暗闇のなかを懐中電灯片手にゆっくりと歩いていくような、そんな丁寧な勇気に満ちた詩論だと思います。
第1話で「詩とはなにか」という問題を掲げますが、すぐに「詩の定義の難しさ」を認めます。
そして第2話以降では、詩に含まれる要素、もしくは詩で使われるテクニックを論じることで、言わば外堀を埋めるように《詩》というものの正体を突き止めていくかのようです。
「詩とはなにか」という回答困難な問題に対して、「詩と呼ばれる作品にはどのような要素が技法があるのか」という迂回路から真理を導き出そうとすること。
私は実は詩がメチャクチャ苦手なので、単純に知識の面でも勉強になっているのですが、それ以上のなにかがこの詩論にはあると感じました。続きも応援しています。
作者からの返信
おしゃれな上に読みの深い応援コメント、ありがとうございます。
私自身、この詩論を書きながら「あれ……これってこういうことじゃん!」と気付くことが多いんですよね。「詩って何?」「韻律を持つ文学作品、または……」「じゃあ韻律って何?」って風に掘り出しながら書いているので。
この詩論の方法というか、目的のひとつとして「詩を分析し、分析したものを総合すること」があります。それは多分、籠原さんがおっしゃる「《詩》というものの正体を突き止め」ることと同義なんですよね。
この暗い迂回路が現状私が辿れる最短ルートと思うと、途方に暮れそうになると同時に、どこかワクワクするものがあります。
「それ以上のなにかがこの詩論にはある」、そう感じてくださったのなら、この詩論が果たすべきことのうち幾つかは果たせているのでしょう。もっと、もっと詩の奥底を探っていけたらと思っています。
応援コメントを読んで、今まで言語化できなかったものが頭の中でまとまったように感じます。ありがとうございました。
和語、漢語、西洋語(英語や仏語)、さらには和製英語などなど。日本語の多様性もまた詩に活きていくのですね。おもしろい!
作者からの返信
コメントありがとうございます!
そうですね。ヨーロッパの詩ではラテン語由来の語とゲルマン語由来の語を使い分ける修辞が用いられるんですが、日本語の場合、和漢欧の三つが色濃く揃っているので、もっと複雑なことができそうで、夢が広がります。