第1話 出会い

「ぱっと使ってしまおう」

 そういって彼は旅行にいくことにした。

 理由は簡単。貯金がわずかにでもあると生活保護を受けることができない。以前の給与口座にはもう残金がないのだが、親が残してくれた口座が一つ残っていて、そこに少し贅沢な旅行一回分くらいのお金があることがわかった。でも、生活費の足しにしても二か月も持つようなものでもない。いずれにしろ、休みなしの二年にわたる勤務に彼は疲れ果てていたので、解雇された今こそ一つ骨休みでもしようという気になるというものだ。

 だから行き先はどこでもよかった。ぱらぱらガイドブックやウェブの案内サイトを見ていて、ある旅館のキャッチフレーズが気になってきめたのは偶然ともいえなかったのかも知れない。

「まるで異世界のスローライフのような」

 なんていまどきなキャッチだろう。彼はそう思った。しかし、添付された写真を見てそこにすることにした。

 旅館といっても民宿に毛の生えたような古民家で囲炉裏のある母屋を中心に蔵や納屋を改造した客室、離れを改造した大浴場、渓流に向かって通じる道の先には小さな滝を備えた露天風呂と雰囲気は結構よいところだった。

 値段は高いほう。だが男は気にしなかった。行って帰って使い切れるくらいの額になればそれでよかった。予約が取れない可能性もあったけど、彼はついていたようだ。

「ようこそおいでくださいました」

 初老の宿の主人は表情こそ穏やかであったが、迫力のある顔をしていた。その原因はおもに右ほほから首筋にのこったひどいやけどのあと。焼き鏝であてられたようなそのひきつりが見るものをひるませた。

「ああ、これですか。お見苦しくてもうしわけないですね」

 彼の視線に気づいて主人は苦笑した。ぶしつけなことをしてしまったと慌てる彼に主人はにこにこ大丈夫ですとフォローした。

「若いころにちょっと危ない目にあいましてね。命があっただけもうけものでした」

「お荷物お持ちしますね」

 後ろからかけられた声に振り向くと、だいぶ白くなった髪を結ったおかみさんが微笑んでいた。夫婦でやっているとガイドにかいてあったので奥さんで間違いないようだったが、目が大きく少しほりが深く、エキゾチックでおそらく外国の人だと思う女性だった。こちらに来て長いのか、言葉にまったく外国訛りがない。

 宿泊客は彼を除くと歳の離れたカップル、男二人女二人の学生っぽい若者のグループ、それに三十路にははいってると思われる落ち着いた女性の一人客。この宿ならこれでも満室になる。

 食事は八人で囲炉裏を囲んで膳のものをいただく。見知らぬ同士で会話がすすまず、グループの中だけで騒がしくなりそうではあるが給仕するおかみさんは見知らぬ同士に通じそうな話題を振ることにたけていた。

 ある程度は宿帳などでわかるが、つけていた装身具や身なり、仕草からもいろいろ見抜く観察の達人で、後ろ暗いところのある客は後で気づいてぞっとすることもあった。

 先日までブラック企業に勤めていたこと。会社が夜逃げして仕事を失ったこと。彼はそこまで話してしまったことに気付いた。今は次の仕事を探すまでの充電期間だと嘘半分まじえて言ったが、しばらくは仕事を探す気はない。

 いずれそうするかも知れないが、見つかる職場はやはりブラックだろうとあきらめているのだ。

「いっそ異世界にでもいってみたい? 」

 変なことを聞くな、と彼は思った。

「あはは、そんなものがあるのなら行ってみてもいいかもしれませんね」

「なんでしたっけ。チートとかすごい能力をもらったりするんですよね」

 主人が食い下がってきた。

「ライトノベルというやつですね。でもねぇ、スキルかなんだか知りませんが、いきなりずぶの素人が修練した玄人の動きを上回るなんて無理です。体は動くかもしれませんが、きちんと見て、どう動かすのがよいかのイメージをもてて、その通りに動く体を持つのが本来の技術です。体が動いても状況判断とチェスや将棋のような手の組み立てが一瞬でできるような経験と学習がないとちょっとね」

