サラリーマン博士 ~ 美少女アンドロイドは老人です

八ツ花千代

第1話 初恋

 トントントンとリズミカルにまな板を叩く音が聞こえてくる。

 覚めきらぬ意識のなか、お味噌汁の優しい香りが鼻腔をくすぐり空腹の胃を呼び起こす。

 聴覚と嗅覚を刺激され深いまどろみからゆっくりと覚醒する。

 久崎慧也くざきけいやはけだるそうにベッドから起き上がるとキッチンへと向かう。

 3LDKのマンションなので向かうと言ってもわずかな距離だ。

 寝間着を着ない派の彼はタンクトップとトランクス姿のまま、目を擦りながら廊下を歩く。

 一人暮らしなのでドアを閉める習慣はなく、寝室からキッチンまでのドアはすべて開いている。


 彼がキッチンに入ると女性が料理を作っていた。

 軽くウエーブのかかったロングの黒髪は朝日を浴びて天使の輪が煌めいている。

 サイズの合っていないゆったりとしたトレーニングウエアは幾重ものシワが波をうっている。

 料理の邪魔なのだろう、両腕をまくり上げ華奢な腕をあらわにしていた。

 気配に気がついた女性は振り向くと、

「おっ主殿、起きたのか。もうすぐ朝食ができるからな、顔を洗って待っておれ」と言いながらニカッと笑う。

 天使かな? と疑ってしまうほどの美少女。

 意志の強そうな大きな瞳が印象的で、思春期の男子ならば見つめられるだけで恋に落ちてしまうだろう。

 カワイイ系ではなく美人系。年齢よりも年上に見られがちなお姉さんタイプ。

 設定年齢十七歳、推定ではなく設定だ。


 女性に言われるがまま洗面所へ行き顔を洗う。

 冷たい水を顔に浴びせると眠気も一緒に流れ落ちるようだ。

 平日なら寝ぐせを治すのだが今日は休日。跳ねている髪はそのまま放置した。


 ダイニングにテーブルは置いていない。食事はいつもリビングに運びTVを見ながら食べている。

 リビングへ行くとテーブルにはご飯、味噌汁、卵焼きが並べられている。

「味の保証はせん、レシピどおりに作ったからな、そうそうズレてはおらぬじゃろう」

 女性は座布団もクッションもない床に正座ですわり、彼が来るのを待っている。

 彼はあぐらをかいて座ると行儀正しく手を合わせてから

「いただきます」と言い、卵焼きを一口かじり味噌汁で流し込む。

 美少女に朝食を作ってもらうなど男性なら泣いて喜びそうなシチュエーションなのに彼は無表情だった。

「どうじゃ?」

 期待の眼差しで彼を見る。

「普通」

「なんとも作り甲斐のない感想じゃの~。まあ味覚機能は実装しておらぬゆえいた仕方なしか」

「はぁ~~~マジか……」

 彼は左手でおでこを押さえ首を振る。

「なんじゃ、頭痛か? 薬が欲しいのか?」



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 先日、彼の祖父が天寿を全うした。

 江戸時代から続く木工細工の職人だったが、後継者の育成は行われず祖父の代で継承は途絶えた。

 誰も使わなくなったのみを形見分けとして一本だけ貰い持ち帰る。

 鑿とは主に木工細工に使う工具で、見た目は大きな彫刻刀だ。


 祖父の家から自宅に帰ってきた彼は錆び止め用の油紙で包まれた鑿をテーブルの上に置く。

 油紙が破れないようゆっくりと開くと、何十年と使い続けられた伝統工芸品のように黒光りする鑿が現れた。

 見慣れない工具を手に入れた喜びで目を輝かせる。

 小学生の頃に工作の授業で初めて彫刻刀に触れた記憶が蘇り、童心に返ったように心が躍る。

 物珍しそうに鑿を観察していると、なんとソレが喋り始めたのだ。

 人間と言うのは信じられない出来事を夢と思う生き物らしい。

 喋る道具などありえない。彼もまた夢だと思い込んだのだ。

 おとぎ話の主人公になったつもりで鑿の話を聞いてあげると、先祖代々受け継がれた鑿に付喪神つくもがみが宿ったそうだ。

 仕事が減り続けているのは薄々感じていて、このままでは使われなくなるのではないかと危惧していたらしい。そこで何でも作れるようになりたいと神に願うと、その願いを叶えてくれたそうだ。

