第28話 もう一度会えますように 陸

「にげて!」


 アキトの声は二人には届かなかった。


 ドッドゴオオオオオオオオオン


 響く轟音と、巨大な揺れ。


 突如現れた、純白の太い曲線がリュウキとユウセイの上から降り注いだ。


「……」


 アキトはこの戦闘において、初めて思考が一瞬停止した。


「っ、無事なら返事を!」


 放心はほんの数秒で、自我を取り戻したが、状況は全く把握できていなかった。


 彼女の両腕は確実に地面にロックしていた。


 今も両腕を地面に拘束している鎖は、自分の投げたダーツから出ていて、たしかに自由を奪っていた。


 彼女の頭上で形成されていた塊は全て撃ち落とし、咆哮も封じた。


 それなのに、二人は何かに叩きつけられた。


 返事は無く、広間に響くのは大気が低く響き続けているような重低音だけだ。


 ソウルズを手に顕現させ、二人の安否を確認したい気持ちを抑え込み、慎重に周囲の変化を警戒する。


 が、特に何の攻撃も無い。


 そして砂塵が薄くなり、ようやく見えた光景に、アキトはギョッとする。


 二人が立っていたはずの場所に巨大な手のひらが打ち付けられていたのだ。


 四本腕。


 前に倒れていた彼女の背中、肩甲骨の付近から純白の腕が更に二本生えている。


 遠くに見える彼女は、四本腕の妖しいシルエットを湛えていた。


 人型だと勘違いしていた。


 彼女の全身は石膏色だったのに、気付けなかった。


「創造型か…!」


 彼女は人型ではなく、石像を模した創造型だったのだ。


 創造型は最も特殊な型であり、そのビーストは魂の形が最も神に近く、危険度レッドでも上位でしか確認されていない。


 危険度イエローだからと、油断していた。


 自分の迂闊さに腹が立つ。


「チッ」


 堪らず出てしまった悪癖と同時に、アキトは走り出す。


 今最優先すべきは二人の確保、特にユウセイの救出だ。


 ビーストの魂を解放できるのは死神の鎌だけだ。


 そして、この場で死神の鎌を扱う権利を持っているのは契約者であるユウセイだけであり、ユウセイが戦闘不能になるということは依頼の失敗を意味している。


 遠くからでも視界に捉えることが出来ない速度の、強烈な一撃だった。


 それでも、死神の強靭さならば、あの一撃を耐えていても不思議ではない。


 しかし、リュウキはオーバーヒートの直後でオーラの出力が弱く、ユウセイに至っては入社して間もない新人だ。


 身体を地面と挟まれて身動きがとれないだけか、意識消失か。


 二人がどうなっているのかは全く予想が出来ない。


「ブレイク」


 両手に握ったダーツの性質を宣言する。


 アキトのソウルズはダーツである。


 そして、そのダーツには宣言することで、様々な効果を付与することが出来る。


 ブレイクの効果は、爆撃。


 走りながら、二人を抑え込む腕に向けて投擲。


 ほどなくして命中、緑色の爆発が起こるが、破壊音は聞こえない。


 今までの腕ならばそれで十分弾けたはずだったのに、まるで効果が無かった。


「特別ってことよね…!」


 思考をそのまま口に出す。


 彼女の身体は鈍い白色だが、新たに生えてきた二本は紛うことない純白。それは腕が純白のオーラで覆われているようにも見える。


 あの二本だけ、見た目も、雰囲気も、存在自体が異質だ。


 それは彼女の腕なのかと疑いたくなるほどに。


 このハザマは何かがおかしい。


 違和感は彼女が顕現する前からあった。


 最初は自分の心象のせいだと思っていたが、今なお違和感、異物感が空間全体に張りつめている。


 次に、ユウちゃんの三連撃の不発。


 遠くからでは何が起きたのか観測することが出来なかったが、ユウちゃんは何かに弾かれていた。


 それは、彼女のアクションでは無かった。


 その後、ユウちゃんが反転して下から鎌を振り上げた時に噴き出した黒いオーラ。


