第8話

 私目が覚めたとき、どこかの病院だと思ったの。足を滑らせた覚えがあったから。確実に頭打ったと思ってたし、見つけてくれた人が救急車呼んでくれたかもとも思ってた。でも見慣れていない天井が見て視界に入った手は小さくて、驚いて口から飛び出してきたのは叫び声じゃなくて「ばぶぅっ!」だった。

 ああこんなことってある? っていうのが正直な感想だった。よく小説とか漫画とかで読んだことがあったから。でもまさか自分の身に起きるなんて思いもしなかったし、同時にあのとき足を滑らせた私は助からなかったのだとわかってショックを受けた。仕事が忙しくて会社なんてクソくらえとか思いつつも、ひっそり楽しみにしていたゲームの続きやろうと思って帰宅していた最中だったんだから。

 でも、この世界で生まれて私を抱えた『お母さん』はとっても嬉しそうな顔をしていた。私の子に生まれてきてくれてありがとう、そう微笑んだお母さんの顔が今でも忘れられない。この人の子ならば、何があっても挫けずに生きていけそうだと思った。

 とてもいいお父さんとお母さんだった。決して裕福ではなかったけれど二人とも私に愛情を注いでくれた。五歳のときに弟が生まれたときは嬉しさのあまりに叫んだわ。弟は可愛らしくて、小さいこの子は私が守ってあげなきゃ! とも思ったし。

 ただ、成長してくるに連れてとても嫌な予感がした。父は病気で亡くしてしまって母と弟の三人暮らし。鏡に映る自分の姿が段々と見たことのあるキャラになっていく。今まで私はモブだと思い込もうとしていたけれど、それもどんどん難しくなっていった。

 そう、私は決してモブキャラなどではなかった――前世でプレイしていた『キラメキ☆ハピネス学園!』のヒロインであるフリージア・エーデルだった。

 正直あの乙女ゲーム、攻略キャラが好きだったからやっていたんじゃない。プロモーション映像の端のほうにチラッと映った攻略キャラの一人、の執事の人がかっこよくて素敵で一目惚れしたからやることを決めた。なので、ぶっちゃけ攻略キャラにはあまり魅力を感じてはいない。だから学園に行って逆ハーレム作りたいとも思わってもいない。

 でもこの世界、別に選択肢のウインドウが出るわけでもないし、もしかして自分で好きなように決められるんじゃない? もしかして、学園に入学しないっていう選択肢もあるんじゃない? っていうことで、学園入学のご案内が届いたけれど私は入学しないとお母さんに言っておいた。入学するよりもお母さんの手伝いをすると。裕福ではないし母の手一人、弟もいる。お母さんの負担が大きすぎる。皿洗いなどはできるから働きに行くと言ったらお母さんに却下された。

「お母さん、あなたから学ぶ場を奪いたくないの。大丈夫よ、この国の制度で学園に通うお金はかからないから。寮に住めばちゃんとご飯だって食べられるの。お母さんとジニアのことは心配しなくていいの」

「でもっ、それでもお母さん大変でしょう?! 人手は多いほうがいいじゃない!」

「お母さんをなめてもらっては困るわ! ほら見てお母さんのこの腕、まだフリージアのこと軽々抱えられるのよ?」

 ムキッと浮き出た力こぶは確かにすごい。お母さんは優しそうな顔をしておきながら、とてつもない怪力の持ち主だった。は母強し、とはまさにこのこと。

 でもねお母さん、私お母さんと弟ジニアのことも心配だけど何より……学園に行きたくないのよ! ヒロインになりたくないわけ! ここでお母さんとジニアと三人でひっそりと暮らしたいわけ! だって学園に行けば別に推しでもないキャラに言い寄られてそんでもって悪役令嬢に虐められるかもしれないんだよ?! 折角生まれ変わったのにつらすぎない?!