 新しい主となった久崎くざきの望むものを作ると言うので、夢ならば何でも構わないだろうと、埃のつもった古いビデオテープを取り出して、辛うじて動くビデオデッキに入れ、古い映像を再生し鑿に見せた。

 液晶テレビには高校時代に憧れていた美少女が映っている。

 合唱コンクールで歌う姿。文化祭で踊る姿。水泳大会で泳ぐ姿。体育祭で走る姿。コスプレではないブルマ姿など今では見られない貴重な映像だ。

 三倍録画の120分間、その美少女の映像がフルで記録されていた。隠し撮りをした友人にダビングを依頼した記憶が懐かしい。

 日頃の疲れもあり、ウトウトしながら、

「この子を作ってくれ」と、お願いする。

「何でも作れるとは言うても生命は作れないのじゃ」

「なんだよ~、じゃあアンドロイドでいいや、家事をやってくれると助か――」と言いながら寝落ちしてしまった。



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「夢、じゃないのか……」

「なんじゃ寝ぼけておるのか」

「目が覚めたら消えていてくれれば有難いとは思ったよ」

「それが主殿の要望なら、この体、壊――」

「いや、失言。俺の要望通りだ君は悪くない。その姿も声も俺が望んだまま再現されている、不満なんてあるものか」

 テーブルを挟んで座っている彼女をまじまじと見つめながら、

「ほんとうにそっくりだ。左目の下の泣きぼくろまで再現されている」

「そうじゃろう、わしにかかればこんなもんじゃ」

 男ならイラつく返事だが美少女のドヤ顔は憎めない。

「声のクオリティも高い、が、その喋り方はどうにかならないのか?」

「今までの持ち主が例外なく老人だったからのう、身に染みついておるゆえ無理じゃ」

「そこをなんとか」と言いながら合掌した手のひらを擦り合わせる。

 彼女は呆れたように鼻から息をフンと噴き出すと、

「例えば会社の上司に『明日からオカマ言葉で話すように』と命令されたらどうするね」

「速攻で辞めるな。……なるほど理解した。パワハラ上司と思われるのは心外だ、潔く諦めるよ」

「まぁ、わしに性別の概念はないゆえ主殿と会話しておればいつかは話し方も治るやもしれぬ」

「期待しないで待ってる」

「言葉使いは男じゃが心は中性じゃ、夜の相手も問題ないぞ、ほれ」と、両腕を広げて迎え入れようとする。

「俺は愛のないSEXはしない主義だ。そもそも君は道具だろ、それはつまりラブドールじゃねーか」

 美少女は小首をかしげる。そのさりげない仕草からも可愛らしさが溢れていた。

「今までの主殿は老人ばかりだから横文字の言葉は不得手でのう、ラブドールとは何じゃ?」

「自慰の相手をする人形だ」

 普通の女性なら赤面しそうな会話だが、目の前の美少女は平然としている。

「かなり昔の主殿が張形はりがたを作ったことがあるでのぅ、ワシは気にせんよ」

「張形って何だ?」

「木で作った男性器の形をした性具じゃ」

「ご先祖様の性事情なんて聞きたくはなかった……。なあ、のみの本体はどこへ行った?」

「移動できぬのも不便なのでな、この体の中へ収納してある」と、人差し指で心臓の位置を指さす。