「おや、お客さん、武道かなんかの御経験が? 」

「生兵法ですよ。男の子ならそういう時期があるでしょう? でも、ちょっとかじってあきらめました」

 この時、宿の主人とおかみさんが小さく目配せしたのを彼は見逃していた。少しビールがはいってふわふわしていたためだ。

 だから、一服もられたことには気づかなかった。


 そのころ、遠い遠いどこかでは金属と金属のかみ合う不愉快な音と時折肉を割る重く不吉な音がこだましていた。

「やつらを通すな」

 叫ぶ指揮官らしい男の首が次の瞬間ごろりと落ちて重い音を立てた。

 黒ずんだ鱗に全身を覆われたトカゲ人間の戦士が無骨な大鉈をひょいとかついで後ろに手招きする。

 一見、キリギリスかと見まごううずくまった精悍な小鬼、体の急所を直接縫い付けた鉄板で守り、全身に油を塗った無毛の鬼がこん棒をかつぎ、バスカビル家の犬とはこうであったかと思うような燐光につつまれた獰猛で巨大な狼を従え、額にまばゆくトパーズのような宝石を植えこんだ女が現れた。魔法なのかゆらゆらゆらぐ幾重もの衣を無造作にひっかけ、体の線が見えない。

 兵士たちが守っていた大きな扉を押し開け、彼らは円形のホールに踏み込んだ。

 魔法の光の描く十二芒星が空中に浮かんでおり、その頂点に一人づつの神官とおぼしき人間たちが祈りのポーズのまま動けなくなっている。

 その中心に真っ白で裾のやたら長い衣装を着て、魔法の光を放つ冠をかぶった美しい少女が立ち、両手を広げて侵入者たちをとめようと蟷螂の斧をふりあげるようにきっとにらみつけている。恐怖に震えているのがよく見えた。

「悪しきものよ、ここはあなたのいる場所ではありません」

 震える声で彼女は叫んだ。だが、女は軽蔑するようにふっと笑っただけだった。

「門の娘よ、生贄の少女よ、勇者の慰み者とさだめられしものよ」

 女は朗々と彼女のことを呼ぶ。そして十二芒星の中へ踏み込んだ。その光の線に魔に属する彼らがふれることはできない。少女はそう確信し、笑いを押し殺した。

 だが、女の指に何か光の輪が現れると聖なる光の線はあっさり彼女と配下たちを通してしまう。少女の顔がたちまち恐怖でゆがんだ。

「お帰りください」

 気丈にそう抗議するが、声は消え入るようにかぼそい。

「悪いが、通らせてもらうぞ。呼ばれる前の勇者様に用事があるのだ」

 少女は目を見開いた。神官たちは動けず、顔をあせりにゆがませるばかり。

「勇者さまも自分の世界じゃただの人だってな」

 彼女につきしたがう魔物たちが下品に笑った。

「なりません」

 そう抗議する彼女の胃袋のあたりに女は手をかけた。そして小さくここだ、とつぶやくと両腕を広げた。

 少女の体が裂けた、そうも見える瞬間だった。だが、その体は二つに割れて広がり、半分づつの顔にはもう意識はないようだった。

 その縦長の穴の向こうには闇が見えた。どこかの山の中なのか、木の葉のこすれあう音、そして彼らには聞きなれない虫の声が聞こえた。

「行くぞ」

 女は穴をくぐった。魔物たちも続いた。一体くぐるたびに二つにわかれた少女の口から苦悶のような声が漏れた。

 穴の向こうでなにがあったのかわからない。ただ、一時間近くそのままそこにあったが、何かが途切れたらしく不意に閉じた。

 あとにはこと切れた少女と力付きてばたばた倒れた神官たちの体だけが残っていた。事態に気付いたものたちがおっとりかけつけるまでさらにしばらくの時間が必要だった。


 夜風に顔を撫でられて彼は目を開いた。

 夕食のあと、部屋にもどるとひどく眠くなったので横になったところまでは覚えていた。日ごろの疲れがここにきてどっとでたと思っていたのだが、もしかしたら間違っていたかもしれないと思った。

 夜風を感じるはずだ。彼は外にいた。

 キャンプ用の銀シートの上に浴衣のまま転がされ、寒かろうと毛布を何枚かかぶせられている。

 満天の星空の下、山の小高い所に切り開かれた場所。広さのわりに小さな祠がその中心にあって、彼はその前に横たえられていた。

 何事かと思ったかれは次に二つのものに気付いた。

 焚火でもしたのだろうか。焦げ臭い黒い消し炭の山がいくつか風に吹き散らされて消えていく。

 そして彼のほうに手をのばす一人の見慣れない女。

 黒い衣服をつけているがそれがぼろぼろで性的暴行を疑うような姿。顔は宿のおかみを連想させる異国風の美女。

「おのれ、おのれ」

 彼女は何かを罵りながら彼に手をのばしていた。助けを求めているように見えた。

 だから、後ずさってにげたほうがいいのだろうけど彼はその手を取った。

 これが彼らの出会いだった。

 

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