心呼吸


時計の秒針だけが動いて、誰も何も話さない、静寂に包まれた空間。

私はこの場所が、苦手だ。




「そろそろお時間、ですかね」


すこしだけ顔を上げて壁に掛かった時計の存在を確認すれば、有限な時間をまた無意味な時間として扱ってしまったのを実感してしまって、ひどく心臓が痛む。

私の姿を視界の中心に据えた目の前の人物は、いつものように適当な角度で首を傾け、周期的に刻まれていく時を端から眺めているようだった。



「そういえば、前回の睡眠導入剤って飲まれましたか?」


「……いいえ」


「念のため今月分も貰っときます?」


「あぁ、いえ、結構です……と、お伝えください」


了解です、と言って席を立った彼は、バインダーに挟まれた記録用紙をわざわざ取り外して、メモ一枚だけを手に部屋を後にする。

本来であればものの数分、きっと二分やそこらで帰ってくるはずなのに、この時だけは毎回長く感じてしまう。


先々週から言おうと思ってた根本的な問題や、最近のニュース、相手が好きそうな話題。それから、数えるのに両手指を必要とするほど何回も話している自分の過去のこと。

今日話すことができたのは、最後のひとつだけ。


といっても規定を超える時間の拘束が快く思われていないのは社会のルールとして知っているし、次回の予約は来月になるだろうから、それまで辛抱しないといけないのもわかっている。


ソファーの背凭れに身を任せたのは三十分ぶりくらいで、ふぅ、と溜息を吐いた。

ネガティブなことを口にしてはいけない、とはよく聞いたものだ。

人間が話すものには「言霊」が宿っているから、思い込みが激しくなって、背負い込みすぎてしまう性格の人も居ると。私は所謂、それらしい。




「(名前)さん、準備できたらそのまんま受付行ってくださいね、話は済ませてあるんで」


感謝を告げる一言も口から出ることはなく、首を動かすだけの会釈。

いつかは言葉を返してやりたいものではあるのに、身体は時間切れとでも思っているのだろうか。



「お疲れ様でした、本日の料金はこちらです」


見慣れた四桁の羅列。

金額や治療内容、場合によっては服用中の薬を記載するためだけにA5用紙を使うのは、少々勿体無い気もする。どうせ家に持ち帰ってもすぐに捨てる人が大多数を占めるだろうし、資源の無駄に近いことをしているのではないだろうか。

まあ、紙を小さくされたところで字が読めなかったら患者側も困ってしまうものか。




「では、3000円のお返しとなります」

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