
こんどは脳の中で久崎の声が響いていた。
『ハッハッハ、超能力者ごっこか? 主殿は子供じゃのう』
『うるさいっ!』
久崎は軽く体を動かし動作に支障がないことを確認する。
「じゃ、そろそろ半グレ退治に行きますか」
△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼
コンビニ前の駐車場。ノミが顔を押さえながらのたうち回っている。
半グレたちはノミを指さし大笑いしている。
生まれて初めて人に殴られた。それも固く握りしめた拳を手加減なしに叩きこまれたのだ。
鼻を中心に痛みがじわりと広がると次第に熱をおび焼けるような感覚に襲われる。
普通の女性ならば鼻骨が折れ鼻血が止まらないだろう、しかしアンドロイドのボディなので怪我などはしていない。
『痛い! 痛い!! 痛い!!! 痛い!!!!』
怪我の痛みではなく衝撃から計算された疑似的な痛覚情報だ。
『やかましいのぅ、殴られたのじゃから仕方あるまい』
『殴られた? 俺が? なぜ? 誰に? どうして?』
どうやら軽いパニック状態のようで自分がなぜここにいるのかも理解できないようだ。
『ふむ、痛覚機能を停止するぞ』
先ほどまでの激痛が嘘のように消え去る。
『痛みが……消え、た? あのクソ野郎、信じられん! いきなり殴るか~普通~』
『いやいや~あれだけ不遜な態度をとれば誰でも怒るじゃろうが』
『くっ、まあいい、もう不意打ちは効かないさ』
「おっ? 立ち上がるとは根性あるなガキぃ~」
半グレはゆっくり歩み寄ると大振りの右ストレートを繰り出す。
見え見えの攻撃モーション、しかし大きな拳はノミの顔を的確に捕らえ体重の乗った一撃を炸裂させたのだった。
小柄のノミはさらに後ろへ吹き飛ばされてしまう。
『なぜだ! このボディは成人男性の3倍のスペックにしたハズだよな?!』
『なぜって、目をつむってしまえば避けられぬのも当然じゃろ』
まるで同じVTRを再生するかのように、立ち上がり殴られるパターンが2度ほど続いた。
「大口ほざいた割には無様だなぁ。女だから殴られないと高ぁ括ってただろ。デカい態度はネットだけにしとくんだな」
幾度も、幾度も、アスファルトの上に転がされ、服は擦り切れ汚れが目立ち始める。
『主殿、喧嘩をした経験は?』
『ない』
『はぁ……呆れてものが言えぬわ。いくら高性能の体でも操る者がヘタレでは真価は発揮できぬわい。ワシが代ろうかの?』
『いけるのか?』
『ネットで格闘技の動画を見たからの、任せい』
『通信教育かよ、いいぜやってみろよ』
「俺様は優しい男だから弱い者いじめが嫌いなんだよ、この一発で許してやるから消えてくんない?」
フィニッシュを決めに来る半グレ。おおきく振りかぶり全体重を乗せた拳を撃ち出す。しかしノミはハエでも落とすかのように迫りくる拳をペシリとはたいた。
軌道が逸れた拳はノミの顔面スレスレを通り過ぎる。
「は?」
半グレは目を丸くしてノミを凝視。きっかり3秒は停止していた。
ふと我に返り、ブンブンと拳を2回くり出すがノミにかわされ虚しく空を割いた。そこでマグレでないことを悟ったのか額に青筋が浮かび上がる。
「あ”ぁ”~ん! 本気を出せば余裕デスヨ~ってことかぁ~? まさか、今まで殴られたのは正当防衛を主張するためってかぁ? いいぜ~逆襲してみよろよ糞ガキ!!」
今までの大振りのパンチではない、脇を閉めボクサーのようにジャブで牽制し始めた。
だが早く鋭い攻撃もノミには一切通じなかった。
『ひっ、ひぐっ、うぐっ』
恐怖で目をつむるのは動物的本能。しかし体の制御をノミに渡してしまったので久崎は
幾重にも迫りくる拳が紙一重の距離を通過する瞬間を無理やり見せられているのだ。
『ひっ、ひっ、ひぃぃっ!!』
耳のわずか数センチの距離を拳が通過するたびにボフッボフッと恐ろしい音が聞こえてくる。
『うわっ、あうっ!』
『あ~やかましいのぅ、暫く辛抱してくれぬか』
『無理! 無理ぃぃ! 助けてっ!!』
『仕方ないのぅ』
ノミは攻撃のスキをつき懐へ飛び込むと肘を半グレのみぞおちに深々とめり込ませた。
「カハッ!!」
体がくの字に曲がり顎が上がると無防備に露出した咽喉へ手刀を叩き込む。
呼吸ができず声すらあげることのできなくなった半グレは冷たいアスファルトの上に膝をつき苦悶の表情を浮かべている。
『ノミ、交代だ』
「これに懲りたらコンビニ前で集まるのはやめることだ。さあお嬢さん、もう安心――」
OLはいつのまにか逃げたようでどこにもいなかった。
『間の抜けた主殿じゃ』
『うっさい!』
『帰ったら喧嘩の特訓じゃな』
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結論、喧嘩の特訓は失敗に終わった。
深層心理に刻まれた拳への恐怖は簡単には拭い去れなかった。
数日間、VR空間での模擬戦。睡眠学習による体術の教育などなど、あらゆる手を尽くしたが無駄だった。