「わかっていると思うが普通の道具は喋らないからな。俺以外と喋るなよ」

「独占欲の強い彼氏のようじゃな。束縛されるのも悪い気はせん」と、ご満悦の表情をする。

「オマエと恋愛ごっこをする気はない。そういえばまだ名前を聞いていなかったな」

「道具に名前を付けるような酔狂な主殿はいなかったからのう、名は無いぞ。好きに呼べば良い」

「じゃあノミでいいか」

 少しも悩まずに秒で答える。

「安直じゃがしっくりくるわい」

「しかし、どうしたものか……」

「なにを頭をかかえておる、味噌汁が冷めるぞ」

「味噌汁よりも重要なのはこれからの生活だ」

「悩む必要などあるか、遠慮するな」

 ノミは小首を傾け瞳を潤ませながら流し目を久崎に向け、トレーニングウエアのファスナーをゆっくりと下ろし胸元をはだけさせようとする。

「ソッチの話じゃぁない」

「若い女との同棲じゃ、猿のようにヤル以外に何がある?」

「逆にノミはそっち系のことしか考えられないのか」

「今まで動けない道具だったのじゃ、体を得たのだから色々と試してもいいじゃろうが!」

「神に誓おう、俺はノミを抱かない!」

「ケチ!!」と、頬を膨らませて拗ねている。

「……神? なぁ、ノミは神様に願い事を叶えてもらったんだろ」

「そうじゃ」

「それは神様が存在する証拠なんだよな」

「話が見えんのう、神への願い事など日常的にしておるだろう。前の主殿も仕事場の神棚に毎朝願っておったぞ」

 ノミは拝むポーズをする。

「神の存在なんて本気で信じちゃいないんだよ」

「そんなことはあるまいよ、元旦などは大勢の人がお参りするぐらいじゃ」

「それは参拝の雰囲気を楽しむ行事だ。一年に一度しか神社に足を運ばないヤツらに信仰心などあるものか」

「なるほどのう、たしかに信仰心の乏しい者は多いのかもしれん。ならば主殿が神の存在を教えてやれば良かろう」

「間違いなく精神異常者の烙印を押されるね」

「わからんのう、神の実在は喜ばしいじゃろ?」

 ノミは怪訝けげんそうな表情で腕組みをする。

「願い事をすれば無償で叶えてくれるなんてのは、人間にとって都合良く創られた神様像だ。誰も会ったことのない存在なのに、だ。どうして神が捕食者でないと言い切れる?」

「実際、わしは願い事を叶えてもらった!」と、得意満面にドヤ顔をする。

「なぜノミだけ? 理由は? 対価は?」

 キョトンとした顔になり首をひねる。

「わからぬ……、神様とは会話をしておらん」

「会話もせずにどうやって願いを伝えたんだ」

「言葉では表現できぬ存在に、叶えてもらったという実感だけあるのじゃ」

「ほぅ……。例えば、会社の掲示板に『今日から君は副社長だ』と張り出されていたとしよう。突然の辞令、軽くパニックだよな。説明を聞くため社長室に行くが面会してもらえない。さあ、この人事は俺のために行われたと思うか?」

「思えぬよ。むしろ何か裏があるやもしれぬと疑うじゃろう。……なるほど、主殿は神の都合でわしの願いは叶えられたと言いたいんじゃな」

「そうだ。人間への直接的な干渉はできないのかもしれない、だから中間的な存在の付喪神の願い事を叶えた。そしてノミは俺の手元に渡る。ということは俺に何かをさせたいのだろう」

