第29話 もう一度会えますように 漆
遠くから、僕を呼ぶ声が聞こえた気がした。
その声に反応しようと身体を動かそうとするけど、指先一つ動かない。
それどころか、自分の身体の感覚を感じない。
「 」
声を出そうとするけど、口に出した音が聞こえなかった。
静かだ。とても。
そして、暗くて。
…。
いたい、いたい。
ズキズキと大きな針が。
ずっと心臓の中心に突き刺さるような。
痛み。
くるしい、くるしい。
グシャグシャの重たい布を。
口から肺まで詰め込まれているようで。
苦しい。
かなしい、かなしい。
さみしい、さみしい。
ごめんなさい、ごめんなさい。
…。
誰かの感情が、言葉が、ずっと、ずっと続いている。
それは、人の身体が耐えられない、心への暴力。
なのに、その中に誰かがいる。
「 」
呼び掛けても、声が出ない。
走り出そうとしても、身体が無い。
僕には何もできない。
「いやああああああああああ」
誰かが悲鳴をあげている。
自分自身を傷つけ続けているその悲鳴は、どんな暴力よりも、痛かった。
そして、その悲鳴はいつまでもいつまでも、最期まで止むことはなかった。
―――――――――――――――――――――――――――――
私は母親の顔を知らない。
記憶をどれだけ辿っても、私の思い出から母親を見つけることが出来ない。
私の血縁関係者は両親と父方のおばあちゃんだけだったけど、母親について聞かされることは一度も無かった。
ただ、父が時折涙を流していた理由は、母親だったのだろうと思う。
それでも、母親は私にとって血のつながり以外何も無い、他人だった。
小さいころから、私はずっと家の中にいた。
保育園には通わせるお金と余裕が父親には無く、私はカーテンが閉め切った部屋に一日中籠って、ゲームをしていた。
父親は先代から継いだ居酒屋を何とかやりくりしていた。
毎日私が寝ている時間に働き、私が起きている時間に家で眠っていた。
だから私は父親と会話するために夜更かしを覚えた。
会話はほんの少しだったけど、行ってきますと言う父親の笑顔が好きだった。
ご飯を決まった時間に食べることを知らなかった。お腹が空いたときに父親が買い溜めする菓子パンと、毎日居酒屋から父が持ち帰ってくる賄いを食べて生活していた。
それでも、私は幸運なことに大きな病気にもならなかった。
発熱した時には、何かが私の部屋をグチャグチャにする悪夢を見たこと、そして大量の汗をかいて、一人で冷たいお風呂に入ったことだけが鮮明に脳裏に残っている。
そのせいか、寝つきの悪さと、プール嫌いだけは何歳になっても治らなかった。
私は小学校で初めて同い年の人は一緒にいることを知った。
けど、友達は出来なかった。
他の子どもたちはずっと話していた。
授業中も、昼休みも、放課後も。
一日に数分、父親としか話してこなかった私は、その文化に慣れることが出来なかった。
すると自然とクラスの輪から外れ、私は小学校でも孤立した。
靴を隠された。机に砂をぶちまけられた。ハサミで髪を切られた。
胸がズキズキして、息が苦しくなって、気付いたら涙が出た。
学校に行かなくなった。
でも何より、父親がドンドン私と話さなくなっていったことが一番苦しかった。
10歳の時だった。
朝、目が覚めると部屋のドアが開かなかった。
重たいものが塞いでいた。
何とか押してドアが開いたとき、ドアを塞いでいたのは床に倒れていた父だと気付いてゾッとした。
最初は寝ているのかと思って揺さぶったが、反応は返ってこなかった。
父の口元に手が触れた時、白いものが手の甲に付着した。
その時にようやく父が息をしていないことに気付いた。
父は死んでいた。
私は初めて悲鳴をあげた。
死因はアルコールが原因の肝不全だった。
私は死んでいる父が火葬されるその瞬間まで、ずっと父の柩に抱き着いて泣き続けた。
初めて見た人の灰は、父だった。
それから私は隣の県に住んでいた祖母の元に身を寄せた。
ほとんど父親とは絶縁状態にあった祖母だったが、私のことを引き取ってくれた。
