24:困り事なら私まで

 一組が誇る美男美女のコスプレ姿は存分にその効果を発揮したらしく、妖怪喫茶は盛況だった。


 さすがに常時満席などということはないが、それでも客のいない時間はなく、妖怪に扮した生徒は注文に応じた和風スイーツを運び、時にはテーブルに留まって客と談笑した。


 やはり秀司は女性客に大人気で、そのレアなコスプレ姿を撮りたがる生徒もいたが、誰に頼まれようと秀司は断った。


 外出先で見知らぬ人間から盗撮されたり、写真や動画を許可なくSNSに上げられたりしてきた秀司は他人に撮られることを嫌う。


 でも、沙良のスマホには秀司の写真と動画がある。


 そう思うと、彼がどれだけ女性にモテようと気にせずにいられた――が。


「なんで彼女作っちゃうんですかあああ。私だって入学したときから不破先輩のこと好きだったのにいい」

「私もですよおお。不破先輩は皆のアイドルだったのにいい」


 秀司の腕を掴んで号泣する一年女子と、苦笑交じりに謝る秀司を見たときはさすがに内心穏やかではいられなかった。


 それでも、沙良は秀司を信じ、笑顔を崩すことなく他のテーブルで接客した。


 秀司に思いの丈をぶつけて満足したのか――というか、満足してもらえなければ大変困る――やがて一年女子たちは肩を抱き合い、鼻を啜りながら教室を出て行った。


 ちょうどそこで十二時を迎えて午前の部は終了となり、瑠夏は『準備中。午後一時から開店します』と書かれた札を持って廊下へ出て行った。


 これから一時間は全員が休憩時間で、沙良たちは午後三時からまた教室に戻って働く予定だ。


「お疲れ」

 衝立で仕切られた教室の後方、厨房スペース。


 抹茶やチョコレートの匂いが漂うその場所でテーブルを拭き、乱れた紙コップやおしぼりを揃えていると、秀司が衝立の向こうからひょっこり姿を現した。


 沙良が何をしているのかを見て、彼もまたテーブルの上の整理を始める。


「不破くん、お疲れ。後は二人に任せるね」

 沙良と同じ作業をしていた女子は空気を読んで去ってくれた。

 これで厨房スペースには沙良と秀司の二人だけとなる。


「お疲れ様。そっちは大変だったわね。色々と」

 白玉が入った鍋に蓋をしてから振り返る。


「あー……やっぱり気になった?」

 沙良とお揃いの狐耳を生やした彼は困ったような顔をした。


 彼も人前で号泣されるのは予想外だっただろうが、当の一年女子たちも予想外だったに違いない。


 恐らく最初は泣くつもりなどなかったのに、憧れの秀司と話しているうちに感情を堪えきれなくなったのだろう。


 しばらくしたら冷静になり、恥ずかしさにのたうち回るのではないだろうか。


「心配しなくても大丈夫だからな? あの子たちも、最後は『泣いちゃってごめんなさい』って言ってたし、きっぱり忘れますって言ってくれたし……」

 秀司は軽く顎を引き、上目遣いに沙良を見ている。


 まるで些細な失敗をしてしまい、親の顔色を窺う子どものようで、不覚にも可愛いなどと思ったのは内緒だ。


「ええ、大丈夫よ。気にしてないわ。だって、誰が何と言おうと秀司の彼女は私だもの」

 言い切ると、秀司は意外そうに目を見張り、それから微笑んだ。


「随分自信がついたみたいだな」

「そうね……いいえ。正直に言うと、本当は自信なんてないわ。虚勢を張ってるだけよ。泣きながら縋りつかれてる秀司を見たときは、表向き笑顔で接客していたけれど、内心どうなることかと冷や冷やしていたのが実情よ。まだまだ修行が足りないわ」

 頬を掻く。


「でも、いい加減、卑屈になるのは止めたの。秀司はもちろん、瑠夏も戸田くんも、他にも色んな人が応援してくれてるっていうのに、いつまでもグチグチ言ってられないでしょう?」

 特に瑠夏には背中を蹴飛ばされそうだ。


 今度は言葉ではなく、現実で。

 足を振り上げて、思いっきり、それこそ脳髄まで痺れるような一撃を。


「言い訳して逃げるのは簡単だけど、それって応援してくれる人に失礼だわ。だから、私は変わりたいの――いいえ、変わってみせる。そのために、これまで努力してきたんだから」

 長時間扇子を握り続けてきた右手を見る。


 手首は腱鞘炎になりかけたし、全身筋肉痛にもなった。

 それでも沙良は今日までずっと踊り続けてきた。


 全ては明日のステージで大成功を収め、皆に、秀司に――そして弱気な自分自身に、自分が秀司の彼女であることを認めてもらうためだ。


「明日、私は名実ともに秀司の彼女になるから。ブーイングとかありえないから。私に何を要求するつもりだったか知らないけど、残念だったわね?」

 唇の端をつり上げる。


 秀司は目をぱちくりさせた後、


「それは残念だ」

 言葉とは裏腹に、それはそれは楽しそうに、嬉しそうに笑った。


 沙良もつられて笑みが零れた。


 二人で笑い合う。


 そうしてつかの間、穏やかな時間が流れ――ふと、嫌なことを思い出して笑みが強張った。


(……西園寺さんがカップル成立を妨害して来たらどうしよう……いや、大丈夫よ! 石田さんも山岸くんも撃退するために協力してくれるって言ってくれたし! 個人によって積極性に差異はあれど、クラス全員の協力を取り付けたんだから、きっと大丈夫! 考えない考えない!! 今日を楽しまなきゃ!!)