 という、私の心の叫びは母に通じるわけがなく。あれよあれよとあっという間に手続きをされ寮に入るご案内が届き制服が届き鞄が届き、着々と確実に学園への舞台が整っていった。制服に着替えた私の姿を見てお母さんが大喜びしたものだから、尚更何も言えない。

「行ってらっしゃいフリージア、いっぱい色んなことを学んでくるのよ?」

「いってらっしゃい! お姉ちゃん!」

「……うん、行ってきます」

 もう半ベソである。二人とも快く見送ってくれてるけど、私のこの涙寂しさでの涙じゃなくて行きたくないっていう涙だから。でも二人がそれに気付いてくれるわけがなく、少し寂しそうな顔をしているけれど笑顔だ。わかった、入学が避けられないというのであれば私にだって考えがある。それは。

「あらゆるイベントのフラグをバッキバキに折ってやるんだからぁっ!」

 そう! イベントさえ起きなければいい! 一般の女子生徒として学園生活を過ごしてヒロインでなくなればいいんだ! ヒロインじゃなかったら攻略キャラから絡まれることもなければ悪役令嬢から虐められることもない!

 そう決めてから、入学した私は早速攻略キャラたちを避けまくった。廊下曲がるときなんて特に注意したし、見つかりそうになったら他の生徒の影に隠れたりそれはもう徹底的に。その甲斐あってか入学してから数日間とっても平和な日々を過ごしていた。今のところ王子と出会ってはいないし他のキャラも目を合わせないようにしてるから会話もない。悪役令嬢とも会っていないしまさにザ・モブの生活。

「よかった~、これならモブとして生活できそう!」

 人目を避けるように食堂には行かず、寮で作ってきていたお弁当を持ってひと気の少ない場所で広げていた。お母さん、ジニア、私平和に過ごしてそして家に帰れそう。

 ところで、何やら遠くから声が聞こえたような気がするんだけど?

「ちょっとヒロイン何してるのよ早く王子にぶつかってほしいんだけど?! お願いだからストーリーを進めてどのルートでもいいから取りあえず王子とぶつかって?!」

「王子ルートなんて絶対に嫌なんですけどぉ?! なんで婚約者を大切にしない人を選ばなきゃいけないの?!」

 突然ツカツカと歩いてきた綺麗な女子生徒からいきなりそんなことを言われて、反射的にヤバいことを言っちゃったような気もしたけど。でも私がそう叫んだ瞬間面白いほどこの場の空気がピタッと止まった。お互い目を合わせて、パチパチと瞬きを繰り返している。

 目の前にいたのはヒロインを虐めるはずだった悪役令嬢。その令嬢が、何やらとっても気になることを言っていた気がする。

「まさかあなた……転生者?!」

 なんとびっくり! 悪役令嬢も実は私と同じ転生者だった!


 悪役令嬢であるカトレア・ノーマ・アルストロ、実はゲームしていたときから彼女のキャラデザは結構好きだった。ちょっと目尻が上がっているのがまるで猫目のようだし、宝石のようなキラキラとしたルビーの目に透き通るようなパールグレイの髪は光に当たるとますます透明感が増す。ヒロインに敵対している悪役令嬢ということであって、出ているところは出てて引っ込んでいるところは引っ込んでるそんな抜群のスタイル。私はヒロインだからかちょっと色々と控えめだけど。それにカトレアは口元にあるほくろがとってもセクシー。

 そんな悪役でなければ結構好きなキャラなんだけどなぁ、って思ってたキャラが動いて喋って私に笑顔向けてくれるなんて、そんな、そんなの……推すしかないよね?! しかも中の人――っていう言い方はあれかもしれないけど――は猫を助けようと川に飛び込むような人だよ?! 絶対優しい人に決まってる! その証拠に私のこと絶対に虐めないって言ってくれたし!

 もう好き! ってなっちゃったわけですよ、私は。

 一緒にハッピーエンドに向かうために手を結んだことだし、何より友達になることもできた。やった。最高。攻略キャラいなくてもいいからこの学園生活カトレアと一緒に楽しみたい。あ、でも執事のクラークと会えないのはちょっと……かなり、残念というか悲しいけど。でも私はこれからの学園生活が楽しみで仕方がなかった。

「ねぇフリージアさん。よくアルストロさんと一緒にいるようだけれど、もしかして虐められてるの……?」

「そんなことないけど?! 私とカトレアはお友達です!」

「そ、そうなの」

 カトレアと一緒に過ごすようになって、クラスメイトからよくこんな言葉で話しかけられるようになっていた。元はゲームの世界、今は現実世界。でもムカつくことになんでか『補正』というものが効いちゃって、私は結局攻略キャラと会う羽目になったしカトレアの評判はなぜか悪かった。贅沢三昧、高慢で高飛車。まったくもって見当違いな噂が勝手に流れてる。そしてそれをなぜかみんな疑問に思うことなく信じてる。

 それにこう言われる度に私はいっつも「友達だから!」って言ってるのに、なぜかそれが「高慢な女に付き合ってあげてる心優しい人」ということに変換されていた。ものすっごく腹立つんですけど。そもそもカトレアは高慢でもなければ普通に優しい綺麗な女子だし私たちは本当に友達なんですけど!

