第7話

「アルストロ様からカトレアが無茶をしないように見ていてほしいと言われました」

「あ、あら、そうなの」

 どこから現れた執事にティーを淹れられて、一体どこまで準備していたのかと驚きつつお礼を言いつつ口に含む。流石は貴族御用達の紅茶、香りがいいと飲んでいたけれど滅多にいい紅茶を飲まないフリージアの手は若干震えていた。カタカタと鳴るティーカップが心なしか気の毒だ。気にせず飲んで、と笑顔で伝えると彼女はようやくカップに口を付けた。

「サイラスさんもいたことですし好都合です。フィリップ・ルカ・ウィンクルのことでカトレアに報告しようと思いまして」

「わざわざありがとう、エディ。お見舞いにも来てくれたし」

「いいえ」

 そう、殴られて学園を休んだとき彼はわざわざ見舞いに来てくれたのだ。しかも花束まで持って。そのとき「これはレオからです」と言っていたけれど、王子が私にお見舞いの品を渡すわけがない。きっと見舞いに来ない王子のフォローのつもりで言ったのだろう。一応「それは違うでしょ」という言葉を飲み込み花束は大人しく受け取った。

「貴女は当事者なので知るべきかと。まず、フィリップ・ルカ・ウィンクルの行いについてはアルストロ家にはもちろん、貴女はレオの婚約者なので陛下のほうにも報告が行きました」

 サイラスは本当にしっかりと報告をしたようだ。エディの言葉にやっぱりかと小さく息を吐き出す。そもそも男爵の息子が公爵の娘に手を上げたことすら問題なのに、その公爵の娘が王子の婚約者なのだから尚更問題は大きくなっただろう。ウィンクル家の監督不行届、まず父親が何かしらのお咎めがあったのは間違いない。

「フィリップ・ルカ・ウィンクルは退学になる予定でしたが、アルストロ家のご助言もあり今は謹慎中となっています」

「……お父様がそう簡単に許すわけないものね」

「その通りです。普通に退学になったほうがよかったでしょうね」

 やられたらやり返せ、をモットーにしている父がそう大人しくしているわけがない。謹慎中にフィリップの身に何かしらのことが起こっているかもしれない。それこそ同じような頬の状態になったか、もしくはそれ以上か。お気の毒に、とは思うけれど最初に罵倒し殴ってきたのはフィリップのほうなのだから、そう可哀想でもない。

「ところでカトレア、よく我慢しましたね」

「何が?」

「昔の貴女なら、殴られたら殴り返していたでしょうに」

「フフッ、だって私は令嬢よ? いつだってお淑やかにしなければ」

 やや呆れ顔のエディに目を細め口角を上げる。確かに小さかった頃はそうしていたかもしれないけれど、今は一応大人しくするという選択を取れるようになっている。すると私たちの会話で顔をパッと輝かせたのはフリージアだった。余計なフラグを立てたくないはずなのに、彼女はキラキラ輝かせている目をエディに向けている。

「ねぇねぇエディくん、君ってカトレアの幼馴染なんだよね?」

「……ええ、そうですが。それが何か」

「小さい頃のカトレアってどんな感じだったの? やっぱり絵本に出てくるお姫様みたいな可愛らしい感じ? ドレスとかすごく似合ってた? お花を愛でたりしてもうお嬢様~って感じだった?!」

「ちょ、フリージア……」

 本人を隣にしてなぜそんなことをエディに聞く。私に聞いてくれればいくらでも話したのに、と少し頬を膨らませていると彼女はふてくされないでと笑った。当人に聞くのも楽しいけれど、幼馴染という観点からの話も聞いてみたいそうだ。怒涛の如く聞かれたエディは僅かに瞠目していたけれど、すぐに記憶を遡っているのか僅かに視線を上に上げた。

「そうですね……淑女としての教育はしっかりと施されていましたよ。優等生でした。いつだって完璧にこなしていたのでアルストロ様は誇らしかったでしょうね。ただ」

「ただ?」

「たまに虫が入ってきたりしてメイドが騒いでいる中、ほうき一本で叩き落としていました」

「えっ、虫平気なの?」

 平気というか何というか、そのときの虫がゴキブ……Gだったのだ。前世で一人暮らしだったときに部屋にGが出てきたとしても、一人で対処するしかなかったせいである程度の耐性はついていた。ということで、阿鼻叫喚だったメイドの中を掻い潜って持ってきてもらったほうきで一発仕留めてやっただけのことだ。

