第2話 ルジア

 女に触れたとたん、彼はどこからともなく多数の声を聞いた。

「召喚者認証」

「召喚者登録」

「変換門同調」

「門の人柱とのリンク確立」

「甲世界より乙世界へのブリッジ固定」

「固定失敗。再試行する」

「固定失敗。分析中」

「門の欠損を確認。修復術式検索」

「修復術式なし。応急処置および構築者メッセージ発見」

「応急処置開始」

「人柱の分割を確認。残殻が固定の障害となっていることを確認」

「残殻を破壊。人柱を召喚者の中に格納する」

「格納完了。人柱は自由に出入り可能」

「格納完了。人柱は召喚者と随意に感覚共有可能」

「格納完了。人柱が出ている間は甲世界、入っている間は乙世界となる」

「召喚者、人柱に警告。応急処置につきこの状態の継続には限界がある」

「召喚者、人柱に警告。継続限界の可視化に失敗。目安として五年を限界と考えてもらいたい」

「召喚者、人柱に警告。継続限界を超えた場合、両者ともに命を失う。ただちに構築者に接触し、正しい処置を受けられたい」

「重ねて警告する。君たちは危険な状態にある」

 声がやむまで、彼らは圧倒されていた。

 しん、と静けさが戻ってきた。降るような星空のもと、彼らは二人きりだということを思い出したようだ。

「聞きたいことはたくさんあるが、まずは自己紹介したほうがいいかな」

「そ、そうだな。わたしも同感だ」

 それで彼らはお互いに名乗りをあげ、なぜここにいるかをあかしあった。

「遠野正吾。今は無職だが元は会社員だ。ここには骨休みの旅行にきた」

「輝く翼の民の長、ルジアだ。ここには勇者の抹殺にやってきた」

 お互いに何をいっているんだ、という顔になるのもやむをえない。

「どうやら、その勇者とやらは俺のことみたいだね」

「そうらしいな」

「殺されるのは嫌なので、やるというなら抵抗するけど」

「おぬしがあちらに渡れば同胞が多数殺されるので申し訳ないが」

「いや、なんで俺が虐殺やる前提なの? 」

「勇者とはそういうものではないのか」

 話がかみ合ってない、おたがいそう気づくのはすぐだった。

「いや、いい」

 女、つまりルジアはため息をついた。

「どちらにしろ、今のわたしには無理そうだ」

 そしてぜいぜいあえいだ。かなりしんどそうにしている。

 こりゃまずい、正吾は目をそらした。変な気がおきそうだと思ったからだ。彼は自分を聖人君子だと思ってはいないし、据え膳食わないくらいに欲望に忠実だったがここでそんな気をおこすのはさすがに今後の自分の人生に影を落とすと思ったのだ。

「とりあえず、ここでちょっと休みな」

 彼は手を引いて銀シートの上に女を横たえた。覆いかぶさりたい衝動を抑え込んで毛布を一枚除いてかけてやる。とっておいた一枚は自分ではおって祠の前の石に腰掛けた。

 女はひゅうひゅう苦しそうに息をしている。何がどうなったのかずいぶんしんどいのを我慢していたようだ。このまま死なれるのも後味が悪いなと思うが、まだ暗いのではやみくもに抱えて下山というわけにもいかない。

 そもそもそこがどこか彼にもわからなかった。

「明るくなるまで動かないほうがいいな」

 さんざんな旅行になった。彼は星空を見上げ、そして暇なので祠をのぞいてみた。

 祠には格子状の扉がついていたが、南京錠は外れて脇に置かれていた。

 不審に思いながら正吾はあけてみる。

 星灯りしかない状態なので中は真っ暗だが、なにか白っぽいものがあるのはわかった。お札かと思った彼はそっと扉をしめようと思ってそうじゃないと気づいた。

 金属っぽい。強い好奇心を覚えて彼は手をのばした。

 取っ手らしいものをつかんでずるりと引き抜いたそれは刃渡り六十センチはある刃物だった。まっすぐで、両刃、幅は十センチくらいで広い。そして切っ先するどくしあげられていて昔の西洋で使われた剣のように見える。これだけの厚みと長さがあればずっしり重いはずなのだが、この剣は中空の軽金属でできているのか思うほど軽かった。

