ふうりん

Tukisayuru

ふうりん

 ある夏の正午を周って少し過ぎていた頃に形の整った入道雲が見られた。その日は天気も良くその証拠に水面も綺麗に凪いでいた。私はその中で机の上にある山積みになっている書物の側で寝っ転がっている。目には一切の光がなく暗澹でしか無い――。見えているのは、白蟻によって被害を受けている部屋の天上だけで他は目に入らなかった。

 私はやる気を失っている――。

 それは、夏の特有の暑さや、山のようにある書物や、古臭い家に住み着いていることが原因では無い――。それに別に今日、特別に巻き起こった訳でもなく、前からある、事例だった。その場合には未来のことを予想して焦燥や恐怖感を無理やり発揮させて藁にもすがる様な気持ちで金を稼いでいた。この繰り返しで生活をして生きている。だから慣れているはずだった――。

 しかし今回ばかりは違っていた。いつも通りなら無理をしてまで働いて手にした金を生活費が底に尽きそうになるまで贅沢をしていた。外に出る時は、度が合っていない癖に客観的に真面目な人だと見て欲しくて丸眼鏡を掛けたり、世の中に溶け込んで周りと共感を得たい欲求から褐色の帽子を被って少しでも見栄えのする服を着ていた。そんな服装で街まで悠長に歩いた。そして私の頭の中にはいつも金を使うことだけを考えていた。恐らく、私が日に日にやる気が失われていく現状から、逃げ出したかったに違いあるまい。実際そんな感じの動機でしか無かった。

 街は確か華やかで栄えていた方だと覚えている。道が整備(石では無く土でしたが)されていて白い外壁の目立つ民家が沢山あり、皆から頼りにされていて街で一番頭の良い医者や、大きな杉と松の木に囲まれてその中心部にひっそりとある立派な神社、街の端には蒸気機関車の通る駅もあった。だからといって「将軍の御膝元」と「天下の台所」と言われてた東京と大阪には勝らないが何でもあり、私の心を満たしてくれる火の打ち所がない街だった。私は街に着いたら私自身の好きなものに対してだけ金を使った。酒屋に行っては高い酒を一本と一升枡を買い、雑貨屋では、品揃えの良さに感激しながら二箱の煙草、腰に付けるための扇子、紫色に美しく咲くであろう朝顔の種、温暖色と寒冷色の入り混じった絵の具、新品な筆をそれぞれ買って出て行った。これらだけじゃ飽き足らず、食事をする時は必ず暴食して、時には風浴所に出向き「一夜」共にしたこともあった。(今回はしませんでしたが)家に戻ると買って来たものを畳の上に並べて充実したことを噛み締め、医者から節煙、節酒を勧められているのにも関わらず昼間から一升枡で酒を飲んで泥酔し、二箱あった煙草をすぐに使い果たして、気分が悪くなってしまう前に適当に寝ていた。

 いい加減ではあるものの現実逃避を成功したためこれが私の雄一無二である特効薬であった。

 なぜだ。――一体どうしたのだろうか。私の中にあるのは――初めて見る感情。それは私の中に溢れていた。気付いた時にはすでに特効薬が効かないことが分かった。しかし同時にどうか既視感が覚えられずには入られない感じがした。

 学生時代。――中学の頃に私は「お荷物」とされていた。決して勉学が出来る方でも無いがそれでも存在の意義を示すために『餓鬼』を演じて笑いを取っていた。側から「嫌がらせ」を浴び、親から罵倒される。無謀な挑戦だ。無茶がある。そんなものはわかりきっている。私の人生の中で何一つ役に立たない能力を上げても意味が無い。――それでも私は苦痛に耐えながら自ら笑いを保ち続けなければいけなかった。『餓鬼』を演じることを止めたら私という人物が無機物として見てきた、生徒、先生、親族から用済みとして捨てられてしまうことを恐れた。私はやるしかなかったのだ――。

 少し昼が短くなった頃、いつもの様に『餓鬼』を演じていたら、今まで顔の知らない人が近づきそして間合いに歩み寄って来て突然、声を上げて笑い出した。純粋な笑い声だった。その人はやがて腹を抱えて蹲った。見慣れない行動に私はそのまま何も出来ずにただ佇んでいた。ようやく落ち着いた頃、その人は、やっと立ち上がり自身の服を整え、私の顔を見た。すると小さく笑い出して堪えた――。私は忙しい方だなと思いながら話し掛けてみました。その人は一つ年上の先輩で生徒会執行部に所属していると言い、学校の見回りの最中だったらしい。そしてその人は私の『餓鬼』に対して「お気に入り」となったみたいで仕事が終わったら一緒に帰りたいと言ってきました。私はこの時、初めて人に認められた――。喜びを感じた――。確かに証明することが出来たのだ。私は長い時間を掛けて、やっと信頼出来る人に巡り合えたのだ。私はその人に救われ、そしてその人との関係を大切にすることを決意した。その日の帰り道は夕日は大きく空の色は朱色で覆われて私はその人と一緒に心の底から笑い合ったことを覚えている。

