怪獣と花模様のラブラドライト
朝霧
私、ただのキモオタに戻る
超ウケる。
声が出なくなった。
それに気付いたのは一人きりで目を覚まし、重たい身体をなんとか動かして朝食を食べようとした時だった。
黄金色にこんがり焼けたトーストに、バターと餡子をこれでもかと盛った物体の前で手を合わせて「いただきます」と言おうとしたら声が出てこなかった。
最初は寝起きだから喉の調子が悪いのかと思ったけど、どうもそういうのじゃない。
これ風邪とか痛めたとかそういうんじゃない、多分心因性。
それに気付いた直後に爆笑しかけたけど、笑い声すら上がらなかったのでストンと正気に戻った。
仕方がないので両手をしっかり合わせて心の中で「いただきます!!」と叫んだ後トーストを食べた。
味は普通にした、罪深い味だった。
朝っぱらからカロリーお化けな食べ物を食べてしまったことを五日後くらいには後悔するかもしれないけれど、今はまあいいかと思う。
手を合わせてご馳走さまを言おうとしたけどやっぱり声は出てこなかったので、心の中で「ご馳走さま!! でした!!!!」と絶叫して冷静に食器を片付ける。
そうして椅子に座り込んで考え込む、ついでに声が出ないか試してみる。
声はやっぱり出てこなかった、そして考えはまとまった。
自室に戻って荷物をまとめる、といっても元々大した物なんて持っていないので財布と身分証明になる物一式、着替えとそれから学生時代にあの人に買ってもらった花と葉と蔦が彫り込まれたラブラドライトだけをトランクの中に詰め込んだ。
机の引き出しの奥の方に仕舞い込んでいた離婚届に自分の氏名を記入してハンコをポンッと。
……ちょっとまがってしまった。
しかしひっくり返っているわけではないのでヨシとする。
その後引き出しの中に突っ込んであったメモ帳をビリリと破ってペンを走らせる。
『役立たずは消えます。どうかお幸せに』
それだけ書いたメモと離婚届を重ねてリビングのテーブルの上に置く、どこかに落ちたりしないようにペンと消しゴムを重し代わりに置いた。
最後にガスとコンセント、それから窓の鍵の確認を行う。
特に問題はなかったのでその場でペコとお辞儀をして、心の中で『今までお世話になりました!!』と叫ぶ。
そして家から出てしっかり戸締りをした後、鍵をポストに投函。
私は町を去ったのだった。
お金には余裕があった。
学生時代に稼いでおいてよかった。
というわけで二週間ほどネカフェや漫画喫茶をハシゴしてだらだら過ごすことにした。
その後テキトーに職を見つけて働けばいい。
今だらだらしていることを未来の私はきっと後悔するのだろうけど、なんかもうどうでもいいや。
今日はネカフェに泊まることにした。
ネカフェで何をするのか――ずばり推し活である。
検索欄に『防衛軍 第二部隊 副隊長』と打ち込む、タイピングは正直言って苦手だがこの文字列だけはあらゆる状況でも一字一句間違えずに打ち込める自信がある。
ひとまず最新情報をチェック、ふむふむ。
声が出せていたらとんでもない奇声を上げていたであろう最新映像を発見してしまった。
よかった声が出なくて、通報されてたかもしれないので。
画面の向こうの我等が副隊長はタイチョーさんとの絶妙なコンビネーションを発揮して怪獣を華麗に討伐していた。副隊長に課金したい、ついでにカメラマンさんとタイチョーさんにも。
ニートには無理だけど、私、いつか大富豪になってあの人達に億レベルの課金するのが夢なんだ。
課金したいって言っても困らせるばかりだったけど、今は赤の他人なのでいつか謎の足長おじさんとしてお金振り込みたい。
はあ……やっぱかっこいいわあ……
なんであの人あんなカッコいいん? ゴツくて背ぇ高くて強面なのになんであんな子犬みたいな顔で笑えるの? ころすきか?
