04:委員長、壊れる。
「……………………………………………………え?」
長い長い、永遠に続くのではないかと思えるほどの沈黙の果てに、ようやく発せた言葉はそれだけだった。
(彼女が、いる?)
誰に?
(――不破くんに? 彼女?)
硬直している沙良を無視して、瑠夏は再び雑誌を広げた。
「まあ、恋愛感情がないなら彼女がいようといまいと関係な――」
「どこ情報っ!? 誰が言ったのそれ!? 本人!? それともただの噂!? 噂だよね!?」
沙良は口から唾を飛ばす勢いで言いながら身を乗り出し、がっしと瑠夏の両肩を掴んだ。
「……。言ってることとやってることが違――」
「いいから教えて!! 誰が言ったの!? ねえ誰が!? 嘘でしょうお願い嘘と言って!!」
「……泣いてるし。めちゃくちゃ好きなんじゃないの……」
瑠夏は呆れ顔をするばかりで、嘘だとは言ってくれない。
(本当なんだ……)
膝から力が抜けて、沙良はへなへなとその場に座り込んだ。
夏休み明けテスト結果を突きつけられた月曜日のように――いや、あの日以上の絶望に打ちひしがれ、肩を落として項垂れる。
「ちょっと、沙良? 汚れるわよ? 聞いてる?」
瑠夏が立ち上がり、沙良の隣に屈んで顔を覗き込んできたが、反応する余裕がない。
(彼女がいる……)
頭の中を支配するのはそればかり。
世界が急速に色を失っていく。
見慣れた教室の風景が全て灰色に見える。
「彼女、いるんだ……そっか……そりゃそうだよね……あんなに格好良いんだもの、彼女の一人や二人、いや、五人や十人いてもおかしくないよね……」
虚ろな瞳でぶつぶつ呟く。
「もしそれが本当なら不破くんは最低なクズ野郎になり下がるんだけど、そんな男でいいの?」
瑠夏が何か言っているが聞こえない。
「……そっかあ……彼女いたんだ……なら、張り切ってケーキなんて作らないほうが良かったよね……私ったらそうとも知らず、何回も渡しちゃって、彼女さんに悪いことしちゃったな……もし彼女さんに会う機会があれば謝んなきゃな……はは……あはは……はは……」
「沙良? 大丈夫? 目が逝ってるわよ?」
「……ははあははうふふふえへへへふひひひひ……」
かくかくと身体を揺らしながら笑う。
笑うつもりはなかったのだが、口から勝手に笑い声が漏れていた。
「凄い。ホラー映画に出てきた呪いの人形そっくりだわ」
「に、にいんちょ、大丈夫?」
クラスメイトの誰かがやってきたらしく、遠くから声がする。
いや、割と近くなのだろうか。
もう距離感すらもわからない――何もかもがわからない。
わかりたくもなく、そのまま沙良の意識はぷっつりと切れた。
◆ ◆ ◆
花守沙良は自他ともに認める優等生だった。
小中ともにクラス委員をし、中学では生徒会選挙を勝ち抜いて生徒会長をも務めた。
応援演説をした瑠夏は沙良が初めて生徒会長として登壇したときのことをよく覚えている。
全校生徒の前で胸を張って挨拶する彼女の姿は親友の贔屓目を抜きにしても美しかった。
きっと彼女はこれからも変わることなく、人の輪の中心で美しく在るのだろうと思っていた。
――の、だが。
(まさかたった一度の恋でここまで変わるとはねえ……)
気絶している親友を見て、しみじみと思う。
白目を剥いたその姿は残念そのもので、そこに美しさなど欠片もなく、ついでに言えば品性も知性も全く感じられない。
これが大勢の生徒に慕われた生徒会長の未来の姿とは、誰が想像しえただろう。
「うーむ。どうするよこれ」
教室の床に座り込んだまま気絶している沙良を見下ろして言ったのはクラスのお調子者、
二年一組の生徒たちはクラス委員長の危機に集合し、一致団結して事態の解決に乗り出していた。
これも沙良の人徳と言える。
面倒見が良い沙良は皆から愛されていた。
「不破くんはどこに行ったの?」
「他のクラスの女子に呼び出されてどっか行った」
「もー、あのモテ男は! そもそも本当に彼女いるの? そこんとこどうなの?」
「いや、俺も噂で聞いただけだし、知らないよ。本人に直接聞くしかないと思う」
「不破のことが本気で好きだったんだな。仮にも女子なのに白目剥いてんじゃん。口は半開きだし……すげえ顔。完全に魂が抜けると人はこうなるんだな……」
「この姿、写真に撮ったら一生
「こら、不謹慎なこと言わないの」
「ああ、こんな無残な姿になって……おいたわしや……」
山岸は両手で顔を覆った。
「ちょっと、山岸くん。クラス委員でしょ、真面目にどうすべきか考えてよ。もしこのままにいんちょの自我が戻らなかったら、あなたが委員長になるんだよ?」
歩美が腰に手を当てる。
「え、やだ。委員長とか面倒くさい」
山岸は泣き真似を止めて真顔になった。
「そもそも俺はジャンケンで負けて仕方なくクラス委員になっただけだし。なんとしてでも委員長には正気に戻って貰わないと。不破に関わった途端にポンコツになるけど、普段は理想の委員長だからな。このまま精神科病院にでも入院されたら困る。どうしよう?」