 昨日から見ていたユウちゃんから時折漏れていた無意識のオーラが、ユウちゃんの意識下にあるようにサイズに収束しようとしていた。


 そして、突如生えた二本の腕。


 あまりにも不可解なことが多すぎる。


 アキトは多くの疑念を感じながらも、一直線に彼女の元に駆ける。


「ブレイク」


 再び同じように投擲。


 命中、しかし今回は両腕ではなく、上体を起こしていた彼女の両肩だ。


 あの腕が特殊だとは言え、人の形から生えている限り、身体の動きに縛られている。


 爆発によって彼女が後ろに傾く。


 地面に押さえつけていた手の平が宙に浮く。


 アキトの狙いは僅かでも隙間を作ることだった。


 彼女の右手の下から、赤い光が溢れる。


 リュウキだ。


「リュウキ、彼女を後ろに!」

「おおおっ!」


 アキトの指示を受けて、全身にオーラを滾らせたリュウキが地を蹴り、彼女の顎もとに飛び上がる。


 アキトはもう一方の浮いた手の下に横たわるユウセイの元へ急ぐ。


「ユウちゃん!」


 返事は無く、ユウセイは完全に沈黙している。


 ユウセイにとって、この相手は確実に分が悪かった。


 技術も、経験も、足りないものだらけだった。


 それでも、首元まで辿り着き、あと一歩のところまで迫っていた。


 一撃目を弾かれ、全てのオーラをサイズに集中させていた。


 最後に放った一撃は、弾かれていなかった。


 あのままなら、首を刈り取れていたはずだった。


 全てを懸けた一撃だった。


 ユウセイは、防御姿勢など全くとれず、さっきの一撃をもろに受けていた。


 そんなユウセイを、アキトは支えきれなかったのだと。


 ギッとアキトは強く奥歯を食いしばった。


「ッ…!」


 まだ、終わっていない。


 ユウセイをとにかく安全な場所まで。


「うおおお!」


 赤い閃光と共に、鈍い音が響いた。


 リュウキが彼女の顎を掌打した。


 空いていた隙間が更に広がり、そこに屈みながら駆け込もうとしたとき。


 ガンッ


「なに!?」


 見えない何かに行く手を遮られ、加速が止まる。


 ユウセイの鎌を弾いたものと同じものだと理解する。


 しかし、アキトは弾かれなかった。


「邪魔よ!」


 己の身体の膂力と深緑のオーラで見えない何かを粉砕した。


 その推進力と破壊力はもはや重車のようだ。


 タックルのような姿勢のまま、手の下に潜り込み、片腕でユウセイを抱きかかえる。


「リュウ―」

「ぃぃぃぃいいいやぁぁぁああああああ」


 手の中を抜け出した直後、リュウキに撤退の合図を出す瞬間に彼女の咆哮が轟いた。


 そして。


 純白の腕が掌打した直後のリュウキを目にもとまらぬ速度で払いのけていた。


「グッ…!?」


 空中で何の抵抗も出来ずに弾かれたリュウキが弱い赤色を残して吹き飛ばされる。


 ドッッゴオオオオン


「リュウキ!!」


 次の瞬間には病院の壁に大きな亀裂を入れ、その中心でリュウキが埋め込まれていた。


 赤い光はもう見えない。


「このッ!」


 この場でやり返そうとアキトは一度地面を踏みしめたが、寸でのところで思いとどまった。


 これは鎮魂依頼だ。


 優先順位が違う、最優先すべきはユウセイを再起することなのだ。


 アキトは全身にさっきと同様に深緑のオーラを纏い、離脱しようとする。


 もう見えない壁に少しでも時間をとられないためだ。


 最速で彼女の腕の範囲から抜けて―


 チュドッ―


 白く細い閃光がアキトの右に突き抜けた。


「クッ、ぁっ」


 咄嗟に上を見上げると、一瞬だけ、丸く白い円が見えた気がした。


 直後、ユウセイを抱えていた右腕に冷たいと錯覚するほどの熱さと、何かに貫かれたような感覚、そして鋭い痛みが走った。


 一瞬で手の感覚を奪われたアキトは、右腕で抱えていたユウセイを落としそうになった。


 慌てて、身体を傾けようとするが。


 その隙は、致命的だった。


 咆哮と共に態勢を立て直していた彼女が、アキトを純白の腕で叩き潰そうとしていた。


