隣の部屋に推しのアイドルが引っ越してきた

松竹梅

第1話 起きたら推しが目の前にいるってどんなリアル?


「おはようございます」

「・・・」


 半開きの目をこすりながら起きると、超絶イケメンが視界を埋め尽くしていた。

 ああ、今日も推しはイケメンで、私の目の前でキラキラを舞い散らせている。毎日退屈な仕事も、色気も何もない日常も、両親の「ちゃんと将来のこと考えろよ」という圧も、推しのことを考えている間は忘れられる。あのキラキラの前では、どんな悩みも吹き飛んでいく。


 推しの爆発するほどのビジュアルを起きた瞬間から見ることができるなんて、なんて素敵な夢なんだろう・・・なんかいい匂いするし・・・控えめな鼻息がおでこにあたってちょっと涼しい・・・それにほっぺのあたりがなんかくすぐったいけど、髪の毛・・・?


「ぴょえ!!??」

「ははは、『ぴょえ!!??』って。朝から元気ですね」

「ととと冬真くん!!??え、まって、え本物?えなんで、え??」

「え、言いすぎです。昨日引っ越してきたって言いましたよ」


 そうだっけ?そんな僥倖を私は忘れたの?え、ていうか本物?ま?マ?真?え、やばいんだけど、かっこよすぎ、じゃなくて!


 一気に覚醒した頭で昨日の記憶を探るも、目の前のビジュアルのせいで正常な思考ができない。前世でどれだけの徳を積んだら、推しが「おはよう」なんて言ってくれるのか?疑問ばかりが頭に浮かぶ。


 必死に記憶を絞り出していると、ふいに自分以外の体温を感じる。頬にあたる柔らかい感触。何度も握手会で触った細くてきれいな手。わざわざ確認しなくてもわかる。


「さくらさん、昨夜はとても楽しかったですね。気持ちよさそうで、なんだか俺も嬉しくなりました」

「・・・おふぇ!??」

「ふふ『おふぇ』って。冗談ですよ、さくらさん」


 笑顔が眩しい!もっとよく見せて、いや見せないで!これ以上は失明しちゃう!でも推しの顔ならそれもあり!それより私昨日なにしたの?ナニしたの?そんな記憶ないんだけど、てか推しの手が私のほっぺに当たってる!というより包み込んでる!私は仰向けで?彼は上から覗いていて?こんなんもう・・・!


 プシューーー!!!


 脳が完全にショートした音が聞こえた。

「顔真っ赤ですね。もしかして昨日の雨で風邪ひいちゃったかな?やっぱりわざわざ大雨の日に引っ越したのは失敗でしたね、ご迷惑かけてしまいましたし」

「いえ、ご心配なく!ぴんぴんしております!」


 彼に頬を包まれたまま、全力で否定する。推しに悲しい顔をさせるなんて、ファン失格だ。


「そうですか?よかったです。いい人ですね、さくらさん」

「はひ・・・」

「あ、このままじゃ起きれないですよね。もうすぐ8時ですし」


 頬から温もりが離れる。ああ行かないで・・・。

 名残惜しいけれど、推しが離れたことでちょっと気持ちが落ち着いた。もう一度頭の回路をつなぎ直して考える。


 冬真くん、5人組男性アイドル『Super Stars』のセンターで私の推し。デビューからまだ2年と経っていないが、今一番アツいグループだ。

 その人気は何といってもミステリアスな雰囲気。プライベートを一切見せない彼らだからこそ、現実の男から一歩先を行く魅力を持っていて、女性ファンはおろか男性にもファン層が広がっている。

 なかでも冬真くんは圧倒的にプライベートが謎に包まれているキャラで一貫しており、メンバーの中で最も内情が見えづらい高嶺の花だ。インタビューの類が苦手だというのがもっぱらの噂だが、真相はわからない。ベールに包まれた男、とても惹かれるわ。


 そんな彼が昨日、隣の部屋に引っ越してきた、らしい。

 イベント後のファンの集いからの帰り道、傘を持っていなかった私は途中で大降りになった雨に濡れながらアパートに着き、エレベーターを降りた。すると私の部屋のドアの前で彼が立ち尽くしていた。廊下にまで入り込む雨に濡れる彼は寒そうで、思わず部屋の中に入れてしまった。あとから聞いたら「鍵をまだもらっていなくて、でも前の家はもう退去して入れないから助かりました」とお礼を言われたが、果たしてこれは許される行為なのだろうか・・・。というか推しの声を間近で聞けるなんて、しかも握手会以外の場で、嬉しすぎるんだけど。


「さくらさん、ご飯とパン、どっちにします?」

 謎に包まれた魅惑の男性。そんな存在が、同じ部屋の空気を吸って、一般人女性の私に朝ごはん何にする?と聞いてきている。悶々とする頭とは裏腹に、空腹に正直になる。

「じゃあ、ご飯で」

「わかりました。インスタントの味噌汁があったので、それも一緒に出しますね」

「ありがとう、ございます」

「はい、またあとで」

 柔らかい微笑みを残して、扉が閉められる。大人の男のいい匂いが漂ってきた。


 いいい今のありがとうたどたどしくなかった、私?何だこの幸せは、もしかして死ぬのか?着替えて?食堂に下りて?ご飯を食べる?推しと一緒に?そんなんもう・・・。


 ボッ!!


