19:手作りケーキは特別?
「秀司と並んで立てば月とすっぽんなのはわかってるんだけど……でも、何の手入れもしてないすっぽんよりも、甲羅を磨いたすっぽんのほうがまだマシかな、とか……いや何言ってるのかしら。私はいつから亀になったの」
「やーん、恋する乙女モードのにいんちょ可愛いー!!」
自分の言葉に混乱していると、歩美が突然抱き着いてきた。
「!?」
「ちょっと、不破くん、不破くん!! こっち来て!! にいんちょが可愛いこと言ってるから!! 不破くんのために可愛くなりたいって言ってるから!!」
歩美に頬擦りされている間に茉奈が秀司の元へ飛んで行った。
「ちょっと、呼ばなくていいわよ!!」
引き止めたいが、歩美が腕をがっちりホールドしているため沙良は身動きが取れない。
「何?」
茉奈に連行される形で秀司が来ると、歩美はそのときを待っていたかのようにぱっと抱擁を解いて秀司に向き直った。
「聞いてよ、にいんちょ、不破くんのためにコンタクトにしたんだって!! 眉毛を整えて睫毛も上げたし、爪も磨いたんだよ!?」
「そそそそんなことないわよ!! これはそう、気が向いたからイメチェンしてみようかって思っただけで!!」
本当によく見てるなと感心しながら、沙良は両手をさっと机の下に隠した。
「え、さっきと言ってること違うじゃん」
歩美が不満げに呟いたそのとき、斜め前から殺気を感じた。
「!!」
見れば、肩越しに振り返った瑠夏が凄い形相でこちらを睨んでいる。
あんたいい加減にしなさいよ――何よりも強くその表情が訴えていた。
(やばい、渾身の力を込めて顔面チョップされる!!)
「い、いやあの、……そう……です」
沙良は頬を赤く染めて俯き、消え入りそうな声で認めた。
「へえ。コンタクトにしたのって俺のためなんだ? 今日は綺麗だな、って思ったのは間違いじゃなかった」
秀司は沙良の右腕を掴んで机の下から強引に引っ張り出し、さらに指先を軽く握るように掴んだ。
その瞳が見つめているのは、昨日の夜に磨いた沙良の爪。
(き、綺麗って、綺麗って、ああそう、爪のこと! 爪のことね!? 危うく勘違いするところだったわ!!)
心臓がバクバクとうるさい。
「ありがと。沙良は眼鏡外したほうが可愛いよ。素顔のほうが良いって前から思ってたんだよね」
ぎゅっと沙良の手を握り、秀司はにっこり笑った。
「!!!?」
心臓が大きく飛び跳ねた。
握られた手をやけに意識してしまい、顔の熱がさらに上昇する。
「い、いえあの……そうですか、はい……」
顔を真っ赤にして、しゅうしゅうと頭から煙を噴き上げている沙良を、歩美たちがニヤニヤ笑いながら見ている。
(この空気、どうにか変えなきゃ。このままじゃ恥ずかしくて死んじゃう)
「そうだ、石田さんたちに渡したいものがあったの。ちょうどいい機会だからいま渡すわね」
沙良は秀司の手から自分の手を引き抜き、机の横のフックに掛けていた鞄から三つのビニール袋を取り出した。
透明なビニール袋で丁寧にラッピングされているのはカップケーキだ。
金曜日に沙良も瑠夏からカップケーキを貰ったのだが、美味しかったので自分でも作ってみようと思った。
「私の手が治るまで、毎朝髪を結ってくれてありがとう。これ、お礼。良かったら食べて。味は保証するわ」
沙良は三人にそれぞれカップケーキを手渡した。
「わー、ありがと!」
「にいんちょのケーキ食べてみたかったんだよねー。不破くんに渡してるケーキ、どれも美味しそうだったから。夢が叶ったよ」
里帆が手の中のカップケーキを大事そうに持ち、嬉しそうに笑う。
「夢って、そんな大げさな。でも喜んでもらえたなら嬉しいわ」
