第3話 女神

 そうでない選択もあったが、宿の主人は穏便に対応することにした。

 距離はかなり近いが宿から見えないところに別の古民家があり、今は物置であり宿泊客には見せない主人夫婦の生活の場でもあるが、いずれ別館営業に使おうかと考えている物件だった。

 風雨でぼろぼろになった子供自転車や家庭用のすべりだいが前庭にまだのこり、小さな鶏舎があって鶏が何羽かかわれている。

「お子さんがいたのか」

「独立したり、進学ででていきましたけどね」

 毛布ひっかけたまま降りてきたのであちこち汚れた彼らを主人は風呂場に案内した。

「交代でシャワーでも浴びて着替えてくれ。着替えはもうしわけないが宿用の浴衣の予備だ。使い方は申し訳ないがお客さんが教えてくれないか。私は本館のほうにいってかみさんを呼ぶ」

 それから五分ほどしておかみさんがやってきた。ルジアが先に教えられた通りシャワーを浴びているところで、正吾は本館のほうから運び込まれていた自分の荷物を見つけて自分の着替えを用意しているところだった。

「すまない、じゃすまないことをしちまったね。お客さん」

 あんまり悪びれてないが、あんなことをしといて変に悪びれるよりはいいと正吾は思った。なので現実的な話だけした。

「着の身着のままというかボロしかまとってない乙世界の女がシャワーあびてる。何か貸してやってくれないか」

「わかったわ。まずは本人にあってみないとね」

 のしのし浴室のほうに彼女は歩いて行った。ばたんと浴室のドアが開く音、そしてルジアの驚く声。

 入浴中に踏み込まれて驚いたのが半分、入ってきた人物を見て驚いたのが半分だった。

 しばらくして、樟脳臭い少し古い感じのパンツスタイルで出てきたルジアはひどく興奮しているようだった。おかみさんは苦笑いしながら後で、とだけいって本館のほうに戻っていった。客の朝食と早だちの客の送り出しのためだった。

「食事は台所においておいたから食べておいてくださいね」

 台所、は今時土間で、そこにテーブルをおいて膳がわりの盆で食事がおかれていた。正吾はそれが本館で客に出すのと同じとわかってお金かえせは少し言いにくくなったかな、と思った。

「いや、びっくりしたよ」

 ルジアはまだ興奮していた。死の淵からよみがえったときの不安そうな様子はすっかり消えていた。

「どうしたんだ」

 箸の持ち方からはじかみの扱いまで、食事の仕方を教えながら正吾は聞いた。

 ルジアが驚いたのはまた知ってる顔だったからだということは彼にもわかっていたが、それにしてもかなりの驚きようだった。

「あれ、乙世界の女神」

 彼女の告白に正吾は驚きもしなかった。非現実的な話が続きすぎていろいろ麻痺してたのだ。

「女神って一人だけ? 」

「いんや、忘れられたのも含めると何人もいる。男神もね。ただ、あの人は調停の女神として魔族にも人族にも信徒がいるんだ。神託の場で見たからよく覚えている」

「どういう神様なんだい? 」

 異世界の神様が旅館のおかみをやっているという。いっぱいいっぱいの彼はいたって平静に見えた。

「争ってる双方が調停を求めたら、神官をやって条件をつめ、合意したら三年の間、違反した側に天罰を与える役割ね。三年たったらさらに三年継続するか破棄するか選べるから、下手な調停を結ぶと三年後に大変なことになる」

 ルジアは焼き鮭をつまんで「あら何この魚、おいしい」とつぶやいた。

「勇者召喚と何か関係が? 」

「ジャイアントアントよ、あら、誤訳ね。大ありよ」

 握りばしで里芋をつきさしながらルジアは熱弁した。

「前の勇者にさんざんやられて結ばされためちゃくちゃ不利な調停がもうすぐ終わるの。わたしたち魔族がその更新を望むわけがないから、勇者をまたよんで力で同じかもっと悪い条件を飲ませにくるのよ」

「そいつはえぐい話だな。ところで前の勇者はどうしたんだ。三年だとまだ全然元気だろう? 」

「さあねえ。調停が結ばれたらすぐ姿を見なくなるからどっかに追い払われたんじゃないかな。残念だけど、召還術を作り上げた『構築者』の構築論文はほんの数ページしか手にはいってないから送り返せるのかどうかもわからないわ。やるとしたら、今回わたしたちがこっちに渡ったのと同じ方法だけど、人族側がそれを知ってるかどうか」