 またも頭が爆発したのを感じながら、のろのろとパジャマのボタンに手をかけた。枕元には今日の私の服がきれいにたたまれていた。いい匂いがした。


 +++


「お味噌汁、熱くないですか?目玉焼き、半熟にしちゃいましたけどよかったです?フォーク使います?ありますよ。昨日の雨で体冷えてるかもなんで、甘酒温めてます」

「気遣いが主夫通り越して神の領域なんだが」


 目の前にいるのは神ですか?いや推しです、はあかっこいい。


 推し以外の何でもないはずなのに、私の知っている推しとは真逆だ。私の服といい、朝ごはんといい、完璧すぎて私の女子力が削られていく。


「冬真くん、優しすぎて、もう無理・・・」

「あ、すみません。なんか間違えましたか?」

「違うのおお、好きすぎるのおお!このギャップ大好きなんだけどおお!」


 落ち着いていた気持ちがぶり返してしまった。さっと箱ティッシュを手元に置いてくれることにさえ感動してしまい、気持ちが収まらない。


「ええと・・・そんなに言われると困っちゃいますね」

「グス、こんなにいい朝は初めて・・・。ありがとう、ほんとに」

 何とか気持ちを収めて感謝を言う


「・・・お礼を言うのは俺の方ですよ。さくらさん」

「・・・え?」

 ふと、つぶやいた彼のセリフがとても優しく、切なさを帯びていて私は顔を上げた。切れ長のまつげが美しい。


「昨日のことなら、さっきお礼言われたけど・・・」

「そうじゃなくて。俺の方が、さくらさんに生きる力もらってたんです」

「私が?いつ?」

 唐突の発言に、また驚いてしまう。何か言ったことがあっただろうか?

 冬真くんがゆっくりと顔を上げる。口を結んでいた力を緩め、深く呼吸をする。まっすぐこちらを見ている。真剣な目もカッコいい。


「俺、実はアイドル辞めようと思ってたんです。デビューしてから3カ月くらいのとき。カメラが苦手だって気づいたんです。ライブとかも、カメラがみんなから向けられていると思うと、正直無理。だから俺の写真はそっぽ向いているやつが多いんです」


 確かにグループの写真集を見ると、冬真くんだけは正面の顔がない。とはいえ、ファンからすれば写真を見られるだけでうれしいもの。『むしろこのミステリアスな感じがいい!』と、熱烈なファンがどんどん増えた。

「そういえば握手会がなくなったのも・・・」

「そうです。イメージ守るために結構そっけない態度だから、ファンに申し訳ないっていうのもありますけど、半分は俺が原因です。初めは我慢してましたけど、限界でした」


 アイドルにとって写真は大事な商品。それが苦手となると、精神的にもかなり追い詰められていたのではないだろうか。

「そうなんだね・・・」

 憂いを帯びた目元を見て、私も切ない気持ちになる。

「確かにみんなカメラ持って行ってたもんなぁ。私はカメラに興味なかったし、写真も撮ったことないけど・・・」

「それです。それですよさくらさん」


 気持ちを寄せるつもりで告白すると、冬真くんは急に身を乗り出してきた。

「ファン全員がカメラを持っている中、さくらさんだけは持ってなかった。ちゃんと俺の目を見て、しっかり手を握ってくれて、『ずっとファンです!一生推します!』って言ってくれて。真剣に俺のこと、グループのこと応援してくれてるんだって思ったんです」

「大げさだよ、他のファンもしてると思うし・・・」

 身振りで真剣さを伝えてくる彼の姿に気圧されながらも、内心嬉しく思う。けれど、同じような言葉は多くの女の子たちも言っているに違いない。


「『カメラ越しなんてもったいない、ちゃんと目を見て、話を聞いて、ちょっとしたことで笑えるだけで、私は幸せだよ』」


「!!」

「ちゃんと目を見て、話をして、ちょっとしたことで笑えたのは、さくらさんだけでした」

 目じりを下げて、彼が言う。

「しかも、同じタイミングで笑えました」

 寝起きに見たのと同じ、屈託のない笑顔。ファンとして、この上ない幸せな言葉。

 信じられない気持ちで改めて彼を見る。


 しゅっと細い目鼻立ち。私なんかよりも幾分か小さく見える顔。無駄のない筋肉のついた腕に細い指。きれいな爪。リラックス感のある部屋着。


 彼とこんなふうに生活できたら、どんなにいいだろうか。


「その時決めたんです。この人が応援してくれる限り、アイドル続けようって。まさか引っ越した隣に住んでるとは思いませんでしたけど」

「私も・・・おこがましいけど、多分一生推せるのは冬真くんだけだと思う」

「じゃあ俺たち、お互いに推しですね」

「ほんとだね」


 私が噴き出すと、彼も肩を揺らす。ミステリアスな顔しか知られていない彼が、私にだけ見せる顔。

 推しと隣室で生活するリアル。そんなものが存在するなんて、まだ夢を見てるんじゃないだろうか。

 はちみつたっぷりの甘酒を飲みながら、甘い気持ちを噛みしめた。


「これからよろしくお願いします」

「こちらこそ」


 推しと付き合うまで、あと100日。

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