第10話 物語

 ジリジリとする暑さを感じ始めた夏休みまであと一週間と迫ったこの日。

 

 娘は誕生日を迎えた。


 普段ならわくわくとした気持ちで浮かれているはずなのに、そういう訳にはいかないらしい。


 高校生最後の夏。受験生としての夏の戦いの幕開けのようだ。


「この前の模試の結果どうだった?」


「もう最悪。まきちゃんは?」


「私も全然だめ。もう嫌になっちゃうよ」


 お互いを慰め合うように、娘はクラスメイトとの会話でなんとかモチベーションを保とうと必死な様子。

 

 がんばれ! がんばれ!


 届くはずのない想いを何度も何度も繰り返す。気付くはずのない私の存在に少し虚しさを感じながら。


「ただいま! お父さん、今日は帰りが早かったね」


 娘がいつも通り元気に帰ってきた。


 それだけで私は幸せを感じずにはいられない。最愛の人と娘がいるというだけで。


「おかえり。今日はお前の誕生日だろ。だから仕事を早退させてもらったんだよ。ほら、ケーキを買ってきたぞ」


「そんなことばかりしてたらクビになるんじゃないの? 大丈夫なの?」


 悪態をつきながらも、娘は嬉しそうに買ってきてもらったケーキを眺めていた。

 娘の大好きな苺のショートケーキ。大きなホールのものではないけれども、ハッピーバースデイのチョコレートプレートがある八分の一は幸せで溢れている。


「ありがとうね。お父さん。すぐにご飯作るからね」


 娘が素直な良い子に育っていることに改めて感謝せずにはいられない。


「ご飯の用意ならお父さんがやってもいいんだぞ。お前は勉強しないといけないんだろ。それに今日は誕生日なんだから少しゆっくりしてもいいんじゃないか」


 相変わらずいい人だけど、娘の気持ちをもっと理解してあげないといけませんね。


「何言ってるの? お父さんに何が作れるっていうの? だいたい家の事は何一つできないんだから黙って待っててよ」


 そう言って、娘は制服姿のままエプロンをつけて台所に向かった。


 ほら。少し考えたら分かるのに。


 それほどの時間もかからずに食卓に並んだのは、豚の生姜焼き、サラダ、それにお豆腐とワカメのお味噌汁。

 いつお嫁に行ってもいいくらい手際が良くて、どれもとても美味しそう。


「お父さんが気を遣ってくれるのはとても嬉しいけど、家の事は私がやるって決めてるから。お父さんのお陰で大学受験できるの分かってるし、感謝してる。だから、お父さんはお仕事がんばってね。私も勉強がんばって、絶対に合格するよ。お母さんと同じ道に進みたいから」


 本当に素晴らしい娘をもって私は幸せ者だなとつくづく思う。


「実はお前に渡したいものがあるんだ」


「どうしたの? あらたまって。誕生日プレゼントはいらないって言ったのに」


「ずっと渡したかったものだ。『十八歳の娘の誕生日に』と頼まれていたから、今日まで渡せなかった。ほら、それがこの手紙だよ」


 急に真剣になるところも変わらない。せっかくの誕生日なのに重たい空気にしちゃっていいの? 


「これって? お母さんからの手紙? どうしてこのタイミングなの?」


 恐る恐る手紙を手に取って広げる娘の緊張感が私にも伝わってくる。手紙に没頭している娘は何を想っているだろう。私の事を恨んでいやしないだろうか。私の事を嫌っていやしないだろうか。そんな事ばかりが頭の中を巡る。


 手紙を読み終えたのだろうか。娘は手紙を抱きしめている。少し俯き加減の娘の表情はどんなふうなのだろうか。ほんの数秒のはずなのにずっと待ち続けているような感覚で、娘の目から溢れる涙を見つけたそのときまで私の心はどうにかなってしまうのではないかというほどに苦しかった。


「ありがとう。お母さんがこんなにも私の事を想ってくれていた。私は幸せ者だね」


 そう言って、とめどなく流れる涙を手で拭いながら娘は泣き続けた。


 私も止まらなく涙が流れ、心が洗われていくようで......


 コン、コン。


 ドアのノックがして、私は急いでノートとペンを布団の中に隠した。


「どうぞ」


「りえ。どうかしたのか? 目を赤く腫らして」


「なんでもない。少し眠り過ぎたのかも。それより、生まれてくるこの子の名前は考えたの? 手術まであと一週間もないのよ」


 私は欠伸をするふりをして、まだ少し残っていた涙を拭った。


「それなら考えてるよ。だから、えりは何も心配するな。手術はきっとうまくいって、これから三人で暮らしていくんだからな」


 やはり、この人はいい人だ。たけど、娘の気持ちを考えられるように私がしっかりと教育する必要がありそうだ。


 私の想像する物語は少し悲しいけれど、代わりに現実はハッピーエンドである事を信じてやまない。


 実は私も娘の名前を密かに考えている。それは私の好きな物に因んだから少し恥ずかしい。だけど、この物語の主人公の名前にはピッタリかもしれない。


 それは誰にでもすぐに覚えてもらえるような可愛らしい名前なのだから。

 


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お久しぶりです。今回のは以前に書いたものとなります。最近もちょこちょこ新しいものを書いてはいますがなかなか最後まで書ききるところまでいきません。中途半端な状態のものはがりになってます。なので気分転換も兼ねての投稿です。

 


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