「おいノミ! おまえは何でも作れるんじゃなかったのか」
自宅のリビングで久崎は腕組みをしながらノミを睨んでいた。
「無制限なわけあるまいよ。人類に作れる物だけじゃ」
「その体、人類が作れるとは到底思えないが?」
「現代の技術では無理じゃのう」
「未来? ……ならタイムマシンを作ってくれ。トラウマが刻まれる前の俺を特訓すれば問題解決じゃないか」
「おそらく主殿の思い描いておるタイムマシンは無理じゃのぅ」
「どういうことだ」
「未来への片道切符なら可能じゃが戻ってはこれぬよ。どう足掻いても過去へは戻れぬ」
久崎は納得いかない顔をしている。
「仮にじゃ、過去へ移動できたとしてそこは質量のある世界じゃろ。無論、地球だけではない、この宇宙そのものの質量が存在することになる。それが世界誕生から現在まで1秒間隔で存在したとするならば、どれだけの質量になると思う?」
「ホラ、それはアレだよアレ、並行世界にあるんじゃないか?」
「仮に過去の並行世界へ行けたとして、そこで改変した情報が寸分の狂いも遅延もなく連続した全ての並行世界へ伝播するとなると、さて、どれだけの時間とエネルギーが必要になるじゃろうのぅ。さらに――」
「わかった、わ~かったよ、技術的な問題はノミに任せる。もう俺は口出ししないよ」
「うむ。物作りはワシに任せておけば良い。で、特訓は続けるのかね」
「もう格闘はしない。俺はバトル漫画の主人公じゃないからな、困難を乗り越えて成長するなんて面倒なことはしない」
「挫折、特訓、成長、お決まりの熱い展開は大好物じゃろ?」
「それは主人公が少年だから許されるんだよ。可能性の輝きに心を奪われ、自分も成長できるかもしれない、とか、努力すれば成長できたかもしれない、なんて夢が見れるのさ。そんなの中年男がやってもむさ苦しいだけだ」
「諦める、と?」
「身の程を知り分をわきまえる。社会人の常識だ。無理をして失敗すると周囲に迷惑をかけるからな」
「努力したくないと聞こえるのじゃが」
「費用対効果が低ければ投資をしない、あたりまえのことだよ。採算度外視のチャレンジが許されるのは扶養家族だけだ」
「夢のない男じゃなぁ」
「堅実主義と言ってくれ」
「それでは神に尻尾を振るのはやめるのじゃな」
「いや手段を変更するだけだ。慈善活動は継続する」
「諦めが良いのか悪いのか……。それで、次は何をする気じゃ?」
「スニーキングミッションだ!」
「スニーキング? 検索してみるかのう」
ノミは体に内蔵している無線通信を使いネット検索する。
「なるほど、コソコソ動けば良いのじゃな、卑怯者の主殿にはうってつけじゃ」
「聞き捨てならないな、俺が卑怯者?」
「乙女の影に隠れて力を振るうておるのじゃ、
「オマエは中性だろうが!」
「いやいやぁ~精神は関係ないのじゃよ、見た目的に可憐な乙女を戦わせ背後から命令する男なんぞロクでもないわ」
「背後じゃないぞ、ちゃんと中に入って操作してるだろ」
「まさに狼の皮をかぶった兎じゃな。まあ良い、ワシは優秀な着ぐるみを演じるとするわい」
「釈然としないが行動をもって汚名返上してみせよう。ノミ、街灯カメラのハッキングは可能か?」
「無論」
「泥棒は押し入る家を下見すると聞いたことがある。怪しいヤツがいないか監視してくれ」
「なるほど泥棒退治か。じゃが、それこそ警察に任せるべきじゃろ」
久崎は片唇を上げ無言で首を振る。
「凶悪犯罪の検挙率は世界に誇れる成績だが、被害額が安いと何もしないのが日本の警察なんだよ。守るべきは富裕層の財産であって貧乏人のカスみたいな貯金なんて気にもとめてない」
「まさか、そんなことはあるまいよ」
「アメリカなんて軽犯罪者は捕まえないと公言したんだぞ。数百円盗んだ泥棒を捕まえるのに時給数千円の警官が捕まえるのはコストパフォーマンスが悪い。理にかなった法律だ。日本も同じことをしているが、違いは公言しているか否かだ。日本人は高い検挙率の警察神話を信じているから軽犯罪をやらないだけなんだよ」
「嘘じゃろ……」
「だから俺が警察の手助けをしてやるんだ」
「うわっ、上から目線~。どうも先ほどから主殿の言動にトゲがあるように感じるのじゃが、警察に恨みでもあるのか?」
「空き巣に入られた経験があるんだよ。俺の大事なコレクションを……」
「何を取られたのじゃ」
「切手だ。昔、切手収集にハマった時期があってな、数十万の価値があるレア物を大量に所持していた。アイツら本気で捜査しなかったんだよ。あの時の警察官『切手? 小さな紙きれだろ、そんなもの集めてたのかこのオッサン、泥棒も可哀そうにハズレだったな』みたいな顔しやがって!!」
「それは被害妄想じゃろ。警察の肩を持つ気はないが恨むなら泥棒であろう」
「警察を恨んではいないよ、軽蔑はしてるけどね。だからそこ俺が泥棒を退治するんだ」
「なるほどのう。まぁそれが主殿の願いなら協力は惜しまぬよ」
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