05:テスト後のお約束

「はい、これ。約束のケーキ」


 昼休憩開始から十五分後。

 喧噪に包まれ、様々な音と匂いが立ち込める食堂の二階で、沙良は秀司の前に手作りケーキが入った箱を置いた。


 教室で渡すとクラスメイトたちがやたら見てくるため、ケーキを渡す日はいつも持ち込み可能な食堂を利用し、秀司と共に昼食を摂るのが恒例となっていた。


「ありがと。お返しにこちらをどうぞ」

 秀司は有名洋菓子店のシールが貼られた白い箱を沙良の前に置いた。


 テスト後のお菓子交換はもはやお約束と化している。

 二回連続でテストに負け、ケーキを渡した日に「貰ってばっかりなのも悪いから」と有名店のケーキをくれたのが最初。


 それからずっと、沙良がケーキを作って渡す度に、秀司はお返しと言っては様々なお菓子をプレゼントしてくれた。


「……ありがとう」

 テストで負けた人がケーキを渡すのは二人の間のルールであって、秀司が気を遣う必要はないのだが、お返しを楽しみにしている自分がいるのは本当なので何も言えない。


「開けてもいい?」

「もちろん」

 開けてみると、シャインマスカットと栗のタルトが入っていた。

 どちらも見ているだけで涎が出そうな逸品だ。


「わあ。これって二つとも期間限定のやつでしょ? 半年前から予約してないと手に入らないって聞いたけど」

「うん。だから勝つことを見越して予約しといた」

 秀司は笑ってケーキの箱を開けた。


「これはまた……凄いな。ケーキ屋のショーケースに陳列されてても違和感ないよ。将来パティシエになれるんじゃない?」

 沙良お手製のチョコレートケーキを見下ろして、秀司は感嘆している。


「それほどでもないけど……いただきます」

 だらしなく緩もうとする頬の筋肉と戦いつつ、沙良は顔を伏せてフォークを手に取った。


「いただきます」

 秀司もまたフォークを手に取り、ケーキを食べ始めた。

 祈るような心地で一連の動作を見守っていると、秀司はやがてケーキを嚥下し、破顔した。


「うん、美味しい。本当に腕を上げたな。最初に作ってくれたホイップケーキはいかにも『素人が頑張りました』って感じだったのに、いまやプロの領域じゃん。さすが、一年以上もケーキを作ってるだけある。卒業までこのケーキが食べられると思うと楽しみだな」


 さっきより大きくケーキを切り取って、秀司は再び頬張った。

 その表情は幸せそうで、作った甲斐があるというものだ。だが。


「聞き捨てならないわね。この先も負ける気ゼロってこと?」

「当然。何度だろうと受けて立つよ?」

 挑戦的な笑みにカチンときて、沙良は目を眇めた。


「ふん、調子に乗ってられるのもいまのうちよ。夏休み明けテストはしょせん夏休み明けテスト、実力テストの前座に過ぎないわ。勝負はこれからよ。不破くんが中間テストで負けたら、ウェディングケーキばりの巨大ケーキを作ってもらうんだから。覚悟しなさい!」