「その『構築者』について何か知ってる? 」

 正吾は味噌汁をすすってからそうきいた。

「知らないわよ。人族なのか魔族なのかもわからない。今は人族側が使ってるけど魔族側だって使いたいわ」

「それって人さらいするってことだぜ」

 あっとルジアは口を押えた。

「ごめんなさい。やっぱり異世界の人なんかまきこまず、自分たちだけで解決するべきよね」

「そう思ったからあんたは俺を殺しに来たんだろ? 」

「そうね、ごめんなさい」

「もうその気はないんだろ? だったらいいよ」

「ありがとう」

 食事は終わったが、主人夫妻はまだ帰ってこない。

 正吾は食器をざっとあらって干し、ルジアをさそって居間でテレビをつけた。

「うわぁ、なにこれ」

 映像を記録し、配信しているとざっくり説明すると彼女は魔法でできないかなとぶつぶついいだした。

「魔法、使えるのかい? 」

 もう驚かないぞという顔の正吾にルジアは苦笑を返した。

「この甲世界じゃ呪詛がひどすぎて一つも使えないよ。あんたたち、よく平気でいられるね」

「そういうルジアだって、だいぶ元気になってるじゃないか」

「強制的に鍛えられたのよ。急にきつくなって、死ぬかと思ったよ。生き延びたと思ったらすごく、そんな気になっちゃった」

「ああ」

 なんだか照れ臭くなって正吾は照れ隠しに鼻をかいた。

「いや、俺も避妊とか全然気がまわってなかって悪かった」

 迎え入れられた後は完全に理性がとんでいた。彼はいろいろ反省すべき点があったと思っている。

「あ、大丈夫。魔族の女は子供を作るときと作らないときを選べるから」

「へえ」

 この場はそんな風にしか反応できない正吾だった。

 とにかく情報量がおおくって理解が完全においついてない。

「ところであれはなにをやってるの? 」

 テレビを指さして質問されたので彼はほっとして説明をした。ルジアの質問はなかなか途切れなかった。

 ニュース番組で、世界のどこかで小規模ながらおきている戦争の話だった。


 昼少し前にようやく主人夫妻が戻ってきた。すっかりくつろいでいる彼らに夫はあきれ、妻は笑った。

「度胸があるのか、馬鹿なのか…」

「馬鹿でいいよ。まず、あんたがたのことを教えてくれないか? なんで宿泊客にあんなことを」

 正吾はある程度答えの予想がついている質問をした。想像はついているがはっきり聞いておきたかったのだ。

「見込みのある人を異世界に送り込むためだ。もし、こちらでおぜん立てしなければ誰が召喚されるかわからない。いなくなっても困る人がいないこと、ある程度頭がきれること、異世界に過剰な幻想をもっていないこと、そのへんが条件だ」

「そんな人さらい、やめさせないのか」

「どうやって? 」

 主人は首を傾げた。それは正吾のほうが聞きたいことだった。

「誰かを召喚の贄にできるのに、それを止める方法を知らないというのかい? 」

「こちらで発見したものでは、そこまでわからなかった。構築者の残した記録だが、こちらでどんな条件で召喚者が引き当てられるかを書いてあった。それじゃあ呼ばれる者を選ぶことまではできても、止めることができない。あとは召喚の開始を知るくらいだね」

 宿の主人は首をふった。

「もう一度いければ力づくでとめるんだが、私はもう追放された身だ」

「構築者の記録だと」

 ルジアが食いついた。主人の言葉が気になっていた正吾だったが、彼女の勢いに主導権をゆずってしまう。

「見せてくれ。わたしたちは構築者にあわなければならない。ヒントがほしい」

「その前に、あなたがたの話を聞かせてくれないかしら。まず魔族のあなたがどうやってここに来たのか知りたいわ」

 おかみさん、女神はにこにこしているが、目は笑ってない。ルジアはびくりとした。

「そ、それを言えば女神のあなたがなんでこんなひどい呪われた場所に」

「話してあげるからまず、あなたが話しなさい」

 気圧されたルジアは小さく「はい」と返事した。

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