26:めちゃくちゃ良い男
翌日の日曜日、沙良はスマホのアラーム音で目を覚ました。
半分寝ぼけたまま枕元のスマホを掴み、アラームを切ってロック画面を表示させると、そこには狐耳をつけたコスプレ姿の秀司がいる。
秀司はカメラ目線で笑っている。
この自然な笑顔を引き出すのは大変だったが、苦労した甲斐はあった。
もちろん、ぬかりなくバックアップも取っている。
この写真だけではなく、秀司に関するデータは全てだ。
(はあ……今日も世界で一番格好良い……そして可愛い……オタクが好きなキャラを『神』と崇める気持ちがわかるわ……)
ベッドに横たわったまま一分ほどニヤニヤした後、沙良はスマホを置いて起き上がった。
実物に会うための支度を整え、鞄を持って階下に下りていく。
一階は静かだ。
花守食堂で仕込みをしているらしく、両親の気配はなかった。
『店があるから見に行けないけど、秀司くんとのダンス頑張ってね』
リビングのテーブルには広告の裏に書かれた母のメッセージと巻き寿司が用意されていた。
床に鞄を置き、台所でコップに麦茶を注いで戻り、フードカバーを外して巻き寿司を食べ始める。
テレビをつけて天気予報をチェックすると、太陽のマークが燦然と輝いていた。
今日は大勢の一般客の来場が見込めそうだ。
(西園寺さん来るのかなあ……)
中学の卒業アルバムの写真を歩美からラインで送ってもらったが、『西園寺
緩やかにウェーブがかかった薄茶色の髪、つぶらな瞳、右目の下の泣き黒子、薔薇色の唇。
交際を申し込む異性が殺到しそうなほど儚げで可憐な美少女だ。
沙良と栞、どちらが秀司に相応しい容姿ですかと尋ねれば、十人中十人が迷いなく栞を指すだろう。
(でも、私が秀司の偽彼女なんだから。もしも西園寺さんが来ても毅然と対応しなくちゃ。今日は私の今後がかかった大事な日よ。誰であろうと邪魔なんてさせない)
昨日は文化祭終了後、クラスの皆でカラオケをしようと山岸に誘われたのだが、沙良たち四人は誘いを断ってレンタルスタジオに行き、最後のダンス練習をした。
瑠夏は沙良たちのダンスを見て「もう教えることはないわ」と弟子に免許皆伝をする師匠のようなことを言った。
これまでの練習の日々を思い出しているのか、その表情は感慨深げだった。
今日に至るまで、瑠夏と大和には本当に苦労をかけてしまった。
恩義に報いるためにも、絶対に失敗できない。
(秀司の本物の彼女になる、そのために私は努力してきたのよ。それを、秀司の人生をめちゃくちゃにした張本人に邪魔されてたまるものですか。かかってくるならかかってきなさい! クラス全員で返り討ちにしてやるんだから!)
闘志を燃やして大きく口を開け、母の想いが籠った巻き寿司を口いっぱいに頬張った。
予想通り、一般公開の今日は多くの客が妖怪喫茶を訪れた。
相変わらず秀司は女性客に大人気だが、前日で耐性を作っていた沙良は心を無にして接客し、どうにか午前中を乗り切った。
「終わった……」
十二時を回り、昼休憩に入って教室の扉が閉じられたその瞬間、沙良はため息交じりに呟いた。
クラスでの仕事はこれで終わり。
午後からは講堂へ行き、いよいよダンスの発表だ。
「だいぶお疲れのようね。まあ、気持ちはわからないでもないわ。目の前でモテまくる不破くんの姿をまざまざと見せつけられたらね。お前ら全員消滅しろ、こんなクソイベントとっとと終われ、と願うのも致し方ないことよ」
「いや、さすがにそこまでは思ってないけど……瑠夏って実は相当口が悪いわよね……」
テーブルセット中に寄ってきた瑠夏に苦笑する。
