21:賭けをしよう
(ねえ、秀司。蓮華の花言葉を知っててあの曲を踊りたいって言ったの? 私は自惚れてもいいの? 秀司も私のことが好きなんだって、思ってもいい?)
瑠夏たちから秀司が踊ろうと言い出した動機を聞いたことは秘密だ。
『もし勝手にばらしたなんて知ったら本気でぶっ殺されそうだから、無事花守さんたちが付き合うまでは絶対内緒にして』と大和からは言われている。
そもそも瑠夏と大和が秀司の動機を明かすことになったのは沙良が不甲斐ないからだ。
自分はダメな女だ、秀司にはとても似つかわしくない、秀司の考えていることがわからないとグチグチ言い続けてきたから、瑠夏の堪忍袋の緒を切れさせてしまった。
(どうしても自信がなくて、不安なら、一人で悩んでいないで本人に尋ねるべきよね)
「……あのね、秀司」
秀司は沙良の呼びかけに応じて目を合わせた。
「変なことを言うようだけど。私、ずっとヒロインにはなれない人間なんだと思ってたの」
「何それ。どういうこと?」
意味がわからないらしく、秀司は怪訝そうな顔をした。
「ええと。そんな大した話じゃないんだけど……」
どうにも気まずくて、沙良は目線を落とし、サイドテールを弄りながら語った。
「……小学生のときに、劇でシンデレラをやることになって。私も大半の女子の例に漏れず、昔はプリンセスに憧れたりしてたものだから、主役のシンデレラに立候補したのよ。そしたらクラスで一番可愛い子も立候補して。投票でその子がやることに決まったんだけど、誰も私に投票してくれなくてさ。あれはちょっと惨めだったな……」
はは、と乾いた笑みが零れる。
もしあのとき瑠夏が同じクラスだったら友達のよしみで自分に投票してくれただろうが、仮定の話をしたところで過去の事実は変わらない。
「その後クラスの子たちが言ってるのを聞いちゃったのよね。沙良ちゃんは悪役の方が合うとか。シンデレラには全然向いてない、もしシンデレラとして登場したら皆がガッカリするとか。まあ要約すれば『身の程知らず』ってことよ。結局私は意地悪な義姉役をやったんだけど、はまり役だって皆から褒められたもの」
秀司は無言。
重く沈んだ空気を和らげるべく、道化と化して沙良は笑った。
「仕方ないわよね、私ってほら、ツリ目だし。親からも『あんたは妹と違ってきつい顔してるから意識して笑うようにしなさい』って言われてたし。友達からも、みんなからもそう言われてたのに。なのになんであんな自信満々にシンデレラをやれると思ったのかしら。本当に馬鹿よね――」
「馬鹿で見る目がないのは沙良のクラスメイトだろ。こんなに可愛いのに」
いつものからかうような笑みはなく、真剣な表情で言われたものだから、心臓が跳ねた。
「もし俺がそのときその場にいたなら、迷わず沙良に一票入れてたよ」
「…………」
その言葉は、こっそりトイレで泣いたあの日の幼い自分を救ってくれた。
深く深く、心の奥底に沈殿していた負の感情が昇華されたような気がする。
「……ありがとう」
涙ぐんだ目を隠すように、沙良は頭を下げた。
「大げさだな。当たり前のことを言っただけなんだから、礼なんか言わなくていい」
「………うん」
温かい言葉に胸がギュッと痛くなり、沙良は目元を擦った。
俯いて水を飲み、上目遣いに秀司の様子を窺う。
秀司はテーブルの上に両腕を乗せ、窓の外に目をやっている。
雲間から光が零れ、濡れた庭を照らす光景を、彼はただ黙って見ていた。
(……どうしよう。言ってしまおうか)
心臓が早鐘を打ち始めた。
膝の上で握った手がじっとりと汗ばみ、顔が熱くなる。
近くの席の女子たちが笑い声を上げた。
文化祭についての話題で盛り上がっているようだが、いまの沙良には彼女たちの話の内容が耳に入ってこない。
(言わなきゃ。私から。見た目だけ変わってもダメだ。中身も変わらなきゃ。私は変わりたい。本当の意味で秀司に似合う女になりたい)
どんなに可愛く、ヒロインに相応しい子がいたとしても、迷うことなく沙良に一票入れると断言してくれたこの人に、想いを伝えたい。
「……あの、さ。お願いがあるんだけど」
「何?」
秀司が沙良を見ている。
真正面から。まっすぐに。沙良だけを。
「秀司は賭けようって言ったわよね。文化祭で踊り終えた後に拍手喝采を浴びるか、ブーイングを浴びるか。その賭けの内容、私が決めてもいい? もし……もしも拍手喝采を浴びることができたら……私が秀司の彼女に相応しいと、皆が認めてくれたら……」
ごくり、と唾を飲み込む。
頰は熱く、喉はカラカラで、心臓は暴れ回り、弱気な自分はいますぐ逃げ出したいと訴えている。
それでも強く両手を握り、勇気を振り絞った。
「……付き合って!!」
(言えたああああああ!!!)