はああああああ……もうほんと最の高、副隊長しか勝たん……一生推させてください。
その日は結局副隊長の情報を集めまくり、SNSで騒いでいるうちに終わった。
だらだら二週間計画、三日目――
初日がネカフェ、二日目が漫画喫茶だったので今日はネカフェである。
ひとまず交互に行ってみることにした、そのうち女子会やってるようなラブホとかにも行くかもだけど。
昨日はひたすら漫画を読んで過ごした、楽しかった。
ネカフェのパソコンに向き合って早速検索欄に『防衛軍 第二部隊 副隊長』と打ち込み最新情報をチェック。
ふむ。
相変わらずカッコいい、怪物と討伐する手腕も相変わらず鮮やかである、惚れた。
……しかし何故か顔が険しいというか暗いというか。
理由はなんとなーくわかる、というか普通に考えれば原因は私である。
しかしそのうち綺麗に忘れてくれると思うので、ヨシ。
だらだら二週間計画、六日目――
漫画喫茶に少しだけ飽きたというか疲れてしまったので、今日は映画を見に行くことにした。
映画館でラインナップをチェック、ふむ……
恋愛映画、ホラー映画、恋愛映画、ミステリー映画、アニメ映画。
どれもパッとしなかった、アニメ映画にしようかと思ったけどSNSでかなり酷評されていたのでミステリー映画を見ることにした。
途中まではしっかり見れたのだけど、中だるみして画面に派手さもなかったため私は失礼極まりないことに居眠りしてしまった。
学生の頃の夢を見た。
ちょうど怪獣が現れてから十年ほど経った頃、人類が怪獣に対抗する手段を得て七年ほど経った頃のお話。
私にはすごくすごく好きな人がいた。
大柄で見た目はすごく怖いのに、優しくて愛嬌のある笑顔が素敵な人。
二つ年上のセンパイにいつも忠犬のように従っていた人。
好きだった、本当に好きだった。
あの人の一番になりたかった、一番好きになってほしいとはいえない、だけど他の誰でもない私が誰よりもあの人を大好きであるのだと胸を張って叫べるような人間になりたかった。
だけど無理だった、あの人とセンパイの間に築かれた強固な絆の前にはどんな想いも無価値なものになる。
悲しかったけど、だからこそ美しく尊いということもわかっていた。
ハッと目を覚ますと映画は終わっていた。
周囲を見渡すと人々が立ち上がり始めている、おそらく終わった直後に起きられたことに安堵しつつ、慌てて立ち上がる。
転びそうになったけどなんとか踏みとどまり、ふらつく足取りでシアターを出た。
その後はテキトーに時間を潰して漫画喫茶に向かった。
今日はもうすぐに寝てしまおう、ああでも寝る前にあの人がくれた花模様のラブラドライトを眺めようか、なんて思っていたらけたたましい警報が鳴り響いた。
怪獣警報、やばいこれ結構近くに――
空を見上げると黒いヒビが。
ヒビが目視できるほど近いっていうことは、これはよろしくない。
早く逃げなければ巻き込まれる。
ヒビから落ちてきたのは熊型の怪獣だった。
幸いなことに中型、しかし熊であるだけあってかなりの強さであるらしく、配置されていた自動戦闘人形はほぼ全滅状態。
電車は多分動いているのでどこかの駅に駆け込めればなんとかなるけど――多分。
背後でドスン、と音が。
振り返ると、巨体が。
あーあ、追いつかれちまったぜ。
私は運が悪かった。
近くの駅に逃げ込もうとしたのだけど、どうもそれが怪獣の進路と一致してしまったらしい。
死者はまだ出ていないようだけど、頼みの綱である自動戦闘人形はもうすでに全滅してしまったようだ。
つまり、私はこの怪獣発生による最初の死者になるのだろう。
……まあ、いっか。
ああ、でもトランクの中のラブラドライト。
あれだけはどうしても壊したくなかったのでトランクを抱え込んで怪獣に背を向けた。
吹っ飛ばされるにしても、私の肉がいい感じのクッションになってくれることを祈る。
では、おさらば。
推しに億単位の課金をするという野望は結局最後まで叶わなかったなあ……
重たい足音が聞こえて来る、これ結構怖いな。
あと何秒で終わるのだろうか、と思っていたら背後で唐突に絶叫が。
何事、と思っておそるおそる振り返ってみる。
怪獣の首がゴロリと地面に転がっていた。
何故、と思うまでもなくその原因はわかった。
副隊長とタイチョーさんがいた。
つまり、私が怪獣に殺やれる前に彼らが駆けつけてくれて、しかも瞬殺してくれたらしい。
は? 推しに助けられた? いくら貢げばいい? とりま全財産?
一生推します。
とりあえず感謝の言葉を叫びたいけど、声が出ないんだった。
すっげえ泣きたくなった、声が出なくなってはじめて泣きたくなった。
情けなさと申し訳なさとその他ごちゃっとした感情で気が狂いそう。
とりあえず、逃げる。
多分気付いていないだろう、どうせ私は隠れたキモオタ、ただの一般人Kである。
立ち上がって、走り出す。
三歩でとっ捕まった。
肩の辺りを掴まれて、身体がぐるっと半転。
そして力一杯抱き締められた。
顔面が胸筋に押し付けられている。苦しいけど推しの胸筋なので麻薬的な幸福感も感じる、頭おかしくなりそ。
というか普通に息が……
推しは何も言わなかった、微かに泣き声のようなものが聞こえる気がするけど、幻聴であることを祈る。
「おいお前何して……ってキョーカちゃんじゃん。君、何してくれてんの? 嫁に捨てられたーってそいつずっと上の空で使い物にならなかったんだけど?」
責任取れよ、と言うタイチョーさんの声が聞こえてきたけど、息ができな――
私は多分、そこで気絶したらしい。
気が付いたら病院で、今まで悪かったと最推しに土下座された。
私は、また気絶した。
怪獣と花模様のラブラドライト 朝霧 @asagiri
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