祖母は私にとても優しくしてくれた。
毎日ご飯を作ってくれて、毎日私と話をしてくれた。
人がいつもそばにいてくれることがこんなにも暖かいことだと初めて知った。
私は祖母の家から中学校に通い始めた。
買い出しと家事があったため部活には入らなかった。
友達は出来なかったが、いじめられることも無かった。
祖母のおかげで、最低限のコミュニケーション能力が身についていた。
小学校に通っていなかった分の遅れがあったが、勉強は比較的出来る方だった。
家から近い公立高校に奨学金を利用して進学が決まった。
祖母はとても喜んでくれた。すごく笑ってくれた。
高校に入学する直前の春休み、祖母は私に黙って出かけた。
ケーキを買ってきてくれて、入学祝いのご馳走を作ってくれた。
その翌日だった。
家の固定電話に警察から電話がかかってきた。
祖母が、病院から帰る途中、車に轢かれ、死んだ。
私は全身から力が抜けて、座り込んだ。
目の前が真っ暗になって、全身が冷たくなって、ただただ涙が止まらなかった。
祖母の葬式は病院の一室だった。
私はまた柩から離れることが出来なかった。
二回目に見た人の灰は、祖母だった。
私は一時的に児童養護施設に入ることになった。
スーツの人と話をして、後見人を探した結果を教えてもらった。
そこで初めて、私の母親が数年前に亡くなっていたことを知った。
偶然にも、父親が亡くなった月と同じ月だった。
私にはもう誰もいなかった。
施設で少し過ごし、高校を辞めた。
16歳になると同時に工場で働き始めて、その年のうちに独り暮らしを始めた。
最初の1年は施設の人が偶に連絡してくれた。
でも、それも次第になくなった。
楽しさも、疲れも、寒さも、何も感じなかった。
偶に部屋に置いていた二つの骨壺を見て父親と祖母を思い出し、何も出来なくなった。
でも、時間は過ぎていった。
私は19になった。
盆の用意のために珍しく街で買い物をした時、私は初めて街で声をかけられた。
それはホストの客引きだった。
断り切れなかった私は、薄い髪色の男に引っ張られて店に入った。
うるさくて、明るくて、刺激的なところだった。
初めてお酒を飲んだ。
私は声をかけられた男の人にずっと話しかけられ続けた。
特別なものだと思っていた他人の笑顔が、簡単に手に入った。
久しぶりに熱を感じた。
それから私は、定期的にその人に会いに行くようになった。
その人は新人らしく、私が一番の頼りだと言っていた。
何に使うか分からなかったお金の使い方が分かった。
それから半年が経って、彼は偶に私の家に来るようになった。
私たちは付き合い始めた。
私は初めて人との触れ合いをしった。
一緒に作って食べるご飯、一緒にする夜更かし、一緒に寝る布団。
一緒に笑いあった。
彼が私の中にいるようで、何より暖かかった。
気付けば、彼は私と一緒に暮らすようになった。
それからさらに半年が経った。
私は、久しぶりに体調を崩して病院に行った。
妊娠していた。
信じられなかった。
彼は喜んだ。もっと頑張ると、そう言っていた。
私は、この時、初めて作り笑いをした。
不安だった。
まったく、嬉しくなかった。
私が、母親になる、母になるということが、怖かった。
それからは毎日が気持ち悪くなった。
早々に仕事は休職した。
一日中横になっているのに、身体を休めているのに、私はずっと気持ち悪かった。
初めて、逃げ出したくなった。
初めて、神様を恨んだ。
初めて、生きるのが苦しくなった。
初めて、死にたくなった。
それでも、私は死ねなかった。
1月31日、私は出産した。
「めい」と、彼が名付けた子供の名前を初めてを呼んだ時、赤ちゃんは私に向かって大声で泣いていた。
涙が溢れた。
父と祖母が死んだときの何倍も泣いた。
めいをこれから何があっても守ろうと、自分の命を初めて天秤に載せた。
私は、母になった。
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