意見を求めるように山岸は周りを見回した。
「俺が保健室に連れていくよ」
「えー」
片手を上げて至極まっとうな意見を出した
「それは最終手段だろ。普通過ぎてつまんねーよ」
口を尖らせたのは山岸だ。
「つまらないって……」
「そうだよ。クラスで起きた問題なんだから、あたしたちで解決しないと。いまこそ一組の知恵と愛と勇気と団結力が試されるとき!」
「その通り!」
決然と拳を握った歩美は山岸から拍手を送られた。
「……委員長、帰ってきてくれ。愛嬌とノリだけで生きてる山岸が委員長になんかなったらクラスが崩壊しかねない。変人ばかりが集まった一組をまとめ上げられるのは委員長だけなんだ」
小西は屈んで沙良に呼びかけたが、もちろん反応はなかった。
「さあみんな、何かいい案思いついたら遠慮なく言って!」
パンパン、と山岸が両手を叩く。
「はい!」
「はい、海藤さん」
片手をあげた里帆を山岸が手のひら全体で示し、発言を許可した。
「ショック療法はどうかな? おばあちゃんが家電にしてたみたいに、叩けば直るかも」
「お、いいね。採用」
「やってみよう」
「レッツチャレンジ」
里帆と歩美と山岸が三人揃って右手を上げるのを見て、そろそろ止めようかと口を開いたときだった。
「――何やってんの?」
そんな声と共に、秀司が教室に戻ってきた。
「不破くん!」
「不破!!」
「……なんだよ?」
クラスメイト全員に駆け寄られた秀司は面喰ったように目を二、三度と瞬かせた。
「どうすんだよ、お前のせいで委員長が壊れたぞ!!」
山岸が秀司に詰め寄る。
「は? 何の話?」
「だから、不破くんに彼女がいるって知って、ショックでにいんちょが壊れちゃったの!! 見てよこれ!!」
歩美は秀司の腕を掴んで引っ張り、いまだに気絶している沙良を指さした。
「ぶっ。酷い顔」
秀司は沙良の惨状を見るなり噴き出し、口元を片手で覆った。
「笑うなよ!! そんでもってストレートに酷い顔とか言うな!!」
「そうだよ、仮にもにいんちょは女子だよ!? 思ってもそこはオブラートに包もうよ!!」
「お前ほんとひでー奴だな!!」
歩美を始めとして、沙良に同情的だったメンバーが抗議する。
「いや、まさかここまでショックを受けるとは思わなくて……」
秀司は肩を震わせている。
「喜びに浸ってるところを悪いんだけれど。沙良の親友として確認しておきたいわ」
歩み寄ると、彼は笑いを収めてこちらを向いた。
「彼女がいるなんて嘘だったのね?」
じっと秀司を見つめる。
「うん」
秀司は素直に認めてから、沙良の前に屈んだ。
まるで姫に忠誠を誓う騎士のように片膝をつき、沙良の肩に手を置いて言う。
「委員長。俺、彼女なんていないよ」
「――――」
その瞬間、沙良の瞳に光が戻った。
「………………本当に?」
沙良は縋るような目で問いかけた。
「うん。いない」
秀司が繰り返すと、沙良は顔を輝かせた。
けれど、人前ということもあって自制を働かせたらしく、喜びの感情をすぐに消した。
落ち着いた様子で立ち上がり、スカートの汚れを払う余裕すら見せる。
「………………」
一言も発することなくクラスメイトたちが見守る中――
「まあ別に? 不破くんに彼女がいようがいまいが関係ないけど?」
沙良は髪を耳にかけながら、ぷいっと顔を背けた。
(なんて往生際の悪い子なのかしら)
瑠夏は呆れ、クラスメイトたちは盛大にズッコケた。
「すげええええ!! この期に及んでそんなツンデレ女子みたいなことが言える委員長マジすげえ!! 半端ねえ!!」
「百年の恋も冷めるような醜態を晒しといて……」
「いまさら格好つけても……」
「手遅れっていうか、もはやギャグにしか見えないよね……」
山岸は何故か感動したように叫び、クラスメイトの女子たちは顔を寄せてボソボソ囁き合っている。
「う、うるさいなあっ! さっきは不破くんに彼女がいるって聞いて、その、なんていうか――ちょっとびっくりしただけよ!」
「ちょっとびっくりしただけで白目剥いて気絶するの!?」
あまりにも苦しい言い訳には、即座に歩美からのツッコミが入った。
「やばいな、うちの委員長、面白すぎる。入学当時は女子にこれでもかってくらい塩対応だった不破が180度変わった理由がいまわかった」
「これはやられるわー。可愛すぎる」
小西の隣で茉奈がうんうん頷いている。
「とにかくっ! 不破くんに彼女がいないってことはわかったし、私、次の授業の予習するから!」
「あ、逃げた」
沙良は早足で自分の席に戻った。
椅子を引いて座り、机に世界史の教科書やノートを並べる。
「……マジで大事にしろよ? あんなに全身全霊でお前を愛してくれる女なんて他にいねーぞ?」
教科書を読むふりをしながら顔を真っ赤にしている沙良を見て、山岸が秀司の腕を小突いた。
「知ってる」
秀司は愉快そうに小さく笑い、自分の席に戻っていった。
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