ゆき
一本杉省吾
ゆきがつもり、とおいきおく、おもいで
年老いた私は、縁側に座っている。目の前には、雪だるまを作ろうと、はしゃぎ、騒いでいる三人の孫達を、笑みを浮かべて、見守っていた。
<はい、どうぞ。>上の娘が、そんな言葉を添えて、温かいお茶を、運んでくる。
<ありがと。>私は、そんな言葉を発して、湯飲みを手にする。
小高い場所に、小さな平屋。小さい庭に、積もった雪が、太陽の光に照らされて、輝いていた。この時期、この数年で、珍しく雪が積もった。そんな雪と戯れ、遊んでいる孫達を見ていると、何か、得をした気分になってしまう。私も加わりたい、そんなことを思ってしまう。
『そういえば、あの日も・・・』
四十年以上も前、今日みたいに、横浜の街に、珍しく雪が積った日。私が、まだ二十歳であった頃のお話である。
吐く息が、真っ白で舞踊っている。慣れない雪道を、気持ち的に慌てて、歩を進めている私。
<ふぅ、寒すぎる。>そんな言葉を、自然に出てしまう。そんな中、私は、病院に向かっていた。最近、仕事が終わると、毎日、通い詰めていた。病院の建物が見えると、思わず、足早になってしまう。
「ごめん、お義姉さん、遅くなっちゃって・・・」
息を切らせながら、病室に入っていく私は、お義姉さんの顔を見て、ホッとする。
「あら、京子ちゃん、こっちにいらっしゃい。」
私のコートに積る雪を見て、そんな言葉を口にして、手招きをする。
「あら、こんなに雪が・・・京子ちゃん、毎日、来なくてもいいのよ。」
コートに積った雪を、細くなってしまった腕を伸ばし、払ってくれる。我が子を心配する母親のような眼差しで、そんな言葉を口にしていた。
十歳以上も、年の離れているお義姉さん。早くに、両親を亡くした京子にとって、実兄の奥さん、目の前にいるお義姉さんが、母親代わりであった。
「こうやっていると、昔の事、思い出すわね。京子ちゃん、よく、泥んこになって、帰ってきてたから・・・」
雪を払いながら、京子の成長した姿を見つめて、そんな言葉を発し、微笑んでいる。
「嫌だ、そんな事、言わないでよ。恥ずかしいでしょ。」
少し、はにかむ京子。ベッド脇に置いてある花に目がいく。昨日、京子が買ってきたもの。咄嗟に、花が活けてある花瓶に手を伸ばした。
「お義姉さん、お水、換えてくるね。」
そんな言葉を残して、病室を後にする。給水場で、京子は、さっきまでとは、全く違う表情をしていた。
「生きていた。よかった。」
何とも言えない、安堵の表情。京子は、しばらく、この場から、動く事が出来なかった。
病院のベッドにいるという事は、お義姉さんは、入院している。病名は、<胃癌>、末期である。昭和四十年初め。この時代では、手の施しのない状態であった。
<よし!>給水場に、雪崩れるように、くずれていた京子が、立ち上がり、鏡に自分の顔を映す。両手で頬を叩き、無理やり、笑顔を作りだす。お義姉さんの病室に、戻る為の準備。そんな言葉で、自分の中に気合を入れる。
お義姉さんは、窓の外、舞い落ちる雪を見つめていた。黒い背景、真っ白な雪の粒が、ゆっくりと、ゆったりと、落ちていく。京子は、そんなお義姉さんに、声をかけられず、ベッドの脇の棚に花瓶を置く。
「ねぇ、京子ちゃん。雪って、寂しいけど、なんか、いいね。」
この三ヶ月で、随分、痩せ細ってしまったお義姉さん。頬が、こけた顔。悲しい表情で、舞い落ちる雪を見つめていた。
「お姉さん、何か、食べたいものある。」
思わず、そんな言葉を口にしてしまう。
「う~ん、そうだね。」
お義姉さんが、そんな言葉を発して、考え込んでいる。そんなお義姉さんの姿に、少し、驚いている京子。いつもであれば、<ううん、いらないよ。気をつかわないで、京子ちゃん。>そんな言葉が、返ってくる。
「甘いものがいいわね。そう、お饅頭が、食べたい。」
人に気を使って、わがままを言わない、お義姉さんが、そんな言葉を口にしていた。京子は、うれしい感情が込み上げてくる。京子にとって、そんなお義姉さんのわがままがうれしかった。
