18:筋肉痛の月曜日
文化祭がいよいよ今週末に迫った月曜日、三時限目終了後の十分休憩中。
(……疲れた……)
沙良は右頬を自分の机にべったりくっつけ、全身の筋肉を弛緩させていた。
心優しいクラスメイトたちは沙良を見ても見ぬふりをしてくれている。
おかげで沙良は存分に休むことができていたのだが――
「にいんちょ、大丈夫? 生きてる?」
歩美の声がした。
机に両手をついて鉛のように重く感じる頭を持ち上げ、ゆっくり首を動かして右手を見れば、歩美たち三人組が心配そうな表情で立っている。
「……一応生きてます……」
生まれたての小鹿のようにプルプル震えながら言う。
近くの席で話していた男子たちもこちらを向いていた。
「辛かったら寝てていいよ? それとも保健室行く?」
「大丈夫……ただの筋肉痛だから……」
沙良は痛む腕を動かして、これまた痛む首を押さえた。
(首が痛いし肩も痛い。腕も腰も脚も痛い……もはや全身が痛い……)
三日前の金曜日。
腕が治った沙良に、瑠夏は「一人だけスタートが遅れてるんだから」とスパルタレッスンを行った。
一応沙良は秀司への恋心を自覚したばかりで、少しくらい甘酸っぱい恋の余韻に浸らせてくれても罰は当たらないのではないのか――なんて思ったりしたのだが、瑠夏は容赦なく沙良の身体を掴んで事細かにダメ出しをした。
まるで八百屋が大根でも扱うような手つきで彼女はこちらの身体を掴んできた。
何故秀司や大和が異性の瑠夏に身体を掴まれても特に恥じらう様子がなかったのかわかった。
(あんな情緒もへったくれもない適当さで扱われれば、ドキッとするわけがないわ)
何より問題点を指摘する瑠夏は至って真面目なのだ。
射抜くような強い目で睨まれては邪な考えを抱けるわけもない。
沙良は彼女の期待に応えるべく、レンタルスタジオに居残れる時間ギリギリまで粘って踊った。
翌日の土曜日は秀司と花守食堂で働いた。
前日のラインで秀司は『大丈夫』と言っていたが、実際に平気な顔で左手を振ってみせた彼を見てようやく沙良は安堵することができた。
お昼のピークが過ぎ、テーブル席で秀司と一緒に遅い昼食を食べながら談笑していると、常連客が「仲が良いんだねえ」と言った。
沙良は赤面したが秀司は「実は付き合ってるんです」と言わなくてもいいことを言い、その場にいた客全員に茶化されたり祝福されたりした。
……死ぬほど恥ずかしかった。
夕方になってバイトが終わると、沙良は秀司を自分の部屋に招き、ダンスの練習に付き合ってもらった。
悔しいが彼のダンスはほとんど完璧だった。
瑠夏は「あたしは重箱の隅をつついてるようなもの」と言っていたが、確かに秀司のダンスはこのままステージに立っても拍手喝采を送られるのは確実なレベルにまで仕上がっていた。
危機感を覚えた沙良はその日の夜遅くまで自主練習をした。
日曜日には四人でダンスの衣装を買いに行き、レンタルスタジオに寄って踊った。
撮ったビデオを確認しても、やはり沙良だけが下手だった。
解散した後も、沙良は自宅で自主練習に励んだ。
そして現在。
金土日と、三日連続で頑張った結果は筋肉痛という反動となって沙良の身体を蝕んでいた。
「全身筋肉痛で動けなくなるって、相当だよね。さっきの体育でも、にいんちょ一人だけ変な動きしてた」
「うん。壊れたマリオネットみたいだった」
「自覚してるから言わないで……隣のクラスの子にまで心配されたんだから……」
沙良は両手で顔を覆った。
今日は朝から小雨が降っていたため、三時限目の体育は珍しく一組と二組の男女混合でバドミントンをした。
最初は体育館を半分に分けて男女別に授業を受けていたが、せっかくだから男女混合でやりたいという生徒たちの要望が通り、後半は男女混合で試合もした。
気になるあの子に良いところを見せようと張り切る男子、彼氏に声援を送る女子。
試合は常にはない盛り上がりを見せていた。
運動神経が良く見た目も良い秀司と大和の大活躍に、隣のクラスの女子たちもきゃあきゃあ大騒ぎ。
沙良もその波に乗り、声を出して秀司を応援したい気持ちはあったのだが、声を張り上げようとすると腹筋が痛むため心の中で声援を送った。
自分の試合のときはろくに動けず、沙良ばかり狙われて惨敗してしまい、パートナーの二組の男子には申し訳なかった。
「ちょっと頑張りすぎじゃない?」
「いいえ、文化祭は今週末だもの。いくら頑張っても頑張りすぎるってことはないわ」
沙良は後ろを振り返った。
文化祭が近づくにつれて文化祭用の道具は増え、教室の後方、約三分の一が道具で埋まっている。
おかげで生徒たちが座る席のスペースも普段より狭くなり、全体的に机が前へ寄っていた。
「私はクラス委員長なのに、クラスの準備をほとんど手伝うことなくダンスに専念させてもらっているからね。ステージで無様な姿を晒すわけにはいかないのよ」
びき、と背筋が音を立てるのを感じつつ、まっすぐに背筋を伸ばす。
つい癖で人差し指で眼鏡の縁を押し上げようとし、そこに眼鏡がないことに気づいて沙良は手を下ろした。
「にいんちょが頑張るって言うなら応援するけど。まあ、それはともかく?」
「そうそう、それはともかく?」
歩美は意味ありげに友人たちと顔を見合わせてから沙良の机に両手をつき、身を乗り出した。
ふわりと柑橘系の香りがする。
歩美がつけている香水の香りらしい。
「にいんちょ、コンタクトにしたんだね? イメチェンですか?」
「誰のためですか?」
「ずばり不破くんのためですか?」
三人の目は好奇心に輝いていた。
「……ええ。そうよ」
沙良の頷きに合わせてサイドテールが揺れる。
サイドテールには黄色いリボンが結われていた。
もちろん、このリボンを結ったのは彼女たちではなく、左手が治った沙良自身だ。
「ほほう?」
「恋の力は女を変えるねえ。眉毛も整えたし、その睫毛もビューラーで上げたっしょ?」
茉奈は顔を近づけてしげしげと沙良の顔を眺めた後、にやりと笑って人差し指を向けてきた。
磨き抜かれた爪には透明なマニキュアが塗られていて、彼女の顔にはほんのり化粧が施されている。
その唇を薄紅色に染めているのは口紅か、それとも色付きのリップクリームか。
先生に怒られるギリギリのラインを彼女たちは攻めていた。
「……よく気づいたわね。さすが、普段から美容に気を付けてる人は違うわ」
サイドテールを指先で弄る。
シャンプーやリンスをワンランクアップさせ、風呂上がりに椿油を塗るなどして気を遣い始めた沙良の髪は以前より手触りも良く、艶やかさも増したのだが、その些細な変化も彼女たちなら気づいているかもしれない。
「その。一応私は秀司の彼女なわけだし。少しでも相応しい人間になりたくて……」
言っていて恥ずかしくなり、沙良は目を逸らした。
「い、いやまあ、私は美人じゃないから。多少身だしなみに気を付けたところで、石田さんたちみたいな生まれつきの美人に敵うわけないんだけど」
「え、うちら? 美人?」
「美人じゃない。みんな可愛いわ」
自分を指さす茉奈を見返して、真顔で頷く。
沙良は身長が167センチと女子にしては高めなので、大抵の女子は小さく、可愛らしく見える。
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