 引き抜ききったとたん、その刃が一瞬きらっと光った。まだ日ものぼらぬ時間だというのに、朝日でもあびてきらめいたかのようだ。

 そしてまた声が聞こえた。

「召喚者認証」

「所有権を登録」

「同調完了」

「鞘を形成」

 びっくりした彼は剣を放り出しそうになった。だが、手のひらにすいついて離れない。

「抜剣、納剣のコマンドワードをきめてください」

 続いて声が問いかけてきた。びっくりした正吾はそのまま「抜剣、納剣? 」

と聞き返したのだけど声にニュアンスは通じなかった。

「抜剣、納剣で登録します。ワードは思うだけで発動します」

 納剣、と彼がつぶやいてみえると剣は消えた。

 抜剣だと再び手の中にあらわれる。あらわれ方は切っ先から飛び出してくる感じなので何か障害物があれば刺さったり、押しやったり押し負けたりする。

「正直、いらない」

 彼はため息をついた。できれば収入はぎりぎりでも定時で帰れる仕事でのんびりしたいというのが本音だった。こんな軽くて役に立ちそうにない物騒なだけのものなどあってはこまる。

 彼は寝息がおちついてきた女を見た。容体は改善されているようだ。

「勇者、ねえ」

 ばかばかしいで片づけられたらどんなにいいだろう。趣味の悪いどっきり企画にしては変なところを盛りすぎている。変な夢で終われば一番いいのに、とこれが正直な気持ちだった。

 小一時間ほどして、女がもそりと動いた。

 憔悴はしていたが体力はだいぶもどったらしく、むくりと体を起こした。

 そしてすがるように男を見つめ、出迎えるように両手を広げた。

 その意味するところを理解しないほど彼はうぶではなかった。


 それから少し白み始めたころ、大型の懐中電灯と頑丈そうな杖をついた宿の主人が息を白ませながらあがってきた。

 主人が見出したのは祠の前で仲睦まじく話をしている一組の男女。

「ああ、くそ」

 主人は頭を押さえた。目論見がおかしなほうに転がったことがわかって、困惑していた。

「おぬし」

 女、ルジアが主人に気付いてその顔を見たとたん驚きの表情になる。

「おぬし、もしやテツヤか? 」

「知り合い? 」

 正吾はのんびりした感じで聞いた。口調と裏腹に彼は彼で一服盛ったと思われる主人夫妻をといつめたいとおもっている。

「あったことはないが肖像がのこっている。首のやけどで確定じゃ。こやつは六代前の勇者じゃよ」

「そういうあんたは」

 宿の主人は女をにらみつけた。

「魔族だな。それも、並の魔族ではない。なぜここにいる」

「そりゃあ、勇者を召喚すると聞いてな。おおかたわたしの首が目当てであろうから召喚の場に踏み込んでこっちに乗り込んでやったのよ。召喚前なら勇者もただ人ときいておったでな」

 挑発的に物申すのに、あのぜいぜい死にそうになっていた面影はない。

「一人で? 」

「いや、腕自慢の部下を連れてきた。よもやこんなところとは知らなんだでな」

 唇をかんで彼女は言葉を吐き捨てた。

「これほどひどい呪詛に満ち満ちた世界とはの。わたし以外誰も耐えられなかった。わたしも死にそうになった」

 ここで正吾が口を開いた。

「彼女、ルジアがこちらに踏み込んだおかげで召喚がおかしくなってしまったそうだが、もしそれがなかったらどうなってた? 」

「いや、どうにも」

「俺は魔王討伐を断れたのか? 」

 宿の主人は首をふった。

「召喚の柱となる者と強い結びつきを得るが、柱が望むことは普通断れない」

 そこで主人はルジアを睨んだ。

「柱はどうなった? 」

「たぶん死んだよ」

「と、いうことは召喚失敗か」

 主人は唇をかむ。

「そのへんだが、どこか落ち着ける場所で話をしないか? 奥さんの古着でいいから着るものをかしてやってほしいし」

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