「分かった。お義姉さん、買ってくる。」
京子は、そんな言葉を残して、病室を飛び出していた。
この時間、コンビニなどない時代。京子は、全速力で、近くの商店街まで走った。積もった雪の上、滑らないように、転ばないように、そんな京子の足跡が、降り積もった真っ白な雪の上に残っていた。
ドン、ドン、ドン・・・
「開けてください。お願いします。開けて下さい。」
シャッターが閉まっている、和菓子屋の前。必死に、白い息を吐きながら、そんな言葉を叫んでいる。この時間帯、外灯の明かりだけで、商店街の店のシャッター、綺麗にしまっていた。
ガラ、ガラ、ガラ・・・・・
しばらくして、シャッターが上がった後、迷惑そうな顔つきのおじさんが、姿を現す。
「すいません、こんな時間に、お饅頭、買わせてもらえませんか。」
京子は、おじさんの姿を見た途端、そんな言葉を発しながら、必死の懇願をした。
「おねぇさん、もう終わってんの、分かるだろ。」
おじさんの冷たい言葉、当たり前である。
「本当に、すいません。どうしても、お饅頭が、ほしいんです。お願いします。」
京子は、頭下げるしか、術はなかった。お義姉さんのわがまま、頼み事を叶える為に、必死に頭を下げる。
こんな寒い夜に、若い女の子が、必死に、頭を下げている。和菓子屋のおじさんも、断る事はできない、店の中に、招き入れていた。
「たいした物、残ってないけどいいかい。」
「すいません、ありがとうございます。」
京子は、素直に、そんな言葉を口にする。ホッとする気持ちの中、慎重に、お義姉さんの好きそうな、お饅頭を選び、店のおじさんに、深々と、頭を下げて、雪積る道を、お義姉さんの笑みを思い浮かべて、饅頭の入った紙袋を抱き抱えいた。足取りも軽く、表情も崩れ、微笑んでいる。真っ黒の天空から、しんしんと真っ白い雪が、舞いおちていた。
「熱い、お茶、入ったよ。」
京子は、お姉さんの病室に戻っていた。頭を下げて、買ってきたお饅頭を添えて、熱いお茶を差し出した。末期の胃癌、正直、食欲なんてない。毎日、お粥、1杯を食べるだけで、精一杯のお義姉さんが、饅頭を手に取り、半分に割って、口に運ぶ。
「おいしい!」
とびきりの笑みを浮かべて、京子に視線を向ける。ほんとに一口、時間をかけて、ゆっくりと、味わっていた。微笑むお義姉さんの背中側のベッドのパイプが、ぐにゃり、と曲がっていた。
京子は、込み上げる熱いものを、堪え切れなくなってしまう。普段から、笑っているお義姉さん。それは、身体の痛みに耐えて、無理やり、笑っているだけの作り笑顔だと、京子は知っている。パイプベッドのパイプが、変形してしまうほど、痛みに耐えているお義姉さん。
『京子ちゃん、今日は本当に、ありがとう。』
まじりっけのない、作り笑顔ではない、お義姉さんの笑みに、京子の瞳から、大量の涙が溢れてくる。
「何を、泣いているの。この子は・・・」
そんな言葉を口にして、その場で泣き崩れてしまった京子の身体を抱き寄せてくれた。昔、幼い京子を、抱きしめていたように、優しく、温かく包んでくれた。
「お義姉さん・・・!」
京子は、お義姉さんに、体を預けて、泣いてしまっていた。本来、自分が笑顔を作らなくてはいけないのに、悲しい気持ちを押し殺して、笑みを浮かべなければいけないのに、涙を止めることができなかった。
その日から、数日後、お義姉さんは、逝ってしまう。あの日の事は、京子は、忘れられない。初めて、お義姉さんが、私を頼ってくれた日。あの日の笑顔が、忘れられないでいた。
年老いた私は、小さい庭で、雪と戯れている孫達の先を見つめて、微笑んでいた。お義姉さんの姿を見ていた。雪景色の向こう側で、お義姉さんが、笑ってくれていた。
ゆき 一本杉省吾 @ipponnsugi
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