第22話

 ザッと辺りを見渡してみる。休憩時間が終わったため呼びに来たのだけれどその姿が見えない。まぁそう見つけやすい場所にいるわけないかと馬から降りて手綱を握りしめたまま歩き出す。よくよく見てみれば、あの木の影のところに人影が見えた。

「休憩時間終わったわよ!」

「えっ?! あ、ごめん、私行くね!」

「うん」

 私の声に慌てて隣にいる男性に挨拶をし、彼も穏やかに頷く。パタパタと走ってくる姿に呆れ顔になりつつジッと彼女の姿を見た。

「逢瀬はいいけれど時間は守ってちょうだい」

「ごめんなさ~い! カトレア、許して?」

「友人としては許してあげるけれど、あなたの上司としては許さないわ。あとでメイド長にも報告するから」

「ひ~! スパルタ!」

 涙目になりつつもあまり反省している顔をではないフリージアに苦笑し、馬に乗るように促す。馬の傍に立ったけれどまだ一人で乗ることができないフリージアに手を貸して上げて、彼女が乗ったのを確認して私もヒョイッと飛び乗る。

 学園を無事卒業したあと、私はお父様と一緒に首都を離れ領地に戻った。今までなぜお父様が首都に居を構えて領地を行き来していたのか、そんな時間がかかるようなことをと思っていたけれどどうやらそれは私のためだったらしい。王子の婚約者である娘を屋敷に一人で置いておくには護衛に不安があり、また王族との間の太いパイプを見せつける必要があった。けれどそれも婚約破棄と共にわざわざやる必要がなくなったため、私の卒業を待ってそしてこうして領地に戻ってきたということだ。

 フリージアの就職先はアルストロ家のメイドだった。ヒロインでなくなったため玉の輿もなくなり、就職先に困っていたところ私が声をかけた。別に今いるメイドに不満があるわけではない、ただ何かあったとき悩み事を打ち明けることができるのは今の私にとってフリージアしかいなかった。もちろん、フリージアが他にやりたいことがあるのであれば無理強いはしない。そんな言葉を付け加えて提案してみると彼女はすぐに頭を縦に振った。給料もよく、メイドの服も可愛いという理由だったけれど。

 そして私と共に領地に来てくれたフリージアだけれど、家族も一緒に領地に移ってきた。離れ離れは寂しいだろうし、領地には空き家もある。このまま使われないで取り壊すか朽ちてしまうよりも、誰かに使ってもらったほうがいい。お互いWin-Winになることだしと相談してみれば、まずは弟と相談したいとの言葉に頷いた。まだ小さいけれど学園に通う歳になれば、首都にいたほうがいいんじゃないか。フリージアのそんな考えに家族会議が行われたようだけれど、弟さんは寧ろ大自然のほうが好きでこっちに行きたいと真っ先に言ってくれたそうだ。

 私たちが卒業して三年が経ち、私たちも二十歳を越えた。最初こそはメイドの仕事を覚えることに四苦八苦していたフリージアは、その人間性もあって今やメイドたちと随分仲良くやっている。

「ねぇ、本当にメイド長に報告するの?」

「時間厳守、社会人として当然のことでしょ? 上司の私は部下の指導もきちんとしないと」

「……カトレアって、前世でもしっかりとした人だったんだろうな~」

「その代わりちゃんとホワイトでしょう?」

「確かに! サービス残業なんてないし、ちゃんと休みもある! そこは本っ当に感謝してる!」

「ふふっ、そしたら午後も頑張って働きましょうね」

「はーい……」

 屋敷からそう離れた場所でなかったから、そこまでメイド長に叱られることはないと思うけれど。フリージアをメイド長の目の前に送り届けるべくパカパカと馬を走らせる。

 あの日、お互い失恋してからフリージアは随分落ち込んでいたけれど、実はこっちに来てからさっき一緒にいた青年とうまくやれているようだ。最初こそ「枯れ専の私には守備範囲外」とか言っていたけれど、徐々に絆されていったようで。今では休憩時間があればああして彼のところへ会いに行っている。