 沙良は内心で激しく頭を振り、再びテーブルの整理整頓に戻った。


「…………?」

 秀司は急に沙良が冷静さを取り戻したことに違和感を覚えていたようだが、西園寺という名前を頭から追い出すのに必死の沙良は隣から向けられる視線に気づかなかった。





 昼休憩に入る前に、沙良は空になった容器やスプーンが詰まった大きなビニール袋を持ってゴミ捨て場へ向かった。


 開店前は秀司の撮影に夢中になり、準備を皆に任せきりにしてしまったので、自分からやらせてと言った結果だ。


 文化祭のために特別に設置された外のゴミ捨て場にゴミを投棄し、昇降口で靴を履き替えて廊下を歩き、階段を上る。


「あ、狐だ」

「ほんとだ。狐っ娘だ」

 階段の途中ですれ違った男子生徒二人が沙良の格好を見て言った。


(ちょっと恥ずかしいな……)

 でも、秀司に「この格好のままデートしよう」と言われたので休憩に入ってすぐに着替えるわけにはいなかったのだ。


 文化祭デート――なんと心躍る響きだろうか!


(秀司と何食べようかな。定番の焼きそば? フライドポテトやたこ焼きを二人で分け合ったりするのもいいなあ)


 階段を上りながら笑みを零す。

 生徒たちの声や足音に交じって、校舎内のどこからか、笛や太鼓を使った明るい和風音楽が聞こえてくる。


(外で男子たちが食べてた肉巻きおにぎりもおいしそうだったな――いやちょっと待って、デート中に肉なんて食べたら秀司に引かれないかしら? 口臭も気になるし……うーん、ここはおとなしくホットドッグとかにしとくのが正解? 足りなかったらデザートで補う。それがいいか。デザートも色々あったわよね、チュロスとかクレープとか――)

 楽しい想像をしながら二階を通過し、そのまま三階を通り過ぎて三段ほど上ったときだった。


「?」

 何か――意識の端に引っ掛かるようなものを見たような気がして、沙良は足を止めた。


 上った三段分の階段を下り、何が気になったのかを確認するべく三階廊下を見回す。


 三階は一年生の教室がある階だ。

 沙良も去年はこの三階で学生生活のほとんどを過ごした。


 三階廊下では魔女のコスプレをした一年生が数人集まって談笑している他、友達とパンフレットを見ながら次はどこに行こうか相談している生徒、一人で廊下を歩く生徒など、色んな生徒がいた。


 廊下の端には文化祭の道具や机や椅子が積まれており、すぐそこの一年二組の教室の扉横には『縁日』という看板が出ていた。


 陽気な和風音楽はあそこから聞こえていたらしい。


(あ、多分あの子だ)

 注意深く辺りを見回していた沙良はセミロングの女子生徒に目を留めた。


 今日は着物で働いていると汗を掻くほどの陽気だというのに、彼女は『一年三組』と書かれた緑色のクラスTシャツの上に薄手のカーディガンを羽織っていた。


 紺色のカーディガンはかなり大きめで、彼女の手は半分ほど隠れ、指先しか見えない状態だ。


 彼女は可哀想なくらいに背中を丸め、この世の終わりみたいな顔をして足元に視線を漂わせている。


 左右にふらふらと頭を振りながら、落とした何かを懸命に探しているようだった。


(さて。面識のない一年生に上級生が声をかけるべきか、無視して通り過ぎるべきか)


 四階の教室では秀司が、楽しいデートが待っている――


 迷ったのはほんの一秒のことで、沙良は問題の女子生徒に歩み寄った。


「ねえ、そこのあなた。どうしたの?」

「え……」

 急に声をかけられたことに驚いたらしく、廊下に積み上げられていた机の下を屈んで見ていた彼女はびくっと肩を震わせてこちらを見上げた。


 ぱっちりした大きな二重の目が特徴の可愛い女子だった。


「初めまして。いきなり、しかもこんな格好でごめんね。怪しい人間じゃないから安心してね」

 片手で頭の狐耳を触ってから、その手を軽く振ってみせる。


「二年一組の花守っていいます。一応聞くけど一年生、だよね?」

「はい、一年です……三組の小林っていいます」

 怯えたような眼差しで彼女はそう名乗り、おっかなびっくり立ち上がった。

 彼女が立ったことで、小柄な彼女と沙良とは二十センチくらい身長差があることに気づく。


「良かった。先輩だったらタメ口を利いたことをお詫びしなきゃいけなかったから」

 警戒を解くために、沙良は愛想よく笑った。


「さっきから見てたんだけど、どうしたの? 何か落としたの? 困りごとなら手を貸すよ?」

「いえ。なんでもありません。大丈夫――」

「――には見えないから、声をかけたんだけど」

 台詞を先回りして言うと、小林は貝のように口を閉ざしてしまった。


「余計なお世話だったかな? 私の手助けが必要ないならこのままおとなしく自分の教室に戻るけど、どうしよう?」

 選択権を渡してその目を見つめると、小林は葛藤するように眉間に皺を刻み、俯いた。


 そのまま一秒。二秒。三秒――十秒。


「……困ってるなら素直にそう言ってもらえると助かるんだけども?」

 そろそろ待つのに飽きて苦笑すると、彼女は観念したように項垂れた。


「……はい。助けて下さると助かります。全て私が悪いんです……」

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