第8話、文学とは


 詩が「文学作品のうち、韻律を持つもの」であるのなら、それが扱う範囲は文学が扱う範囲と同じであるはずです。古くは神話に始まり、戯曲や小説を経、果てには日記や随筆、箴言アフォリズムまで。その領域はとどまることを知りません。

 でも、気になりませんか? ――「文学」の定義は何なのか。それが分からなければ詩の限界線を知ることができないのですから。この世界には、フローベールの『紋切型辞典』(注38)や文芸評論、ノンフィクションや歴史の記述、哲学書のような、文学として分類してもよいかどうか悩ましい分野があります。

「文学」という言葉の定義を辞書で引くと「(1)言語で表現される芸術作品。詩歌・戯曲・小説・随筆・評論など。文芸」とあります(注39)。では芸術とは? 同辞書では「人間が心に感じたことや思想などを、さまざまな方法・様式によって、鑑賞の対象となる美的な作品として作り出すこと。また、その作品。絵画・彫刻・音楽・演劇・舞踊・文学・建築など」と。となると、ただ歴史や思想を書くわけにはいかないのです。「美しく」というもう一つの条件が付きますから。

 ですが、これは本当のことでしょうか? 「美」が芸術を芸術たらしめる唯一の条件であるのでしょうか。一部のWEB小説には美しいと讃えるには余りに俗っぽく、娯楽性に舵を切っている作品があります。また、風刺詩のようなジャンルは「美しさ」によって成り立っているのでしょうか? そう考えると、この定義にはどこか不足があるように思えます。

 私は、この不完全さの理由は二つあると考えました。まず一つの定義でそれを括ろうとしたこと、そして、時代の変遷による定義の変化を考慮していないこと。詩は、過去の定義に積み重なるようにしてその裾野を広げていきました。文学もまた、降り積もり、積み重ね、巨大化しているのではないでしょうか。

 私は「美しさ」という言葉と同時に「遊び」という言葉でも捉えることを考えています。また「儀式」という言葉を加えてもいいかも知れません。少なくとも、美にすべてを任せるには、文芸は多様に過ぎるのです。言葉を用いた切実な訴えや批判でさえ、詩になり得るのですから。

 また、ここで気を付けなければならないのは「詩は文学と音楽にまたがっている」ことです。もし詩の内容が「ばかばかおたんこなす……」のような中身のないものであっても、完全な学術論文であっても、韻律を美しくすることに成功し、音楽面における芸術性を与えることができれば「詩」と言えるかどうかはともかく「芸術」と言い張ることは容易くなるのです。ですから「この作品とこの作品は芸術である。ならば、これらの作品が属するこのジャンルも芸術である」と考える方法は望ましくないでしょう。


(注38)フローベール 著 小倉孝誠 訳「紋切型辞典」(2000年11月16日 第1刷発行)

(注39)注17に同じ


 その他の参考

「文学 - Wikipedia」出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%87%E5%AD%A6(2022年3月13日参照)

「芸術 - Wikipedia」出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8A%B8%E8%A1%93(2022年3月13日参照)

「遊び - Wikipedia」出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%8A%E3%81%B3(2022年3月13日参照)

訳者 松本仁助 岡道男「アリストテレース 詩学・ホラーティウス 詩論」(岩波書店 1997年1月16日 第1刷発行)

訳者 牛島信明 オクタビオ・パス著「弓と竪琴」(岩波書店 2011年1月14日 第1刷発行)

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