第21話

 穏やかな日々を過ごし、一年を経とうとしている。エディ、サイラス、そしてレオと攻略対象者との関係は悪いものではなく、断罪イベントから死亡エンドに繋がるイベントは発生しなかった。これはもう、ストーリーから外れたと思っていいかもしれない。

 そもそも私は周りから『悪役令嬢』と言われることはなくなったし、その悪役令嬢と対立するヒロインがそもそもいないのだ。舞台役者が揃っていなければ開演もできない。そういうことなのだろう。

 だから死亡エンドに怯えることなく、学生としての生活を満喫していた。学べるときに学んでおかないと、時間はそう多くあるわけでもない。せっせと真面目に授業を受け、領地と屋敷を行き来するお父様に色々と尋ねたりして文学に励む。そして時折、友人と遊んで息抜きをするのも忘れない。本当に面白いほど前世と同じような学園生活だった。

「カトレア」

 レオも随分と変わった。今では生徒によく囲まれているし、それに対し嫌がるような顔をしなくなったのだ。一年前だったらきっとエディに任せて一目散に逃げていた。周りすべてが敵ではないと学んだ彼は、積極的に交友関係を広げようと日々頑張っている。ただたまに、ものすごい人に当たってげっそりしているときはあるけれど。そこは上手い具合にエディがフォローしてくれているようだった。

 そんな彼が落ち着いた声色で私を呼び止め、笑顔で振り返り待っている彼の元へと歩み寄る。いつも昼食を食べている場所とはまた違う中庭。最近レオとお喋りするときは大体この場所だった。椅子に座る彼の隣に同じように腰を下ろせば彼は穏やかなまま、話を切り出した。

「以前カトレアが言っていた答えを見つけたんだ」

 知っている。この一年間変わろうとしていたレオを間近で見てきたのだから。それにほんの数日前にその女性から挨拶もされた。私がアルストロ家の人間と知っていながら物怖じせず、「王子と仲良くさせてもらっています」と丁寧に。上品で落ち着いた雰囲気のある女子生徒は乙女ゲームのキャラではなかったけれど、それでもレオが自分で選んだ女性なのだ。一体誰が何の文句を言えるだろうか。

 この場所によくレオとお喋りするようになったのもそれについて色々と相談を受けていたからだ。どう話を切り出すのがいいか、何をやったら失礼に当たるのか。その辺りまったく知らなかったレオに一つずつ教えていたのがエディではなく私だ。女心をエディに聞くのもおかしな話だろうから。

 ほんの少しだけ申し訳なさそうな顔をするレオに、そんな顔をする必要はないとゆるく頭を左右に振る。負い目に感じることなんか何もない。

「それではレオ王子――婚約破棄を致しましょう」

「ああ」

 お互い納得できる形で、ようやく一年前の話に決着をつけることができる。

「今までありがとう、カトレア」

「王子の幸せを願っています」

 手を差し伸べれば、私よりも大きな手が重なりギュッと軽く力が入る。すっきりとした面持ちで去っていく王子の後ろ姿を見つめながら、きっとこれからこの場所で二人でお喋りすることは今後、一切ないのだろうなと上げていた口角を下げた。

 情けない。私が。

 私を待っているフリージアのところへ行こう。中庭で待っていて欲しいと言って、彼女は快く承諾してくれた。少しそわそわしているかもと思いつつ急ぎ足で向かってみれば彼女の姿が見えて、心底ホッとした。

「カトレア」

 手を振るフリージアの元へ足を進め、目の前で立ち止まる。どうしてこんなときばかり、まるで門出を祝うかのように爽やかな風が吹いているのだろうか。なんだか少しこの風が憎たらしい。

「フリージア、私」

 鼻がツンと痛いし、声も震えてしまう。情けない姿は見せまいとここに来るまで我慢していたけれど、フリージアの姿を見た途端それは呆気なく脆く崩れてしまう。視界がじわりと滲み、自分がこうなってしまう原因になった王子が少しだけ恨み言を言いたくなった。そう思ってしまうのは完全なる八つ当たりでしかないけれど。

「私、自分で思っていた以上に、レオのこと好きになってたみたい」

 喋る度に言葉が詰まる。涙を止めようとするために自然と鼻息も荒くなって、もうきっと今みっともない顔になっているに違いない。

 一年間、私なりにレオを支えてきた。そうしてレオの新しい一面を見るたびに可愛らしく思い、愛着がわいてしまった。完璧に自覚したときには、レオはすでに別の誰かを想っていた。仕方がない、婚約破棄を強く望んでいたのは私。そんな私を見て自分も変わろうとしていたレオ。

 でもまさか、自分がレオを好きになるなんて。そんなこと、計算外だった。

「レオの好きな人、すごく素敵な女性だったわ。きっとしっかりレオのこと支えてくれる」

「カトレア……」

「ごめんね、フリージア。こんな、情けない姿っ……」

「情けなくない! 情けなくなんてないよ……!」

 それに、と何か言いづらそうにしているフリージアに情けない顔のまま首を傾げる。どうしたのだろうと思っていると、フリージアもボロボロと涙を流し始めた。

「カ、カトレアがつらいときにごめんねっ……わ、私ね、クラークさんにフラれちゃったの」

「……えっ?!」

 一瞬にして涙が引っ込んだ。フリージアは徐々にだったけれどクラークさんとの距離を縮めようとしていて、休日二人が一緒にいるところもよく目にしていた。恋愛に歳の差なんて関係ない、二人の姿を見ながらつくづくそう思っていたのに。一体どうして、とつい言葉がこぼれた私にフリージアは泣きながらも必死に言葉を綴ろうとしていた。

