第5話 世界を渡った者

 勇者テツヤを乙世界につなぎとめた柱は、心底善良な姫君だった。

 世間知らずではなく辺境では汗も流すし弓馬も使う。一方、彼女の王国と争う人の部族はもちろん、はぐれて流れ着いていた下級魔族の一団とさえ何度も交渉を行っている辣腕家でもあった。

 その心根が善良で、自分の欲では動かない人物。

 彼女を邪魔だと思う人たちは少なくなく、柱の行く末を知っている者たちによって柱に推挙された。

 だが、召喚者のメンタリティに柱が強く影響するということで大学生であった勇者テツヤは将来への漠然とした不安こそあれのほほんとくらしていた甲世界では持たなかった強い使命感をもつことになった。

 召喚者と柱は強く結びつけられるので、これまでのこの組み合わせは同性なら刎頸の友、異性なら恋人になるのが常だが、姫君と勇者テツヤは姉と弟のような関係になった。それだけ彼女の生きざまに勇者テツヤが感じ入ったせいだ。

 争いより交渉、一方的勝利より相互利益を尊重する彼を人族の要人たちはもてあました。もてあましたが、勇者は当面召喚しなおせない。

 当時の魔王とも数回戦い、圧倒はしながら倒すまではせずに何度も話をするその姿勢に魔族、人族双方から派遣されていた調停の女神の神官も感心した。

 なにしろその時は双方得るものはないという現状維持の調停案でまとまろうとしていたのにそれでは不十分だと言い切り、調停の締結を定めるために降臨した女神に食い下がった彼が十日十晩彼女と議論した結果。

 二人はなぜかわりない仲になっていた。

「いや、どうしてそうなるのだ」

 ルジアが思わず素でつっこんでしまった。

「なってしまったのはしょうがないでしょう」

 居直りともとれる答えをおかみさんは返した。

「それでこちらに一緒に? 」

 そういうわけではなかった。結局現状維持でいったん調停がすむと、勇者テツヤの柱であった姫が殺されてしまう。彼は甲世界に引き戻され、この時に彼を柱として女神もついてきてしまった。正確には女神の依り代たる肉体だが。

「強制送還された勇者がどうなるかわかるかな」

 嫌な思い出らしく、宿の主人、元勇者テツヤは顔をしかめる。

「わからないよ」

 正吾は素直に答えた。言いたいのだから気持ちよく言わせてやればいいと彼は思っている。

「死にかけるんだ。いや、たぶんほとんどは死ぬだろう。あちらの世界に体が慣れてくると、動きはよくなるがだんだん弱くなる。私も一年八か月いたが、戻ったとたん車道の上で身動き一つできなくなった。あえぎながらも引っ張って道路から出してくれたうちのがいなかったら車に轢かれて死んでいただろう」

「うちの、ねえ」

 ルジアはにこにこしている初老のおかみさん。乙世界の女神を見やった。

 彼女は前回の調停の時に魔族側の若き有力者として立ち会っていたから、女神の権能を行使するときのその姿を見知っていた。

 もっと若く、そして投影なのか透けて見えるその姿は神々しく威厳に満ちていた。神々の出自は魔族にも人族にもそれぞれに都合のよい俗説が流れるばかりであったが、女神の顔をまじまじと見たルジアはその出自が魔族ではないかと思った。

 遠い親戚のように思えたのだ。だから彼女は甲世界で年齢を重ねた姿とはいえ女神の顔を見分けることができた。

 あの考えていることなどうかがい知ることも許さないたたずまいの女神と語り合ってうっかりそういう仲になった。それはとんでもない偉業なんじゃないだろうか。彼女は少し照れ臭そうにしている宿の主人をまじまじ見た。

「あの」

 確かめておきたいことはある。ルジアは質問することにした。

「何かしら」

「勇者テツヤ以降も調停の女神は神前調停の場に出ています。あれはあなたなのですか」

「そうですよ。投影でしか姿を見せられませんが、私の権能はまだあちらにあります」

 受肉した神と人との恋愛は甲乙両世界ともにあるが、世界を渡った勇者と神のそれはおそらく彼女たちが初めてだった。

 勇者の送還に巻き込まれたと知った時の彼女はただもう「やばい」と思うばかりだった。彼女は乙世界の秩序の一端である。それがどうなってしまうのか、とにかく不安だった。

 だが、渡りおえるとその心配が消し飛んで しまった。

 ルジアがそうなったように、女神は自分の体に大量の呪詛が食い込んでくる苦痛に襲われた。呪詛は彼女の力を奪ったが、さすがは神というか倒れてぜいぜいいうほどには弱らなかった。急なことに頭痛を覚えてくらくらしていたくらいですんだのだが、それすらじっくり味わってる場合ではなかった。