 その人と過ごしてから私の視界には色が付き始め、艶が出て、華のある生活を送れた。その人は私に色々な物を教えてくれた。買い物、服、音楽、旅行、本、雑貨――。どれも好きになった。その人はいつも向日葵のように可愛く純白の服が似合っていて、そう褒めてみると優しく微笑んでくれました。

 やがてその人は学校を去り進学した。私はその人とまた会いたい一心で勉学に励みました。他の学校の特色、自分の将来、家族の意見、先生からの誘い、全て私にとってはどうでも良かった。その人と比べたら森羅万象なんてものは月と鼈でしか無いと感じていた。私は無事に合格、新しい環境にも慣れ進学して初めての夏を迎えたある日。

 私は目を疑った。そこにいたのは間違いなくその人でその近くに異性の方がいた。そしてその人は私と過ごしていた時よりも明るい笑顔をしていた。急に私の頭は真っ白になり体中が震え、涙を浮かべ逃げ出すようにその場を跡にしました。その後は時間が進むのが早かった。全てを無気力になり勉学にも断念。友人、家族、先生から捨てられ、適当な仕事にありつけ、その人のことを思い寂しくなったら酒を飲んで無理矢理、記憶から消そうとした。私は人を一人幸せにすることも無理だ。

 そんなことを思い出した。私は今までにどこで選択を間違えたのだろうか。私が一体何をした――。私はとうとう私の感情なんてものすら理解できなくなってしまった。

 この地に生きる人は結局は自分が一番、尊い存在だと勝手に幻想を見ていて邪魔な物を正義だの洗礼など言って罰を強要して後は忘れ去ろうとする能力が長けている怪物だ――。私は天上を見てそう考えていた。

 チリーン――。

 私はその音色を耳にした。音源の方へ視界を寄せると縁側に風鈴が飾ってあった。確かあの風鈴は、私が街へと遊びに行った時に、雑貨屋で買って来たものだろう。おそらくその日も馬鹿みたいに酒を飲んでいたのであろう、今までの記憶のにあんなものは残っていない。

 それは私の眼と違ってとても綺麗だった、表面が透明で透き通り、季節が夏なのに所々に雪の結晶が描かれていて水色の舌が垂れていた。

 それにしても心地好い音色だ――。とても爽やかでそして優しくかつ凛とした強さがある。古臭くて何も無いこの家には、似合わない程の贅沢な物だった。私は久し振りにやる気を出し机の上にある山積みになっている書物に手を伸ばした。

 チリーン。チリーン――。

 いつもより多く進んでいることに気が付いた。もう、一冊目の半分を読み終えた――。

 チリン。チリン。チリン。チリン――。

 自分の予想を越え、もう三冊目を読み終えていた――。

 チチリチヂリチヂリチリヂリヂリヂ――。

 全体の半分を読み終わった――。

 ヂリヂリヂリヂリヂリヂリヂリヂリヂリヂリヂリヂリヂリヂリヂリヂリヂリヂリヂリヂリヂリヂリヂリヂリヂリヂリヂリヂリヂリ――。

 止まらない。もっと読める。知識が得られる。素晴らしい。今までこんなことが無かった。まるで幻夢だ。最高だ――。

 見返してやる。

 私を否定し、私を無視し、私を軽蔑し、私を捨てた。全てに復讐だ。

 もっとくれ。その音色を私に奏でろ――。まだ足りない。もっと欲しい。頭から離れない位に――。

 ガシャーン。

 私はその音と共に風鈴が砕け散った所を目にした。あれほど美しく綺麗だった風鈴が今や畳の上で原型を留めてない程の形になってしまった。途端、私はまた眼に光を失くし、仰向けになって寝た。

 私の中にあった透明な何かが壊れた――。

 もう手は動かない。本も読めない。何もかもがどうでも良い――。

 もうすぐ嵐が来るだろう。しかもその嵐はこの街を跡形もなく消しに来るだろう。こんな家など簡単に吹き飛んでしまう。私はそう悟った。

 楽になりたい――。

 私の「心」からは、そう思っていた。

 しかし私の身体は肘を曲げ、片腕を両目の所に持って行き、袖を濡らして、一言こう、呟いた。

 全部、あいつらが悪い――と。

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