「そうね。中学の一件であたしの性格は見事にひん曲がった。残念ながら二度と昔の自分に戻ることはできないわ。いまなら痴漢されても泣き寝入りなんかしない。社会的に殺してやる」
物騒なことを淡々と言いながら、瑠夏は沙良の向かいで乱れた椅子を整えていく。
「なんか怖いこと言ってない? どうしたの? 客に何かされた?」
次に寄ってきたのは心配そうな顔をした大和だ。
頭からぴょこんと生えた狼の耳が可愛い彼もまた女性客から大人気で、午前中にはちょっとした撮影会みたいなことになっていた。
「いえ、そんなことはなかったわ。大丈夫よ。心配してくれてありがとう」
「そう? 何もないなら良かった」
大和はほっとしたように笑い、厨房スペースのほうへ歩いて行った。
「…………」
瑠夏は椅子の背もたれを掴んだまま大和の背中を眺めている。
「戸田くんのことが気になる?」
「気になる、というほどでもないけれど。良い人だと思うわ」
瑠夏は長い睫毛を伏せて隣の席へ移動した。
机が汚れていないか目視で確認し、椅子の位置を調整してはまた隣の席へ、その作業を繰り返していく。
(瑠夏が特に筋骨隆々でもない、ごく普通の男子を褒めるなんて珍しい……)
何せ彼女は一般男子をモヤシと表現し、どんな美形であろうと異性にカウントしない人間だ。
それが中学のときのトラウマに起因することは沙良もとうに気づいていた。
彼女が筋肉を過度に愛するようになったのも、元を辿れば帰り道に佐藤に捕まり、「俺とカラオケに行こうぜ。俺の美声に酔わせてやるよ」などと寝言を吐かれて困っていたときに体格の良い男性が助けてくれたから。
瑠夏にとって筋骨隆々な男性は自分を救ってくれた憧れのヒーローだが、必ずしも一般男子が恋愛対象にならないわけではない。
告白してきた男子に片っ端から『三角チョコパイが食べたい』 と言ってきたのは自分の少々特殊な嗜好を理解してほしかったからであって、その男子を自分好みのマッチョに育て上げようなんて気はさらさらなかったそうだ。
だから、瑠夏の嗜好を理解していて、おまけに優しく、過去の傷も知る大和が瑠夏の恋愛対象になる可能性は十分にあった。
(戸田くんに飴を貰ったときから、瑠夏の態度がちょっと変わったのよね。昨日はダンスレッスンの後、戸田くんに誘われて駅前のコーヒーチェーン店に行ったらしいし。瑠夏が男子と二人きりになることを許すなんて、私の知る限り一度もないわ。これはひょっとして、ひょっとしたりするんじゃ……?)
「何ぼうっと突っ立ってんのよ。テーブルセット終わったわよ」
「えっ」
はっと我に返ると、瑠夏が隣に立っていた。
「今日も不破くんとご飯食べに行くんでしょ。午後二時には着替えて講堂に来なさいよ。あたしも戸田くんもあんたらのために踊るっていうのに、主役が遅刻したら許さないからね」
「はい、重々承知しています」
沙良は頭を下げた。
瑠夏はそのまま教室から出て行こうとしたが、沙良はとっさに彼女の左手首を掴んで引き止めた。
「瑠夏はお昼どうするの? 一人で食べるの?」
「ええ。そのつもりだけど」
それが何か、とでも言わんばかりの態度だ。
歩美たちとはよく話すようになったが、瑠夏の孤立癖は直らない。
本人がそれで良いというのなら放っておくべきなのかもしれないが――
(いじめられる前は瑠夏も女子グループに所属してて、他の子みたいに友達と談笑しながら食事をしてたんでしょう。私は独りでいる瑠夏を見るのは嫌なの。今日は文化祭なんだよ? お祭りは皆と楽しむものでしょう?)