「……なんだろうな。もはや負けフラグにしか聞こえない。中間テストでまた泣く未来しか見えない」


「そこ! 遠い目をしない! まるで見てきたかのように未来を語らない! 今度こそは絶対絶対負けないんだから――ねえちょっと聞いてる!?」

「はいはい聞いてる聞いてる頑張ってー」

「棒読み!」


「いやーだって、『しょせん前座』の夏休み明けテストでボロ負けしてボロ泣きした人にそんなこと言われても……」

「ボ、ボロ負けじゃないし!! 485点も取ったし!! 確かに泣いてはしまったけどボロ泣きとまでは言わな……言わないはずだし!!」


「ほら、自分でも自信ないじゃん。あれはボロ泣きの範疇に含まれるでしょ。こっちは大声で喚き散らされて思いっきり揺さぶられたんだよ?」

「………………」

「そうだ、教室に戻ったらあの場にいた全員に『あれはボロ泣きだと思いますか』アンケート取ってみよう」

 わざとらしく大袈裟な動作で手を打つ秀司を見て、とうとう沙良は頭を下げた。


「……すみませんボロ泣きでした認めますから止めてください……」

「うむ、わかれば良い。許す」

「だからなんで偉そうなのよ……そしてなんで満足そうなの……私を屈服させるのがそんなに楽しい?」


「うん、とっても。」

 光り輝く太陽のような笑顔を見せつけられては、それ以上何も言えず、沙良は渋面になってマスカットのタルトを口に運んだ。


「……美味しい……」

 さすが行列のできる有名菓子店のタルトだ。

 マスカットと果肉入りジャムとサクサクしたタルトの生地は口の中で絶妙なハーモニーを奏で、たちまち沙良を笑顔にさせた。


「気に入ってもらえたみたいで良かった。まあ、どんな菓子も委員長の手作りケーキには敵わないだろうけどね。何て言ったってこれは世界に一つしかないから」

 秀司は沙良の反応を見て微笑み、チョコレートケーキを頬張った。


「……褒めたって何も出ないわよ」


(有名店のお菓子が敵わないとか!! 頑張った甲斐があったー!!)


 口ではつれないことを言いつつ、心の中では涙を流して万歳三唱する。

 四日間の努力はいまこのときを持って報われた。


 生徒たちの騒がしいお喋りを聞きながら、互いにお菓子を堪能する。


 この時間は沙良にとって宝物だ。

 この時間だけは人気者の秀司を独占することができるのだから。


 タルトを食べながら、こっそり視線を上げて秀司を見つめる。

 三駒高校の食堂は吹き抜け構造になっていて、ガラス張りになった一面からは丁寧に手入れされた中庭が見える。


 雨上がりの空と中庭を背景にしてテーブルの向かいに座り、ごく自然体でケーキを頬張る秀司を見ていると、なんだか不思議な気分になる。


 入学式当時の彼は沙良に無関心で、クラスメイトだというのに沙良の苗字すら覚えていない有様だった。


 それがいまはこうして向かい合ってケーキを食べる仲にまで発展したのだから、あのとき行動したのは間違ってなかったと思う。


 沙良がアクションを起こさなければ、きっとこんな未来も訪れなかった。


 幸せな気分で二個目のタルトを食べていた沙良は、秀司の視線に気づいて手を止めた。


「……何?」

 ケーキを食べ終えて手持ち無沙汰なのかもしれないが、イケメンに真正面から見つめられると反応に困ってしまう。


「さっき教室で魂が抜けてた人とは別人みたいだなと思って」

「! ちょっと、またその話? 何回蒸し返せば気が済むのよ」

 みるみるうちに沙良の頬は紅潮した。


 昼食を食べている間も散々ネタにされたのだから、もういい加減に勘弁してほしい。


「蒸し返したくもなるでしょ。俺に彼女がいるって嘘情報を信じてショックを受けるってことは、少しは俺に気があるのかなって期待しちゃうじゃん」


「な、なななな。きき、期待って――何言ってるのよ。それじゃまるで、不破くんが、私に好かれたいって思ってるみたいじゃない。変なこと言わないで」


 沙良はみっともないほどに動揺しながらコップを掴み、中身のカフェラテを一気飲みした。


「大体ね、勘違いしないでよ。私が、不破くんに、気があるなんて! まさか、そんなこと、あるわけないじゃないの。そうよ、天地がひっくり返ったってないわ!」

 この話題は終わり! と言わんばかりに、どん! と音を立ててコップをテーブルに置く。


(ああああ。だから、なんで私は可愛くないことしか言えないの……)


 嘆きつつも原因はわかっている。

 自信がないからだ。


『自分なんかが愛されるわけがない』と予防線を張ってしまっているからだ。


(こんな面倒くさい女、嫌われて当然よね……)

 口元を結んでいると、秀司は眉尻を下げ、ことさら残念そうな顔をした。


「そうか。俺は委員長に嫌われてたのか……」


「うっ」

 あからさまに悲しそうな顔をされると、良心がズキズキ痛む。


「い、いやその……嫌いっていうわけじゃないわよ? いまのはその、あの、なんていうか……」

 うまい言い訳が思い浮かばず、目を泳がせる。


「いいよ、無理しなくて。実は委員長に頼みたいことがあったんだけど、俺が嫌いなら仕方ない。他の子に頼むことにする」

 悲しげな表情のまま秀司は笑った。


「待って。頼みたいことって何?」

 どうにも気になって、沙良は上体を秀司のほうに寄せた。


「文化祭が終わるまでのニセ彼女役」

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