「『妻を忘れることができません』って、言われちゃった。そうよね、あんなに素敵な人、結婚していないわけないもん」

「……そしたら私たち、二人してフラれたってこと?」

「……そういうこと?」

「フフッ、なにそれ」

 友人同士同時にフラれるなんてレアすぎる。目を合わせて一度吹き出して、そしてお互いに身体を引き寄せて抱きしめた。転生者だから中身は周りの同年代に比べて少し年上だけれど、でもつらいときはつらいし泣きたくなるときもある。

 お互いわんわんと声を上げて泣いた。近くを通りかかった生徒が何事かとびっくりしていたけれど、それに気にすることなく。

 そうして私たちの婚約破棄が正式に決まったのは、夏休みに入るほんの数日前だった。


 夏の長期休暇はフリージアと一緒にアルストロ家の領地に向かった。もちろん楽しく遊んだりもしたけれど、私は約半分お父様のお手伝い。正式に婚約破棄が決まったから私も本腰を入れる必要があった。

 ただ困ったのは夏休みが終わったあとだ。婚約破棄を正式に発表していたため、長期休暇が終わったあとにこぞって自分の婚約者にと近付いてくる人間が増えてしまった。多分彼らが望んでいるのはアルストロ家という名のブランド。何の下心も策略もなしに近付いてくる貴族などいやしない。

 取りあえずそんな人間にはにっこり笑顔で「私よりも優秀な成績を収めてください」と言えば大体が脱落する。アルストロ家の跡継ぎを狙っている私に学力で敵うと思うなよ、と私だって内心闘争心を燃やしているのだからそう簡単に負けやしない。

 けれどそんな私以上に苦労したのは、レオのほうだった。婚約破棄を発表していてもレオは彼女のためにと交際している相手の名を伏せていた。それが裏目に出てしまい、令嬢たちがこぞってレオに言い寄っているのだ。この一年間成長をしたとは言っても、その状況はレオが大の苦手としているもの。頭を抱えているよという知らせはエディから聞いたけれど、今の私にできることは何もない。

 婚約破棄をしてからレオと二人きりで喋ることはなくなった。もちろん、円満に破棄をしたのだから廊下ですれ違えば挨拶ぐらいはする。でもなるべくレオとの接触を避けようとしているのは、失恋したということもあるけれど相手の女性のことを思ってのことだ。

 一体誰が自分と想いを寄せている相手が他の女性と仲良くお喋りをしていて楽しいと思うだろうか。心の広い女性のようだったけれど、だからと言って傷付かないというわけでもない。そんな彼女のことを思うと、元婚約者だからと言って気兼ねなく話しかけるのは間違っている。

 そう思い行動していたら、話しかけられたのは私ほうだった。

「あの、カトレアさん。私に遠慮してレオ王子に話しかけないなんて、そんなことしなくていいんですよ? レオ王子も悩みがあったとき、カトレアさんに相談をしたいように見えましたし……」

 そんなこと言われるとは思っておらず思わずびっくりして目を丸くしてしまったけれど、それも苦笑に変わる。

「それはもう、私の役割ではないもの」

「けれど……」

「王子のことを支えてあげてください、お願いします」

 それはもうあなたの役目だと、頭を下げれば彼女は慌てて私の頭を上げさせようと必死になっていた。彼女は平民で私は公爵の娘、もし周りに見られてしまったらと慌てる声に頭を上げる。確かにこんなところを見られてしまえば彼女の立場が悪くなってしまう。

 ごめんなさいと苦笑してみれば大きく頭を左右に振る彼女に、彼女ならばきっと大丈夫だと安堵する。こんな献身的な女性が傍にいれば、王子も今後しっかり立つことができるだろう。民に寄り添う立派な王になれるはずだ。

「カトレアさん、図々しいとは思いますが……私があなたに相談することは、可能でしょうか」

「もちろん! 何か困ったことがあったらいつでも相談してください。出来る限り力になります」

「……ありがとうございます!」

 パッと顔を輝かせて喜んだ彼女に、ほんわかと心があたたまりながら私も笑みを浮かべる。敵いっこないわ、こんな素敵な女性に。

 そしてまた一年となり、日々は過ぎていく。三年生となった私たちはあたたかい日差しの中無事卒業を迎えようとしていた。もしここが日本であれば桜が満開だろうけれど、残念ながらこの国に桜は植えられていない。

 卒業式ぐらいはと乙女ゲームのキャラたちと顔を合わせた。もちろんレオとも。元気に、とお互い短い挨拶を交わして相手の検討を祈るための握手をする。フリージアは寂しくなると泣き、サイラスの目も少し赤くなっている。エディはいつもと変わらなかったけれどなぜか私をジッと見ていた。きっと、私の気持ちに気付いていたのだろう。

 そうして悪役令嬢だった私が断罪イベントを越え、死亡エンドへのイベントを発生させることもなく。無事『キラメキ☆ハピネス学園!』は終わりを迎えた。

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