「どう? 彼とはうまくやれてる?」

「え? う、うん。なんていうか、ものすごく私のこと大切にしてくれるんだよね……べ、別にときめいてるわけじゃないんだけどね?!」

「なに? ツンデレなの?」

「違うのー! もう! 恥ずかしいの! あんな甘酸っぱいの久しぶりすぎてっ」

「あははっ、よかったじゃない!」

「うぅ~……! 恥ずかしい……!」

 ヒロインらしく顔を真っ赤にして恥ずかしがっている姿は、残念ながら彼女は私の背中にいるから見ることができない。でもきっと顔どころか耳も首も真っ赤になっているに違いない。

 屋敷に着いて馬から降りるフリージアに手を貸す。ありがとう、と覚束ない感じで馬から降りる彼女に微笑ましく思いながらも、フリージアはさっきの会話を止めることはしなかった。

「カトレアは、その……新しい恋とかどうなの?」

 恋ね、と小さくこぼしながら厩務の人に手綱を渡しフリージアと共に歩き出す。

「お父様の手伝いでそんなこと考える余裕はない、かな」

「……そっか。カトレア忙しそうだもんね。無理はしないでね?」

「ええ、ありがとうフリージア。さ、メイド長のところに一緒に行きましょうね」

「綺麗な顔でしれっと言ったね?!」

 叱られることがわかっているため渋っているフリージアの腰をグイグイ押す。遅くなればなるほどお説教の時間が長くなるということに気付いていないのだろうか。

 無事フリージアをメイド長の元へ送り届ければ、まずは私の手を煩わせたことでお叱りを受け時間を守れなかったことにもお叱りを受け、罰として床掃除を一人でするようにとペナルティまでもらっていた。涙目で私に訴えてくるフリージアに笑顔で返す。ここで甘やかすわけにはいかない。

 あとはメイド長に任せるとして、私も資料を手に持ってお父様のところへ行く。ノックをすればすぐに戻ってくる返事に迷うことなくドアを開けた。

「お父様、北部の水路ですが滞りなく進んでいるようです。それと――」

 ある程度の報告を終えれば顔を上げたお父様から色んな確認等を聞いて、そしてそれを素早くメモする。実は子を大切に想ってくれる父親だけれど、上司としての一面はまさに尊敬そのものだ。こんな上司が前世にいてくれたらと切に願ってしまうほど。だから今の職場――と言っていいものかどうか悩むけれど――の環境は仕事をする上で申し分ない。責任のある仕事に重圧を感じないわけではないけれど、だからこそ背筋が伸びる。

「明日は西のほうの視察に行ってまいりますね」

「ついでに近くにある橋も見てこい。ここのところ雨が続き地盤が緩んでいるだろう」

「わかりました。不備がないかどうかの確認をしてきます」

「ところで、カトレア」

「はい?」

 色々と書き込んでいたため視線は手元に下ろしていた。父の声で顔を上げればその手にはぴらりと一枚の紙。なんだか見覚えのあるもので思わず顔を歪めた。

「来ているぞ」

「あー……久しぶりに来ましたね」

 それは婚約申し入れの手紙だろう。こっちに来てから何枚か貴族から送られてきていたがすべて断っていたため、ここ最近は来ていなかった。

 確かに私は令嬢として結婚適齢期は若干過ぎてしまった。そもそも王子の婚約者だったというのに婚約破棄になり、ある意味「傷持ち」となったためそんな令嬢に婚約を申し入れる物好きはそうはいない。いたとしたら余程アルストロ家に入り込みたい輩か。そこに純粋な気持ちなんてものあったものではない。

「読まないのか?」

「今は色々と学ぶことに必死で、余裕がございません」

 断り文句だ。手紙が来る度にそう言っている。だから今回も息を吐き出しつつそうお父様に言うと、いつもと同じように「そうか」とその手紙は机の上にパサリと落とされた。めずらしい、いつもは真っ先に燃やすかゴミ箱行きなのに。