 固く平坦な地面の上に勇者テツヤが倒れてうめいている。そしてなにか大きく重いものがぎらぎらと輝く目をこちらに向けて突進してくるのがわかった。

 甲世界のことを彼女は知らないが、このままでは愛する勇者が踏み殺されると理解した彼女は、渾身の力で彼の体を進路から引きずり出した。

 何かわからない重いもの、つまりトラックは運転手が気が付く様子もなく轟音を立てて通り過ぎていった。

 ほうっと大きくため息をついた女神は奇妙な感覚に気付いた。

 もともとこの受肉した体と女神としての権能は別にあって、彼女の意識は焦点がどちらにあるかの違いで多重化されていた。

 調停の神をまつる神殿すべてにぼんやりした意識が通っていて彼女が権能を使う時には神官の呼びかけに応じてそこに焦点をあわせるだけになっている。

 肉体は確かにこちらの世界にあるが、神殿にも今でもぼんやりした意識がある。

 女神は世界をまたがってつながっていたし、神としての行為はこれまで通り実施できたのだ。

 そのつながりが、勇者召喚を察知することもできるとわかったのは後日のこと。この時に始まった二人の長い旅の中で偶然とめぐりあわせから構築者のことを少し知ってからだ。

 この地で宿を始めるまでにわかったことがいくつかあった。

 二人でかの地に帰ることはできない。召喚は一度きり、たった一人の柱によってのみつなぎとめられる。だから勇者テツヤは乙世界に戻ることはできないし、テツヤが死んだあと女神は乙世界に戻されるが、その後は甲世界に来ることはない。

 彼らの子供たちがどうなるかはわからない。乙世界に召喚された勇者が乙世界で子供を作ったことはあるが、彼らは乙世界の住人として普通にすごしたから、彼らの子供たちもきっとそうだろうと考えるべきだが、母親が神である場合はわからない。

 それでも彼らは子供を持つ選択をした。

 次にわかったことは、勇者召喚は誘導できるということだった。

 テツヤの使っていた聖剣をどうやったか取り出し、これを誘導素材として用いていた。その聖剣はいまは正吾のものになっているのでもう勇者召喚を誘導できないはずだ。

 だが宿の主人、テツヤはほっとしていた。もしまた召喚が行われたら過去のようにランダム召喚となり、大事な人をおいて取返しのつかないことになるだろう。その犠牲を緩和するために彼の行ってきたことは、その心をかなりむしばんでいた。

 そのことを気にしていた女神も同様にほっとしていた。だからこんなことを言った。

「あなたのことは覚えています。前回の人族との調停の場にいましたね」

「覚えておられたか」

「ええ、かわいらしい魔族のお嬢さん。あれからとても強くなったのね。報告もさっきもらったわ。あなただめじゃない。まだ調停期間は終わってなかったはずよ」

「いや、あれは領土を奪う行為でもないし、国家の要人を害するものでもないから違反にはなりません」

 おかみさんは「あらあら」とほほ笑んで彼女を指さした。

「自分を忘れてますよ。魔族の首長会議の首席にして人族呼ぶところの魔王様」

「ええっ、自分を危険にさらしてもだめなの」

「調停の女神の名前において、懲罰をあたえます。といってもこっちの世界では大したことはできませんが、あちらで受けますか? 」

「どんな懲罰なのだ」

「あちらで起こすなら魔族の領域にひでりでも起こしましょうかね。こちらなら、あなたがしばらくうちの手伝いを無給ですることで手を打ちましょう」

 つまり、なれるまでの面倒は見ようと申し出たのだ。

 正吾にとってもそれはありがたかった。放り出すわけにはいかないが、面倒見切れるほど余裕は彼にもない。

 ルジアはしばらくここで甲世界について学び、体力をつける。正吾は自分の生活に戻る。積み残した処理事項がまだまだある。このままルジアとお別れになるということはあり得ないと彼は感じていた。

 その予感は一か月くらいあとに的中する。

「ここは、どこだ」

 崩れた石積みや倒れた石柱に伸びた草のからむ廃墟。

 その真ん中の水の枯れた噴水の中で正吾は呆然としていた。

 

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