「すごいカトレア……私虫はダメなの苦手なの~……!」

 顔を青くしながらギュッと目をつむっているフリージアはまさにヒロイン。これは確かに攻略対象者が放っておかないと一人納得する。現にフリージアの目の前にいるサイラスが気の毒そうな視線を向け、口を開こうとしていた。

「それならば、もし虫がいたときは俺に言ってくれれば……」

「そうね……虫が出てきたらお願いするわ、カトレアに!」

「スナップ利かせて叩き落としてあげるわ」

 残念、フラグは簡単に折られてしまったわねサイラス。キラキラとした目を向けるフリージアに私も満面の笑みを浮かべつつ、軽く手首のスナップを利かせて叩き落とす動作をしてみせる。そんな私たちの様子を見ていたサイラスは小さく口を開け、そしてすぐにキュッと閉じた。

 っと、話がズレてしまったようだから軌道修正をしなければ。それよりも、と一度紅茶で喉を潤してもう一度エディに視線を向ける。

「フィリップ・ルカ・ウィンクルって元からああいう性格だったの?」

 私の言葉にゴクゴク紅茶を飲んでいたフリージアの手も止まる。そうなのだ、私たちが知っているフィリップは弟キャラで愛嬌のあるキャラだった。いつだってヒロインに声をかけて場を明るくするような人物像だったはず。だというのに実際目にしたフィリップは確かにフリージアの前ではそうだったけれど、貴族としての教養をどこか置いてきているように感じた。

「……確かに彼は、明るい男でしたよ」

「気難しい奴ではなく友人も多かったはずだ。でも、女性に手を上げるような男ではないと思っていたが」

「けれど素行を幾度か注意されていましたよね。悪い男ではないんですが、どこか人を見下している節はあったかもしれません」

 攻略対象者二人からの情報にフリージアと互いに顔を見合わせる。確かに大元の性格はゲームの設定と変わらないようだけれど、素行が悪いとか人を見下しているとかそんな設定はなかった。

 丁度予鈴が鳴り二人が立ち上がる。サイラスは律儀に私を送ろうとしてくれたけれど、女子同士の大事な話があると笑顔で告げれば素直に引いてくれた。エディからもくれぐれも無茶をするなと言われ、男子二人とそしてずっと付き従っていた執事たちがいなくなったのを確認してフリージアに向き直る。

「どう思う?」

「もしかしてだけど……バグ、とか?」

「バグか……」

「だってね、私嫌でも攻略対象者に話しかけられたって言ってたでしょ? でもまだ一人、まったく会っていないのよ」

「シミオン・オーキッドね」

 前に言っていた精霊の力を借りて魔法が使えるキャラであるシミオン・オーキッド、彼がまだ今まで一度も会ってもいないしそもそも見てもいない。

 確かにこの世界は乙女ゲームが元になっているとは言え、今の私たちにとってはしっかりとした現実世界。色んな補正があっても何もかもゲームのストーリー通りに進むとは限らない。フィリップが私に危害を加えようとしたことはストーリー上まったくない話ではなかったけれど。それでも攻略対象者はしっかりとヒロインの前に現れているにも関わらず、シミオンだけはいないとはまたおかしな話だ。それこそゲームだと『バグ』ということになる。

「そもそも、私とカトレアが仲良くなるなんて本来絶対ないストーリーだっただろうし」

「虐めるどころかお弁当のおかず交換までしているものね」

「おいしかったね~! ってお弁当の感想は置いといて! なんか……やっぱりゲーム通りには進まない、よね」

「そうね。ゲームには選択肢があったけれど、この世界じゃ私たちが好きなように行動できるもの」

 ただ、やっぱり大まかな流れは変わらないかもしれないと続ける。確かに好きなようには選べるものの、私は未だに王子の婚約者だ。フリージアもそんな関わりが深いわけでもないのに攻略対象者に好意を向けられる。