沙良は自分自身にこそ拍手喝采を浴びせたい気分だったのだが――
「いいよ」
秀司は驚きもせず、至極あっさり了承した。
「…………………………。え?」
あまりにも自然な態度で言われて、沙良は一瞬、自分の気持ちを伝え損ねたのかと真剣に悩んだ。
(いや、私、ちゃんと言ったわよね? 付き合ってって)
「……いいの? 本当に?」
困惑して尋ねる。
「いいけど。どこ行くの?」
「そっちじゃないっ!!!」
まさか付き合うの意味を取り違えられているとは夢にも思わなかった沙良は全力でツッコんだ。
そして自分の言動を猛省する。
(私、そんなに拗らせてたのか……『付き合って』と言われて素直に秀司が告白と受け取れないのって、間違いなく私のせいよね……そうです私が全て悪いんです……)
瑠夏の冷たい目を思い出し、沙良は内心頭を抱えた。
「え? だって、付き合うって…………。!!?」
やっとその可能性に思い当たったらしく、コップに残っていた少量の水を飲み干そうとしていた秀司は突然目を見開いて固まった。
その手からコップが滑り落ちる。
コップはテーブルにぶつかって鈍い音を立て、わずかに残っていた水を零しながら転がっていく。
「!」
秀司はとっさに屈んで手を伸ばし、床に落下する直前でコップを空中キャッチした。
さすが秀司、酷く動揺していてもリカバリーは完璧だ。
「大丈夫?」
「ああ、寸前でキャッチできたし、ほとんど水は残ってなかったから大丈夫……っていうか、それより。何。いきなり。驚くだろ」
秀司はコップを元の位置に戻し、片手で顔を覆った。
指の隙間から見えるその顔はわずかに赤くなっていたりする。
「いきなりじゃないわよ。前からずっと考えてたの。どう……かな。嫌?」
沙良は身を屈め、彼の顔色を窺った。
「嫌じゃないけど……まさかそんなこと言われるとは思わなかったから。動揺した」
秀司は額を押さえてため息をついた。
「みたいだね。鳩が豆鉄砲を食ったような顔してたからね。惜しいなあ、動画撮っておけば良かった」
「へえ。言うじゃん……ああもう、最悪」
言っていていまいち格好がつかないとでも思ったのか、秀司は赤くなった頬を拭うように指で擦ってそっぽ向いた。
(こんな顔もするんだ)
いつも飄々とした態度の彼が照れているのが可愛くて、つい笑ってしまう。
これまでどんなに近くにいても、沙良は秀司をどこか遠く感じていた。
気後れしてしまうほど美しい、学年トップの天才。
万事をそつなく彼は常に沙良の一歩先を行く憧れで、自分にはとても手の届かない存在だと。
でも、違った。
些細なことで一喜一憂したり、予想していなかった展開に驚いたり、顔を赤らめて動揺している姿は自分と同じ――ごく普通の、一人の人間だ。
(そういえば、戸田くんも石田さんも言っていたわね。秀司は普通の男だって)
もしかしたら彼らは、そんなに身構えず、対等に、肩の力を抜いて接するべきだと遠回しに伝えてくれていたのかもしれない。
「ねえ、返事は?」
調子づいた沙良は上体を寄せて尋ねた。
「……いいよ」
照れ隠しなのか、顔を赤らめたまま仏頂面で秀司は言った。
「でも、それって、ブーイングを浴びた場合はどうなるんだ?」
「うっ。だから、そうならないように努力してるわけで……」
たちまち沙良は怯み、秀司はその隙を見逃さず反撃に出た。
沙良が上体を引いた分、彼が身を乗り出してくる。
「じゃあ、もしブーイングだった場合は何でも一つ俺の言うこと聞いてね」
秀司はぴっと指を立ててみせた。
「な、何でもって……さすがにそれはちょっと……」
目を泳がせたが、周りの生徒たちはそれぞれのグループで会話に興じており、大和のように助け舟を出してくれる人間はどこにもいない。
「嫌なら付き合うって話も無しだな。賭けが成り立たないわけだし」
主導権を取り戻したことが嬉しいらしく、秀司は頬杖をついてにっこり笑った。
「え、それは……」
「で? 返事は?」
頬杖をついたまま秀司が頭を傾ける。
(ものすっごい良い笑顔でやり返してきた……!! やっぱりこの人ドSだわ!! 絶対ドSよ!! ブーイングだった場合、何を要求されるかわかったものじゃない……けど……けど!!)
やっぱり秀司と付き合いたい!! という欲求が勝ち、
「わかったわよ! 何でも聞く!!」
ほとんどやけになって沙良は叫んだ。
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