第7話、自由詩


 さて、韻律の鎖から解き放たれた自由詩ですが、それは即ち音楽性を捨てることではありませんでした。むしろ定型詩という安住の地を去った詩人たちは、今まで以上に詩の音楽性の根源を捉えようとやっきになったのです。自分たちが今まで韻律によって補ってきたものは何か、そしてそれを代用する手段はないか、と。

 オクタヴィオ・パスの主張によるならば「詩のリズムとイメージは切り離すことができない」のです(注33)。異なる音色を用いれば、詩が暗示する意味も変質し、異なる内容を表すのならば、同じ旋律に頼ることはできない、ということです。

 雑に言うなら、メロディーと歌詞が合っていないのはよくない、ということです。悲しい気持ちを歌った詩の文体がやたらと陽気であるのなら「平気なフリしているのかな」とか「悲しい気持ちは嘘なのかな」と解釈の方向性が変わってしまいますから(それをうまく活用することも手段の一つではありますが)。適宜、音楽性にまつわる修辞を使い分け、使いこなす必要に迫られたんですね。

 そういう訳で、自由詩の音楽性に影響を与える修辞技法を幾つか紹介していきましょう。

 まずは「行分け」。例えばこういう

 風に、本来

 一行で書けるものを

 複数の行に分割して書くことで、

 休止を生み出す役割を持ちます。韻律を持たない文章においても、文章というものは基本一方通行に読むものである以上、読んでいる人が感じるスピード感や調子はあります。そして、谷崎潤一郎が『文章読本』(注34)で「調子」について解説を行っているんですが、二つだけ代表的な調子の類型を挙げていきましょうか。

 まず「流麗な調子」。これは七五調や行分けのような休止を活用するタイプの文体とは対極に当たる文体でしょう。休止という「区切り」を削り、文章の切れ目をぼかしていく調子です。人によっては一文が長いせいでだらだらと感じることもありますし、休止が少ない分言葉がもの凄い勢いで流れていくように感じる人もいます。

 次に「簡潔な調子」。句点や短叙法を駆使し、テンポよく、かつ読み上げやすい文体を生み出す調子です。こちらは一般的な詩の文体に近いのではないでしょうか。しかし、定型詩のような厳然たる秩序はありません。草野心平の『富士山』(注35)などのような作品ではこれが活用されています。

 なお谷崎潤一郎は他に三つほどの「調子」を紹介していますが、ここで引用することはありません。話は変わりますが、彼は同書で調子のうち「純粋に一方に属している作家は少い」と語っています。同じ文章の中でさえ、流麗な調子と簡潔な調子が入りまじることはありうるのですから。むしろ、それはそれで「多角的で変化に富む」ので「それぞれ美点があ」るとのこと。

 また「反復」の技法も自由詩でよく見かけられます。。萩原朔太郎の『竹』(注37)などが優れた例でしょう。律動や押韻、対句などと比べて気軽に用いることができるため、そして非規則的なために自由詩と相性がいいんですね。

 倒置や体言止め、「て」止めなどの、構文を工夫する修辞技法も頻用されます。構文を変えれば読者が脳内に思い浮かべる映像が組み立てられる順番も変わりますし、助詞を削ったり加えたりすることで音に余韻を与えることができますから。

 あまり話題には上がりませんが、リポグラムも効果的な修辞技法です。これは特定の音を使わない「あや」なのですが「sの子音を完全排除」とかまで徹底的でなくともいいんです。作品と合わなそうな音素を「なるべく」使わない。それだけでも詩の耳障りと雰囲気は変わるでしょう。第5話で紹介しました三好達治による『千曲川旅情の歌』の分析から考えられる「特定の音素を多用する」技法はこれの対偶と言えますね。

 さて、次の話からは、詩が扱う「内容」ごとに詩の解説をしていきましょうか。


(注33)注3に同じ

(注34)谷崎潤一郎「文章読本」(新潮社 平成二十八年八月一日 発行)

(注35)注6に同じ

(注37)注4に同じ

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