「このッ!」


 アキトは自分の上に迫った影を察し、なけなしの力を振り絞り、全身でユウセイをその範囲外に押し出した。


 ドゴォオオオオン


 しかしアキトは手から逃げ出すことが出来ず、肩から上だけを外に出し、手足を含めた他の部位は巨大な質量に押しつぶされた。


「ッーーー!」


 不意打ちでオーラが途切れていたアキトを手が地面に押さえつける。


 全身にかかる重みに、意識が飛びそうになるが、アキトは並外れた精神力で意識を保ち続ける。


 せめて、ユウちゃんだけでも。


 そう思っていたアキトの思いに反応するように、これまで地面に抑え込んできた本来の彼女の両腕がこちらに向かってきていた。


 その狙いは、ユウセイだ。


「ユウちゃんッ、起きて!ユウっ…!」


 辛うじて出せる声でユウセイに覚醒を促すが、更に強烈に抑え込まれて声を出す余力も奪われる。


 その視線の先では、両腕がゆっくりとユウセイの両脇から迫っていた。


 そして、彼女はそのまま両手でユウセイを掴み、持ち上げた。


 アキトはゾッとした。


 何をするつもりなんだ。


 アキトやリュウキに対して拒絶した攻撃とは完全に違っていた。


 何かの目的を孕んでいる。


 彼女はユウセイを自分の胸元まで近づけた。


 そして。


 アキトは初めて見る光景に目を大きく見開いた。


 そんなバカな。


 彼女が、ゆっくりとユウセイの頭を自分の胸元、心臓の位置に取り込んでいるのだ。


 ビーストが、死神を、吸収しようとしてる。


 アキトは今起きている現象がどれだけおぞましいのかを知っている。


 それは、あの時の、最悪の悪霊”柩”と同じ行為なのだから。


 ありえない、そんなこと。


 ビーストは完全に孤立した存在だ。


 何かを取り込んだり、同化したりすることはその存在上ありえないのだ。


 それこそ、何者かと契約を交わしていない限り。


 何かが、ビーストに力を与えている?


 アキトは脳裏に過ぎった可能性から、必死に思考を巡らせる。


 これまでの不可解な現象と、ビーストの”柩”化


 透明な妨害、異物感、ビースト、契約、黒いオーラ、白い円。


 …白い円?


 まさか。


 そこまで考えた時、アキトは真上を見上げた。


 アキトはオーラを目に集中させる。


 長距離射撃を行う数少ない死神だけが持つ、オーラを見通す瞳を顕現させて凝視した。


 そこには、白い病院の天井に紛れていたが確かに存在していた。


 不自然なまでに透明な存在感が。


 神秘的、いや、もはや神というべき存在が。


 かつてないほどの焦燥感をアキトは感じていた。


 なぜ、彼らがこんなところに。


 あまりに非現実的だが、状況がそれが正解だと教えている。






 アキトたちの上空には、天使がいた。






 必死に抜け出そうと力を入れ、オーラを出すが、上から信じられない力で抑え込まれ続ける。


 これはイエローの力では無い、この腕は間違いなく天使の加護が宿っている。


「ぁめ、ゅぅ、、ユウちゃ、ん」


 必死に声を張り上げる。


 あんな悲劇を繰り返さないために。


 ユウセイを、殺させないために。


「っっっぁぁぁあああああ」


 後先なんて考えず、最大の力を振り絞る。


 ズズと、アキトの身体が手を押しのけ始めた。


 アキトの身体から、眩しい緑色の光が発光する。


 それは、リュウキのオーバーヒートに負けないほどの強烈な光で。






 チュドッ―


 白く細い閃光がアキトの首に命中した。


「ッァ」


 声にならない音を口から漏らし、アキトは再び地に沈む。


 完全に天使がこの場を支配している。


 ユウちゃん。


 白く遠のく意識の中、アキトは飲み込まれ続けるユウセイをただ見つめることしか出来なかった。


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