03:皆の様子がおかしい理由

 四日後の金曜日は朝から雨が降っていたが、沙良の機嫌は上々だった。

 理由は左手に持っている保冷バッグの中にある。


(ふっふっふ。素晴らしいケーキができたわ)

 十個以上の試作品を作り、やっとのことで完成したチョコレートケーキは我ながら会心の出来栄えだった。


 直径6cmのセルクル型を使用して作ったミニケーキの上部には削ったチョコレートとホワイトチョコを飾り、側面にはアーモンドプラリネを塗りつけた。


 見た目にはこだわったし、もちろん、肝心の味だって秀司好みになるよう何度も調整した。


 試行錯誤の末にできたのは、そこまで甘すぎず、苦すぎない絶妙な味のビターチョコレートケーキ。


(まさに完☆璧! これなら絶対美味しいって言うはずだわ! 昼休憩が楽しみ!)

 秀司の笑顔を思い浮かべてニヤニヤしていると、前方から視線を感じた。


 見れば、校門前でそれぞれ赤と水色の傘を差した二人組の女子生徒が気の毒そうな顔をしている。


 あれは完全に、可哀想なものを見る目だ。


(いけない。私ったら)

 慌てて表情を引き締め、ただ歩くことだけに集中する。

 登校中の生徒たちの流れに沿って校門を抜け、木々が植えられたちょっとした広場を通過し、やがて昇降口に着いた。


「……それ本当なの?」

 立ち止まって傘を閉じていると、歩美の声が聞こえた。

 反射的に振り向く。


 歩美は二年一組に割り当てられた靴箱の前で茉奈と会話していた。

 あの二人は近所に住んでいて、毎朝一緒に通学しているらしい。


「本当だって。本人がはっきりそう言うのを二組の田中くんが見たんだってさ。田中くんって、そういう変な嘘はつかない人でしょ?」

 傘のボタンを留め終わり、沙良は彼女たちの元へ向かった。


「じゃあ事実かー。あーあ、ショックだなあ」

 歩美は並べた自身の上履きに右足を入れながら眉根を寄せた。


「そりゃもちろん、誰を好きになるかは本人の自由で、あたしらに口出す権利はないんだけどさ。なんか拍子抜けっていうか、ガッカリだよね」


「うん。にいんちょ、大丈夫かな。ショックで卒倒したりしないかな」

「心配だよね」

「おはよう。なんの話をしてるの? 私が卒倒って、どういうこと?」


「わあ!」

 話題にしていた人物がまさか目の前に現れるとは思わなかったらしく、歩美は文字通りに飛び上がって驚いた。


「お、おはようにいんちょ! いやいやなんでもないよ? 世間話してただけだよ? ねえ?」

「そうそう! じゃ、そういうことで! お先!」

 歩美は茉奈とアイコンタクトし、開きっぱなしだった自身の靴箱の蓋を閉めてそそくさと去った。


「…………?」

 不思議に思いつつも、雨に濡れたローファーから上履きに履き替え、傘立てに傘を入れてから彼女たちの後を追う。


 廊下を歩き、階段を上る。

 ただ階段を上っているだけなのに、あちこちから奇妙な視線を感じた。


 思い切って振り返ると、沙良に続いて階段を上っていた女子生徒二人はさっと顔を背けた。


 白々しく「雨はやだねー」「髪型も決まらないしさ、まいっちゃうよねー」などと語り出す。


(……なんなの? 石田さんたちといいこの人たちといい……そういえば、登校中も複数の生徒から同情的というか、やけに優しい眼差しを向けられた気がするわ)

 校門前で沙良を見ていた女子生徒たちだってそうだ。


 あの二人は、本当に沙良が怪しくニヤけていたからあんな気の毒そうな顔をしていたのだろうか?


 もっと他に、何か別の理由があったのではないか?


(……何だろう?)

 考えてもわかるはずもなく、沙良は首を捻りながら教室に向かった。





「ねえ、瑠夏るか。今朝からどうも皆の様子がおかしいような気がするんだけど、何か知ってる?」


 二時限目と三時限目の間に設けられた十分休憩中。


 移動教室の間にも他クラスの生徒たちにやたらじろじろ見られたのが決定打となり、とうとう我慢できなくなった沙良は親友の席に行って尋ねた。


 長谷部瑠夏はせべるかの席は教室のほぼ中央にあり、内緒話には全く適していないが、休憩時間中のクラスメイトたちはお喋りに興じており、いちいちこちらを注視する者もいなかった。


「そうね。知ってるけど教えない」

 濡れ羽色の艶やかな髪を肩口で切り揃えた瑠夏は淡々と言った。

 視線は手元の雑誌に落としたまま、こちらを一瞥もしない。


「どうして?」

「沙良にとって愉快な話じゃないからよ。ショックを受けるのが目に見えているわ」

「それでもいいから教えてよ。みんな、どうしちゃったの? 私、何かした? も、もしかして、『花守ムカつくから虐めようぜ』的なラインが回ってきてたりする……?」

 びくびくしながら問う。


「違うわよ。むしろみんな沙良に好意的だからこその反応よ」

「何それ? ねえ、理由を知ってるなら、もったいぶらずに教えてよ。どうして何も言ってくれないの」

 しびれを切らして、沙良は瑠夏の手から雑誌を奪い取った。


 ちなみに瑠夏が読んでいたのは『月刊・筋肉』という、マッチョな男性や女性たちが特集されたなんともマニアックな雑誌だ。


 クールビューティーと讃えられる瑠夏の嗜好は少々特殊で、彼女の目には秀司よりも筋骨隆々のラグビー部部長のほうが遥かに素敵に映るらしい。


「教えるまで返さない」

 雑誌を胸に抱き、睨みつける。


 卑怯な手だとは重々承知の上だが、どうしても沙良は理由を知りたいのだ。


「……仕方ないわね」

 瑠夏はやれやれとでも言いたげな態度で嘆息した。


「なら聞くけれど。沙良は不破くんのことをどう思ってるの?」

「……何なの、いきなり。それいま関係ある?」

 平静を装いながらも、動揺の証拠に返事は遅れた。


(聞いてないよね?)

 内心ハラハラしながら秀司の席を見る。

 トイレにでも行ったのか、そこに彼の姿はなかった。


 不在だからこそ、瑠夏はそんな質問をぶつけてきたのかもしれない。


「正直に答えて。不破くんのことが好きなんでしょう?」


「ばばばっ、ばばばば馬鹿なこと言わないで!!」

 動揺でうまく言葉が紡げず、壊れた蓄音機のように「ば」を繰り返す。


「不破くんは私のライバルだから! 宿敵だから! 好きになるとかありえないから!」

「なら、誓えるのね? 不破くんは沙良にとってただのライバルで、恋愛感情はないと」

 あくまで瑠夏はクールだ。


「誓うわよ」

 即答すると、瑠夏はしばらく無言で沙良を見つめた。

 目を逸らすことなく、彼女の瞳をまっすぐに見返す。


 すると、ややあって瑠夏は頷いた。


「なら支障はないだろうし、いいわ。教えてあげる」

「! うん! 何!?」

 瑠夏の机に雑誌を置いてから両手をつき、勢い込んで尋ねる。


「単純な話よ。不破くん、彼女いるんですって」

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