25:有能、ただし特定の状況を除く

 小林は先週誕生日を迎え、付き合っている他校の男子からペアリングをもらったそうだ。


 中央に小さなブルーダイヤモンドがあしらわれたピンクゴールドの指輪。


 小林は大好きな彼からのプレゼントを大いに喜び、その日から肌身離さず持ち歩いた。


 今日もカーディガンの袖の下に隠して左手の薬指に嵌めていたのだが、友達と非日常で彩られた校内を歩き回っているうちに紛失してしまった。


 友達もしばらくは一緒に探してくれていたのだが、昼時になってお腹が空いたと戦線離脱してしまい、それから一人で探し続けていたらしい。


「あの指輪は私には少し大きくて、薬指に嵌めてると緩くて落ちそうだったんですが、それでも左手の薬指以外嵌めたくなかったんです。彼氏が春から頑張ってバイトしてこの指輪を買ってくれたんだと思うと、他の指輪と交換したいとも思いませんでした。でも、こんなことになるんだったらおとなしくサイズ交換してもらえば良かった。無理に持ち歩かず、家に置いておけば良かった……」

 二年一組の教室で、小林は小さな身体をますます縮めた。


「まあ、嘆いても仕方ないよ。今回のことは良い教訓になったんじゃない? 怖ーい先生の言う通り、学校に不要物を持ってきたらいけないってことだな」

 苦笑いしたのは山岸だ。


 小林から事情を聞いた沙良は彼女を連れて自分のクラスに戻り、居残っていた山岸や歩美たちに協力を求めた。


 そういうことなら人手は多いほうがいいだろう、と人が人を呼び、他のクラスの生徒含む二十人弱が一組に集まっている。


「はい。もう絶対に指輪を持ってきたりしません……ご迷惑をおかけしてしまって、本当に、本当に申し訳ありません……」

「反省してるならそれでいいのよ。大丈夫。ここにいる人たちはみんな小林さんの味方よ」

 沙良はしょんぼりしている小林の頭を優しく撫でた。

 身長差があるせいか、幼い妹のように見えて放っておけない。


「過去を悔やむよりもいまどうすべきかを考えましょう。落とした場所に心当たりはない? 午前中は友達とどんなルートを歩いたの?」

 文化祭のパンフレットを広げ、沙良は小林から聞き取ったルートを校舎案内図に書き込んだ。


 そのルートを適当に四分割して四つの丸で囲み、自分と秀司を除いた生徒たちを独断で四班に分ける。


「じゃあ小林さんと一班はここ、二班はここ、三班はここを。四班は中庭を重点に、屋台前も探してみてください」

 台詞に合わせて校舎案内図につけた四つの丸を次々に示していく。


 一班には面倒見の良い歩美と里帆がいる。

 小林さんのことよろしくね、とアイコンタクトすると、歩美たちは小さく頷いた。


「私と秀司は指輪が拾得物として届けられていないか確認した後、小林さんが行った第二体育館のお化け屋敷を探してきます。他人に指輪を見なかったか尋ねるときは必ず相手を選んでください。指輪の持ち込みは校則違反だとか言って先生に密告しそうな人には声をかけないように」

「わかってるって」

 ひらひらと軽い調子で山岸が手を振った。


「見つかったら班長は私に連絡お願いします」

 各班の班長に任命した生徒とは既に連絡先を交換済みだ。


「もし見つからなくても三十分後――十二時四十分になったら指輪の捜索は終わりにして、全員教室に戻ってきてください」

 教室の時計を見てから言う。


「まだお昼ご飯を食べてない人もいるでしょうし、長く付き合わせるわけにもいかないから、リミットは三十分。小林さんもそれでいいわね?」

「はい、十分です。見つからなかったら後は自分で探します。私のために、本当にすみません……」

 小林は身体の前で両手を重ねて深々と頭を下げた。


「何か質問のある人はいますか?」

 見回すが、挙手する者は誰もいない。


「じゃあ行きましょう。皆さん、よろしくお願いします」

「はーい」

「行くか」

 皆が移動を開始する。


「……にいんちょって、不破くんが絡まなきゃ有能だよね」

「ほんと、不破くんが絡まなきゃね」

 小林を連れて歩く歩美たちの呟きは聞こえなかったことにした。




 捜索にあたって着物を汚すわけにはいかないため、沙良たちは更衣室で制服に着替えた。


 ただし何故か沙良だけ狐耳をつけさせられた。


 狐耳をつけないなら協力しないと秀司に言われて承諾するしかなかったのだ。


(制服に狐耳ってどういうことなの。これじゃまるっきり文化祭に浮かれた馬鹿じゃないの)


 内心ブツブツ文句を言いながら、沙良は秀司と職員室前の廊下に向かった。


 鍵がかけられたガラス棚の中の『拾得物展示コーナー』に指輪はなかった。


「指輪は届いてないって」

 生徒会長と文化祭実行委員長の二人に確認の連絡をしてくれた秀司は自身のスマホを見てそう言った。


「そう。ありがとう。じゃあ第二体育館に行きましょう」


 廊下を歩きながらも足元は注意深く見ていたが、指輪は見つからないまま第二体育館に着いた。


 第一体育館より古く小さい第二体育館では、受験勉強に忙しい三年生が春から準備をしていたお化け屋敷が開催されている。


 時間帯のおかげか、沙良たちは待つことなくお化け屋敷に入ることができた。


 段ボールで作られたお化け屋敷は仕掛けや小物で雰囲気たっぷりだ。


 窓を全て暗幕で塞がれた暗がりの中、それぞれ片手にスマホを持ち、ライトで床を照らしながらコースを少しずつ進んでいく。


 二人の間に会話はない。


 どこかにスピーカーがあるらしく、隙間風のような音や、カサカサカサ……といった不気味な音が聞こえてくるが、いちいち怯えてなどいられなかった。


 通路の端々に配置された人体模型や骸骨、顔の潰れた人形などに目もくれず、姿勢を低くしてひたすら指輪を探している沙良たちを見て、通路のコーナーから急に飛び出してきた三年女子も驚かす気が失せたらしい。