 ストーリー通りに進んでいるようで、イレギュラーも起きている。これから私たちが知っている通りに物語が進む保証もどこにもない。もしかしたらフリージアは自分が望んでいない恋愛をさせられるかもしれないし、私は結局死亡ルートに進むかもしれない。予想できそうでできない、なんとも歯がゆい状況だ。

 それに気付いて不安に思ったのか、フリージアがギュッと私の袖を握ってきた。私よりも身長が低く、目を合わせるには少しだけ視線を下げる必要があるし彼女も自然と私を見上げてくる形になる。少し目尻が下がっている目が不安げに見上げてくると、まるで子犬のように見えて庇護欲を掻き立てる。

 微笑みを浮かべて彼女に手を取ってギュッと握る。確かにこれからどうなるかはわからない、でもそれは前世でも同じこと。私達は普通に暮らせると思っていた毎日だけれど、それも不意の出来事でなくなることを身を持って知っている。

「大丈夫よ、私たちは一人じゃないもの」

「そう、だよね……カトレアに何かあれば、私絶対に助けるから!」

「私だって、フリージアに何かあれば必ず助けるわ。だって私たち心の盃交わしているもの」

「フフッ、なんていう任侠」

 彼女の不安げだった顔が僅かに綻んで、私も尚更笑みを深めた。一人だともがき苦しむだけだったかもしれないけれど、今はお互い最大の敵だったはずの相手が最大の味方になってくれているのだ。そう思うとずっと前向きに考えられる。

「って予鈴鳴ってるんだった! 私の教室遠いよ!」

「急がないとね!」

 一般のクラスはここから離れているから、走って行かないと間に合わない。お弁当の空箱を持って「それじゃ!」と元気に挨拶するとフリージアはパタパタと教室に向かって走っていった。私もまったりしている場合ではないと、急いで自分の教室に向かう。ただし令嬢が廊下を走るということをするわけにはいかないため、なるべくお淑やかに急ぎ足で。すれ違う生徒にまん丸な目を向けられたけれど笑顔で「ご機嫌よう」とだけ言ってそのままスピードは落とさず歩いた。


 放課後、フリージアとほんの少しだけ時間を共にした。結局彼女は廊下を走ったことを教師に見られ怒られたそうだ。ドンマイと言うしかなくて、今度からはバレないように走ると言った彼女につい吹き出してしまった。彼女が走らなくてもいいように今度は早めに話を切り上げよう。

 そして寮に戻ったフリージアを見送った、私も待っている馬車のところへ行こうとしたところ意外な人物に呼び止められた。

「これは……お久しぶりです、王子」

「……ああ」

 カトレア、と一言言われただけだけれど振り返ってそう挨拶すれば、相変わらず短い返事。でも慣れているため不満も文句もない。というか学園を休む前にあれだけ私から逃げていた人物がまさか呼び止めてくるなんて。一体なんだろうかと笑顔を浮かべたまま次の言葉を待つ。するとだ。

「頬は」

 本っ当に、びっくりするほど短い。それにいつもと同じように目も合わせない、そこにあるのは見慣れている横顔だ。これが普通の相手なら言葉が続くだろうと待つか「頬?」と聞き返しているに違いない。

 けれど私は一応、婚約者もとい幼馴染という立場なので。待つことも聞き返すこともしない。

「腫れも熱も引いたので登校致しました。この度はご迷惑をおかけしました」

「いいや」

「それよりも王子、婚約破棄、頷いてくださいますよね?」

「ではな」

 逃げるのかーいここに来て逃げるのかーい! と心の中で盛大にツッコませて頂きますとも。心配した、というよりも婚約者として一応建前で声をかけてみましたということなのだろうけれど、都合が悪くなればすぐに逃げるとは王子として如何なものか。というか頷くだけでいいのに何をそんなに渋っているのか。

 ハッ、しまったしまった。エディから王子と話し合えと言われたのだった。せめてそれだけ渋る理由だけでも聞きたい、と思っていても王子の逃げ足の早さにその隙さえも見えない。

「王子! せめて理由だけでもーっ、って早い早過ぎる!!」

 どんだけ素早く馬車に乗り込むのよ! っと今度こそははっきりと口にしてしまった。      

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