 いくら言っても信じてもらえないなら、そんな信じない人たちと友達になる気なんてまったくない。何度もお昼ご飯に誘ってもらったけど全部断ってカトレアのところに行ってる。だって昼休憩になっていつも噴水のある中庭に駆け込んで行って、カトレアを待っていたら。

「お待たせ、フリージア!」

 笑顔でキラキラと光るカトレアを見れるんだから最高すぎる。あの笑顔は私のものです、どうだいいでしょう婚約者に冷たい王子。私が王子だったら迷うことなくカトレア一択なんだけどな!

 みんなの言う「高慢で高飛車」のカトレアは、いつも私とお弁当のおかずの交換をしてくれる。この世界の謎なところで貴族は洋食、庶民は和食となっているみたい。だから貴族であるカトレアはいつも洋食ばかり食べていたようだけれど、私と交換したおにぎりをいつも嬉しそうに頬張っている。「お米美味しい~!」って顔赤くして嬉しそうにしているカトレアの表情、変な噂を信じてる人たちに見てもらいたいような、ひとり占めしたいような。

 それにこういう庶民的なところもありつつ、十五年間令嬢として育ったということもあって所作だったり時折見せる仕草がすごくエレガントで綺麗。そのギャップにまた胸がキュンってしちゃう。

「ねぇカトレア、王子とは話できた?」

「それが未だに逃げられてるのよね……何を頑なに逃げているんだか」

 前にカトレアがあの性悪男に殴られる事件が起きてから、カトレアの幼馴染であり攻略キャラの一人であるエディがわざわざ準備してくれたテーブルと椅子。そこに座ってお昼ご飯を食べながら毎回同じ内容を喋る。

 ヒロインのためであるこの世界はヒロインにとってはイージーモード、でも悪役令嬢であるカトレアにとってはものすごくハードモードだった。カトレアの生存ルートはたった一つだけ、それは王子との婚約破棄のあとの国外追放。ゲーム通りに進むかはわからないけれど、念の為にとカトレアはそのルートに進むために今一生懸命頑張ってる。

 カトレアのお父さんと王子のお父さん、つまりこの国の王様にはとっくに説得済みなのに、最後の最後でなぜか王子が頷いてくれないというイレギュラーが起きている。あのゲーム中に婚約者をまったく信じようとしていなかった王子のことだから、婚約破棄しましょうと言われればすぐに頷くものだと私も思っていたんだけど。でも気になることがあって。カトレアは絶対にないって言ってたんだけど。

 王子って、本当にカトレアが好きなんじゃないの?

 だって私廊下の角でとうとう王子にぶつかったとき、確かに「大丈夫か」と聞かれて手を差し伸べられた。このゲームは最初に王子ルートをクリアしなきゃ他のルートが解放されないシステムになっていた。だから誰でも一度は王子ルートをクリアせざるを得ない。だから知っている。

 ヒロインとぶつかった王子は「大丈夫か?」と聞いたあと手を差し伸べて、ヒロインを立ち上がらせる。そしてそのまま手にギュッと力を入れたあと微笑んで「気を付けろ」という台詞を言う。でも、私は差し伸べられた手を断って自分で立ち上がったせいか、微笑まれなかったしそんな台詞も言われなかった。実際の王子は一人で立ち上がった私を少しジッと見たあと、すぐにその場を去っただけだった。

 そもそも悪役令嬢が悪役をしていない。幼馴染であるエディとも仲が悪いはずなのに今の二人は別にギスギスしていない、本当に普通の幼馴染。仲が悪かったらエディはカトレアのためにわざわざ中庭にテーブルと椅子を準備しない。サイラスも本来で悪役のカトレアを毛嫌いしていたから、殴られたところを見て助けるとも思えない。

 ゲーム中ではなかったことがこれだけたくさん起こっているのだから、王子がカトレアのことを好きになったとしておかしくない。もし王子が本当にカトレアのことが好きで、だから婚約破棄を望んでいないのであれば。カトレアは一体どうするんだろう。

 でもどう転んでも私はずっとカトレアの味方だけどね!

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