和やかな空気に包まれる中、一人だけ表情を曇らせた人物がいた。
「……ケーキ……」
「ん?」
秀司の小さな呟きに反応して、沙良は首を巡らせた。
秀司は何やら不機嫌そうな顔で、三人の手の中のカップケーキを見ている。
「どうしたの? 秀司」
「何でもない。授業始まるから戻る」
秀司はそう言ってすたすたと歩いて行った。
「……あー……」
「これは、やっちゃいましたかね?」
「やっちゃいましたねー」
歩美は苦笑いして後頭部を掻いている。
「何? どういうこと?」
「にいんちょ、カップケーキはもちろん嬉しかったんだけど、不破くんの前で渡したのはまずかったよ。麻薬の取引みたいに、こっそり渡すべきだった」
「うん。クッキーとかなら不破くんも何も言わなかっただろうけどね。ケーキは、ねえ?」
「あー。不破くんの前で喜んじゃダメだったな、反省」
里帆は額を押さえている。
「どうして?」
三人が言う言葉の意味がわからず、沙良は首を傾げた。
「わかんないかなあ。にいんちょは一年のときからずっと不破くんに手作りケーキを渡してきたんでしょ? にいんちょの手作りケーキは二人の絆、二人だけの『特別』でしょう。にいんちょのケーキが食べられるのは自分だけだと思ってたのに、目の前で同性とはいえ、クラスメイトにほいほい渡されたら……ねえ?」
そこで歩美は里帆たちに顔を向けて意見を求めた。
「ガッカリだよね」
「悲しいし辛いね。私だったら渡した相手に嫉妬しちゃうね」
二人が頷き合う。
「まさか。そんな。秀司に限って嫉妬なんてするわけ――」
「にいんちょは男心をわかってなさすぎ。不破くんだって普通の男だよ? 好きな子の手作りケーキは自分のもの、自分が独占したいって思って何が悪いの」
歩美は呆れ顔で右手にカップケーキを持ち、左手を折り曲げて腰に当てた。
「じゃあたとえば。テストが終わるたびに不破くんがにいんちょに毎回薔薇を一輪プレゼントしてたとする。それなのに、不破くんが他の女子に薔薇をプレゼントしたらどう思うよ?」
「嫌。」
考えるまでもなく沙良は即答した。
「でしょう?」
「でも、私は他の男子じゃなく、同性の石田さんたちにケーキを渡したのであって――」
「そんじゃ不破くんが他の男子に薔薇を渡したとしたらどうよ? にいんちょはモヤっとしない? 全然? ちっとも? 本当に?」
「……する……」
沙良は負けを認め、鞄からもう一つ隠していたカップケーキを三人だけに見えるように軽く持ち上げた。
渡したものより少し大きいカップケーキを見て、三人は目をぱちくりさせている。
「……実は秀司にも用意してて……日頃のお礼というか……」
もごもごと口の中で呟くと、三人は顔を見合わせた後で笑った。
「なんだ、あたしたちへのカップケーキは不破くんに渡すためのついでか!」
「いや、そういうわけじゃ」
「いいよいいよ。二人が仲良しなのが一番だし?」
「心配して損したわ――」
ちょうどそこでチャイムが鳴った。
「早く仲直りしなね!」
「じゃ!」
三人はカップケーキ片手にそれぞれ自分の席に戻っていった。
次の授業の教科書を机に並べながら、沙良はちらりと秀司の様子を窺った。
秀司は頬杖をついて前を向いている。
こちらの視線には気づいていないのか、それとも気づいていて無視しているのか。
(……怒ってる、のかな)
無視されているのかもしれないと思うと胸が痛んだ。
直後、次の授業の担当の先生が教室に入ってきたため、沙良は急いでクラス委員長の仮面を被って号令をかけた。
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