「暇なときにでも読むといい」

「はぁ……」

 ということは、相手はお父様にとって不利益な人物ではないということか。面倒だなぁ、と口には出さずに顔に出してそのままお父様の書斎から退室した。家のために娘を利用する、なんてことを堂々とするわけではないけれどまったく考えていないというわけでもない。そこが父の強かなところだ。

 学ぶべきところね、と独りごちて自室へ足を向ける。報告を終えたから今日の仕事は終わり、というわけでもない。明日視察に行くためその準備と、そして村の人たちに何かを聞かれたときのための資料作り。専門用語はなるべく控えてわかりやすく噛み砕いて説明する必要がある。

 机に向かいペンをひたすら走らせている私のところへそっと飲み物を持ってきてくれたフリージアは、そのまま何も言わずに傍で控えてくれていた。


「本当に護衛をつけなくて大丈夫ですか?」

「ええ、すぐに戻ってくる予定だから。何かあったら知らせるわ」

「危険な目に合う前にお知らせください、カトレア様」

 騎士からそう心配をされて、大丈夫だからと苦笑しながら答えるも一度誘拐された身としては強くも言えない。わかった、危険な目に合う前にねと復唱して馬に跨がり屋敷をあとにする。

 実は何かあったときの場合の逃走用にと乗馬を習っていたけれど、結果習っておいてよかったとつくづく思う。令嬢なのだから移動は馬車でしてほしいという声もあったけれど、こうして一人で馬で行ったほうが早いし人員削減もできる。別に人手不足というわけではないけれど、一人の仕事量をあまり増やしたくはない。

 西のほうに馬を進め、見えてきた景色にまずは一つ安堵の息を吐く。雨が続いていたため穀物の心配をしていたのだ。根腐れをしていないか、十分な収穫を見込めるか。もし不作であれば対策をしなければならない。けれど目の前に広がる畑は黄金色が見事に広がっていた。

「こんにちは、食物はどうかしら」

「これはカトレア様、雨が続きましたがご覧のとおり。言われたとおりの対策をしていたので無事持ち堪えましたよ」

「それはよかったわ」

 それから村の人の案内で一通り見て回り、何も問題がないことを確認する。ほんの少しの談笑のあと色々と採れたので持って行ってくださいと、両手にたくさんの野菜は果物を頂いてしまった。彼らの恩義はありがたく受け取っておこう、とこれまた村の人たちがくれたバスケットに詰め込み馬に乗せる。流石に馬が走れないほどの量ではなかったことに心の中で感謝した。

 村の様子を見終わったあとは、お父様に言われていた橋に向かう。増水の心配はなく、地盤の緩みで柱が傷付いている様子でもない。時間はかかったけれどしっかりとした作りにしておいてよかったとそっと息を吐きだした。最初こそは反対の声もあったのだ。時間も金もかかる、なぜわざわざそこまでする必要が、そんな声が。けれど結果オーライ、これで反対の声も納得してくれるだろう。

「荷物もあるし、ゆっくりと戻りましょうか?」

 今日一日視察に宛てがっていたため、そんな急ぐ必要もない。辺りを散策しつつゆっくりと戻ろうと馬を労るように撫でてあげる。お父様が誕生日プレゼントとして贈ってくれたこの子は本当に優秀で賢い。私の言葉もしっかりと理解してくれている。

 そうして風を浴びながらゆっくりゆっくりと帰路に着いていた。今度休めるときがあればフリージアを連れて行こう、そんなことを思いながら。

「……え」

 でも屋敷まであとわずか、というところで私は馬の動きを止めた。誰がいる、そう思い警戒しながら近付いていた。ただの客人か、それとも招かざる客か。そう思い顔が見えた瞬間、瞠目した。

「久しぶりだな」

 凛と澄んだ声、間違いない――なぜ王子が首都から離れた領地にいるのだろうか。

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