「ご神託はなかったが?」

「会話が成立しない存在なんだろ。それに言われたことだけやるのは小学生までだ、社会人は自ら考え行動するもんだ。……そうか、だから社会人の俺を選んだのか」

「考えすぎと思うがのう」

「意思疎通が不可能ならば最大限の注意が必要だ。ペットだって飼い主に気に入られようと、犬は尻尾を振るし、猫はすり寄ってくる」

「いやいや、ペットは媚びを売っているのではなく飼い主が好きなんじゃよ」

「餌をくれたり世話をしてくれるから好かれるんだよ。そうだな、神もこの世界を世話してくれているから人間は信仰していると言えなくもない」

 納得がいかないのか少しムッとするノミ。

「百歩譲ってその説を受け入れるとして、ではどうするのじゃ。飼い主である神様に牙を剥くのか?」

「敵対する理由はないよ、ペットはペットらしく尻尾を振るさ」

「神意も問えぬのにいったい何をする気じゃ?」

「俺のようなヤツを選ぶんだ、そんな大そうな仕事ではないだろう。世界規模の問題なら大統領を選ぶさ。俺レベルならせいぜいご近所の問題解決が関の山だろ」

「神の力が分け与えられたというのにその程度か?」

「俺は政治家のように尊大な公約を掲げて当選したら一切守らない、あんな詐欺師たちじゃあない。自分にできる目標を立て地道に達成する堅実な男だ!」

「政治家に恨みでもあるのかね?」

「昨日のニュースで『若者は政治に興味がない』とか報道されていたからな、ソレが心に刺さったかもしれん。選挙などと呼ばずに戯言品評会とでも呼べばいいんだ」

「主殿はもう若者ではないじゃろうに……」

「まだ三十三だ。心はいつまでも少年でいたいんだよ」

「では童貞の主殿よ、具体的には何をするのじゃ?」

「童貞じゃない少年だ! ……そうだなぁ、近くのコンビニに半グレどもがたむろしているのを排除するか」

「ちっさ! 問題ちっさ!! そんなのは警察に任せれば良いではないか」

「民事不介入ってやつさ。警察なんてのは事件にならなければ何もしないんだよ。それに半グレどもは街灯に群がるハエだ、警察が追い払ってもすぐに湧くんだ」

「そんなもんかのぅ。……まぁ主殿がやる気になっているのを止める理由はないし、それに、主殿のために持てる力を発揮するのはワシの喜びでもある。さあ望む物を作ろう! 戦いに行くのなら武器が必要じゃな。日本刀にするか? 弓にするか? 拳銃も作れるがちと大袈裟かのう」

 手を拳銃の形にして撃つ素振りをしている。

「物騒だなぁ、そんなの持ち歩いたら俺が逮捕案件だよ」

「ほぅ、武器なしで挑むとは見かけによらず勇敢だのう、主殿を見直したぞ」

「いや行くのはノミだ」

「は?」

「道具は使ってこそ、だろ?」

「数秒前の感心を返せと言いたいわ。まさか女児の背後に隠れて命令するだけの腰抜けとは、仕える主を間違えたかのう」

「酷い言い草だな。隠れる気はない、ちゃんと俺が操縦する。フルダイブってわか――らないよな。よし、なら先ずは無線でネットに繋がるようそのボディを改造してフルダイブについて検索してくれ」

「うむ、繋がったぞ」

「早いな。見た目は何も変化なかったが」

「内蔵装置だからのう。……ふむふむ、意識と感覚を移せば良いのだな」



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 数日後、ひとりで夜道を歩くノミ。

 パーカー、ジーンズ、スニーカー、動きやすい服装に身を包み、長い髪は邪魔にならないよう編み込んでフードの中へ入れてある。

 女性の服を恥ずかしくて買いに行けなかった久崎くざきはネットで注文したのだ。

 アパートから数分の距離にあるコンビニにはターゲットである半グレたちが缶ビールを手に持ち大声で雑談していた。

 スキンヘッドに過剰な数のピアスやアクセサリ。個性的な無個性。同じような服装をした男たちが群れている。


 そこへ会社帰りのOLが通りがかる。コンビニに寄ろうとしたが半グレたちが目に入り諦めてUターンすると。

「遠慮するなよねーちゃん、そんな態度だと俺たちが邪魔してるみたいだろぉ~」

 半グレの中でもひときわ体格の良い男が立ち上がる。

「あ、いえ……」

 走って逃げれば良いのにOLは立ち止まってしまった。

 ほろ酔い気分の男はフラリフラリと女性に近寄っていく。

「一緒に飲もうぜ~オスばっかで華がなくてよぉ~奢るからさぁ~」

「え、えんりょ――」と言いかけたところで腕を掴まれる。

 蟻地獄から逃れられない蟻のように、ズルリズルリと巣穴へ引きずられていく。

 恐怖で声も上げられないようだ。

 涙目でコンビニを見るも、アルバイトの店員は見て見ぬふりをしている。

 このまま放置していたらOLは今晩帰れないかもしれない。

 巣穴では半グレの男たちが手を叩いて喜んでいる。


「その手を放せゴミムシども!」

 ドヤ顔をしたノミが半グレを指さしながら仁王立ちしている。

「ぁあん? 誰だテメェ……って、可愛い顔してるがガキじゃねぇか。俺たちは法律を守る善良な市民だからよ、未成年に酒は勧めねぇんだ、帰れ帰れ」

 その言葉に巣穴の半グレどもが大爆笑している。

 確かに迷惑行為はしているが法律には触れていない、中途半端な悪ほどたちがわるい。

 OLはノミを見て絶望の表情をする。助けに来たのが少女では頼りにならないと訴えていた。

「嫌がっているのがわからないのか!」

「んだよウルセエな、ほらよっ」と、半グレはOLの腕を力任せに引くと勢いをつけてノミに向けて放り投げる。

 転びそうになるOLをノミが抱きかかえると、その背後には拳をふりかぶった半グレが急速に接近していた。

 振り抜かれた拳はノミの顔面に直撃し、その衝撃でノミの体は2メートルほど吹き飛ばされてしまった。

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