「……何してんの?」


 手首を折り曲げ、両手を前に垂らした典型的な『お化けのポーズ』で登場した白い着物姿の三年女子は顔の全面を覆っていた長い黒髪を掻き上げ、不可解そうに尋ねてきた。


「すみません。コンタクトを落としてしまったみたいで」

 秀司が立って嘘をつく。

 少し離れた場所で屈んでいた沙良も立ち上がり、秀司の横に移動した。


「あら、イケメン――もとい、大変じゃない。後続の生徒を止めて明かりをつけるよう言ってくるわ」

「いえ、それには及びません」

 親切な申し出を秀司は柔らかな口調で断った。


(捜索メンバーの中に堅物が入り込み、せっかく見つけ出した指輪を先生に渡されてしまったら本末転倒だものね。没収されても卒業までには返してもらえるだろうけれど、大事な指輪がいつ手元に戻るかわからない状態なんて小林さんに耐えられるわけがないわ)

 そんなことになったら気弱な彼女はショックで卒倒してしまいかねない。


「お気遣いありがとうございます。でも、落とした場所に見当はついているので、このまま彼女と二人で探したいんです。我儘言ってすみません」

 秀司が頭を下げるのを見て、沙良も急いで会釈した。


 関わらないで欲しいという無言のメッセージは正しく三年女子に伝わったらしい。


「……あなたたち、カップルなのね?」

 沙良と秀司を交互に見て、三年女子は愉快そうに唇の片端を上げた。


「!?」

「そうです」

 動揺を隠せない沙良の隣で、秀司がさらりと肯定する。


「なるほど。そういうことならお邪魔しました。幽霊はおとなしく成仏することにするわ」

 三年女子はウィンクして段ボールの隙間に細い身体を滑り込ませ、闇の中に消えた。


 秀司は何事もなかったかのように通路の先へと進み、屈んで指輪捜索を再開した。


(カップルって言われた……お揃いの着物を着てるわけじゃないのに、ちゃんと彼女に見えたのかぁ……ああ、ダメだ、笑ってしまう……いやいや、浸ってる場合じゃない! いまは指輪を探さなきゃ!!)


 雑念を払い、捜索を続けていたときだった。


 右手に持っていたスマホが不意にブルブル震えた。


「!」

 沙良は急いでスマホの画面を自分に向けた。

 四班の班長、山岸からラインが届いている。


『谷口が中庭で見つけた』

 ピンクゴールドの指輪の写真も送られてきていた。


「やった! 秀司、見て! 四班の谷口くんが見つけてくれたって!」

「良かったな」

 喜色満面で報告すると、通路脇にしゃがんでいた秀司は膝を伸ばした。


 小林や他の班長たちに指輪が見つかったとラインを送ってからスマホをスカートのポケットに入れ、

「行こう!」

 ぽんと秀司の腕を叩き、弾んだ足取りで歩き出す。


「嬉しそうだね」

「そりゃそうよ。あの子、ずっと自分を責めて死にそうな顔してたのよ? 早く喜んだ顔が見たいの」

「ふうん。せっかくお化け屋敷にいるのに、俺と楽しもうという気持ちは少しもないわけだ」

「えっ」

 沙良は思わず急停止して左に顔を向けた。


 間接照明が足元を照らすだけの通路は暗くて見えづらいが、すぐ隣にいる彼の表情くらいならわかる。


 どうやら彼は不機嫌らしい。


 小林を教室に連れて行ったとき、彼は軽く驚いただけで特に負の感情を表に出すことはなかったが、デートの約束よりも他人を優先されて良い気分になる人間はどこにもいないだろう。


「ああ――そうね。ごめんなさい。せっかくだものね。指輪も無事見つかったことだし、出口まで楽しんでいきましょうか」

 秀司は沙良と目を合わせようとせず、何も言ってくれない。


(本当はずっと怒ってたの……?)

 不安の雲が心に立ち込め、沙良はさらに言葉を付け足した。


「あの、誤解しないでほしいんだけど、秀司をないがしろにするつもりはなかったのよ? お化け屋敷ここには小林さんの件が片付いたら、もう一度改めて来ようと思ってたの。私たちは三時まで休憩だし、時間は十分あるでしょう? お化け屋敷も屋台も秀司と行きたいって、本当に楽しみにしてたんだから。昨日の夜はずっと文化祭のパンフレットを眺めてて、楽しみすぎて眠れなかったくらいで――」


 冷や汗を掻きながら早口で弁解していると、堪えきれなくなったように秀司が小さく噴き出した。


(なんで笑うの?)

 唖然としてしまう。


「冗談だよ。もし沙良が俺とのデートを優先して困ってる他人を見捨てるような人間だったら……」


 そこで急に彼は言葉を止め、じっと沙良を見つめた。


「??」

 頭の上に疑問符を浮かべている間に、彼は顔を背けた。


「危な。狐耳が可愛すぎて言わなくてもいいことを言うところだった」

 何か小声でボソボソ言っているが、声量が小さすぎて聞こえない。


「え、いまなんて?」

 首を傾げると、狐耳に添えられた鈴が鳴った。


「……内緒」

 秀司はちらりと横目で沙良を見た後、歩き出した。


「早く帰ろう。沙良の写真も撮りたいし」

「へっ!?」

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