「何よ」
瑠夏が眉をひそめた。
沙良は意を決して瑠夏の手を引っ張った。
「ちょっと、何なのよ――」
瑠夏の声を無視して衝立の裏側へと回り込み、厨房スペースに足を踏み入れる。
食材が並べられた机の横で大和が三人の男子と会話していた。
社交的な大和は友人が多い。
根が善人なので、誰からも好かれるタイプだ。
大和は沙良たちを見て会話を止めた。
厨房スペースにいた他の女子も、どうしたのかという顔でこちらを見ている。
「会話中にごめんね。戸田くん、ちょっといい?」
「ん? 何?」
大和は呼びかけに応じてこちらに来た。
厨房スペースを出て、教室の窓際で足を止める。
「お昼は誰かと約束してる?」
「いや。適当にその辺の誰かと食べるつもりだけど」
「その社交性を瑠夏にもわけてあげてほしい……」
考えが口から洩れてしまっていた。
「え?」
声が小さくて聞こえなかったらしく、大和が聞き返してきた。
「いえ、なんでもないの、ごめん。約束した誰かがいないなら、瑠夏と一緒に食べてあげてくれない?」
「ちょっと、ふざけるんじゃないわよ。なんであたしが食べて『あげられ』なきゃいけないのよ」
その恩着せがましい言い方は瑠夏の逆鱗に触れてしまったらしく、鬼の形相で睨みつけられた。
(あああしまった、言い方を間違えた! そうだ瑠夏はめちゃくちゃプライド高い人だった、これ絶対面倒くさいことになるやつ!! 本気で怒られるやつ!! 良かれと思って二人の仲を取り持つつもりが、その前提で話をこじらせてどうするのよ私の馬鹿――!!)
自分を罵ったところでもう遅い。
「誰かとお昼を食べたいなんていつどこであたしが言った?」
静かな、それでいて怒り狂った声が沙良の耳朶を打つ。
「はい、言ってません、ごめんなさい」
詰め寄られた沙良は一歩引いたが、瑠夏はさらに距離を詰めてきた。
「石田さんたちならともかく、なんで戸田くんに頼もうと思ったのよ?」
「ひえ……だって、石田さんたちはもう出て行っちゃったし、二人でコーヒーを飲むくらいなら仲が良いのかなって……」
沙良が後ろに引けば引く分だけ瑠夏が近づいてくる。
(秀司はどこ行っちゃったの)
彼がいれば助けてくれそうだが、教室にその姿はない。
そういえば、瑠夏のことで考え込んでいたときに「ゴミ捨ててくる」と秀司の声がしたような気がする。
「馬鹿じゃないの? あれは今日でダンスレッスンも終わりだからと、戸田くんが講師役のあたしをねぎらってくれただけよ」
瑠夏は遠慮なく詰め寄ってくる。
「はい、すみません、私が悪かったです、ごめんなさい……だからどうか怒りをお鎮めください……もう後ろは壁で後退できるスペースがないんです……顔が近すぎです……全面降伏しますから……」
「まあまあ長谷部さん。落ち着いて」
大和が苦笑して瑠夏の肩を掴んだ。
ようやく瑠夏の圧から解放された沙良はさっと横に逃げ、大きく息を吐き出した。
(ああ、自由って素晴らしい……戸田くんありがとう……)
「花守さんはごく一般的な、気を遣った表現をしただけだよ。そんなに突っかからなくてもいいじゃん。上から目線に聞こえたかもしれないけどさ、悪気がなかったのはわかってるんだろ?」
「……まあね」
不満そうに瑠夏は頷いた。
「じゃあこの話はこれで終わりにして、俺とご飯食べに行こうよ」
大和は全ての邪気を浄化するような笑顔を浮かべた。
「え」
面喰ったように瑠夏が目を瞬く。
「これからしばらく俺と一緒に行動するのは嫌?」
「……嫌というわけじゃないけど……」
瑠夏が床に視線を落として言い淀む。
「じゃあ行こう!」
大和は明るく言って瑠夏の手を掴み、教室の後方の扉へと向かった。
「!?」
瑠夏はぎょっとしたような顔をしたが、その手を振り解こうとはしない。
大和は扉の前で繋いでいた手を離した。
片手で扉を開き、もう一方の手で扉の向こうを示して「どうぞ」と頭を下げ、恭しく瑠夏をエスコートする。
「……どうも……」
こんな扱いをされたのは初めてなのか、瑠夏は困惑したように言って廊下に出た。
彼女に続いて大和も廊下に出る。
扉を閉める直前、大和は「後は任せろ」とでもいうように、ぱちんと片目を閉じた。
扉が閉まり、二人の姿が視界から消えると同時、厨房スペースにいた男子の一人が歩いてきた。
「……大和は良い男だろう」
男子はしみじみとした調子で言った。
「うん、めちゃくちゃ良い男! 本当に良い男!!」
沙良は力いっぱい頷いた。
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