第26話 もう一度会えますように 肆

 後退する僕の視界は崩壊していた。


 動かない石像と赤い曲線が景色の中心にいる。


 色も形も朧げに、不安定な今までが過ぎていく。


 黒い学校、色とりどりの平原、白い窓。


 そのどれもが劇的で特別で、僕を染めてくれた。


 挫折し、救われ、誓った。


 だけど。


 他人にどれだけ僕の心を前に押して貰っても、多くの色を貰っても、でも。


 僕には何も無い。


 目の前の現実は、僕自身の色は、変わらない。


 無力な僕は、無色なままだ。


 心が前に進みたくても僕の身体と実力は進んでくれない。


 ずっと弱いままなんだ。


 やっぱり僕じゃ―






 ―なんて、ありえない。


 僕は死神の誰よりも弱い。


 そんなことは分かっている。


 百も承知だ。


 それでも。


「ソウルズが使えなくても、あなたは強い死神なのよ。」


 弱いことは些細なことだった。


「あなた達を助けたい。だから、”あなたの愛する人を、殺させてください。”その想いだけは本気であるべきだ」


 諦める理由にはならないと教えられた。


「―うん、私のお母さんを、殺してください」


 だから僕は、誰よりも弱くても、手を伸ばすって決めたんだ。


 ソウルズが使えない、オーラが弱い、身体が小さい、技術が未熟。


 諦めるべき根拠はたくさんあるのだと思う。


 でも、諦められない理由が一つあった。


 僕はめいちゃんを助けたい。


 その想いが本気なら。


 どうしても叶えたい願いがあるのなら。


 渾身の一撃が通らなかっただけで諦めるなんて、ありえない。




 僕は両足と死神の鎌の柄を地に打ち下ろす。


 熱が生じるほどの摩擦と音。


 これ以上の後退は必要ない。


 停止した僕は再び前傾姿勢をとる。


 気付けば両隣にはアキトさんとリュウキさんがいた。


 視界は澄んでいる。


「もっと、もっと大きな隙が必要です!」


 さっきの攻撃は間違いなく僕のオーラの最大出力だった。


 でもそれは僕の最強の一撃ではない。


 オーラもソウルズも足りないから、努力してきた。


 その努力は首を刈るためのものだ。


 ””ならビーストの首だって刈れるはず。


 でも、それは地面に足をつけて踏ん張らなければ使えない。


 ビーストの首は地面に足を付けた状態では到底届かない高さにある。


 僕だけだったらどうしようもなかった。


「僕が空中に跳ばなくてもいいだけの隙が必要です!」


 でも、一人じゃないから。


 できる。


「だから、ビーストの首を僕の目の前に持ってきてください」


 僕の何倍も強い死神達が、僕の力になってくれるから。


 今の僕なら殺せるはずだ。


「なるほど、分かりやすくていいな」

「最高よ、ユウちゃん」


 顔を見ずとも、リュウキさんとアキトさんが微笑んでくれたのが分かった。


 二人が僕の傍にいてくれる。


 だから僕は強いと信じられる。


「リュウキは彼女の左肩の正面からスタート。真っすぐ彼女の右肩を目指して進行、頭上から一撃で沈めなさい」

「了解」


 アキトさんの指示に従い、すぐにリュウキさんは沈黙したビーストの左正面で相対した。


「ユウちゃんは彼女の右側方、攻撃の意識外ギリギリで待機。私の合図で一直線に彼女の真下に三連撃を合わせて」

「わかりました」


 僕はグルリと円の半径を狭めるように移動する。


 あのビーストは移動していない。


 長い両腕が届く範囲内でしか攻撃しないのだ。


 現に、彼女の攻撃範囲から外れた僕たちに対して何の反応も示していない。


 さっきの交戦でその距離は測れている。


 僕の作戦は笑われるくらい単純だ。


 その範囲外で隙を待ち、アキトさんの合図に合わせて三連撃。


 ビーストの左側面、意識外の際に到着してスタンバイする。


 視界の左端に二人が映る。


 二人は僕の無茶なお願いを当たり前に聞いてくれた。


 そして、叶えてくれるだろう。


 僕は手元に違和感を感じ、目線を落とした。


 そこには白い靄がかかっていた。


 知らず、両手で握っていたサイズからオーラが漏れていた。


 初めて感じる高揚感と、心臓の速度。


 その感情を僕はようやく理解した。


 あぁ、これが自信なんだ。


 不思議な感覚だ。


 何かが大きく変わったわけじゃないのに。


 もう何にも負ける気がしない。

 

「遠距離攻撃は私が全て無効化するわ。二人は自分のことだけ考えなさい」


 リュウキさんは両手にダンベルを携え、重心を前に落し、アキトさんは右手にダーツを構えていた。


 僕も鎌を低く下げる。



 呼吸を合わせる。



 ………



「―GO!」


 無機質なキャンパスに赤と緑の線が突き抜ける。


 緑の直線がビーストの眼前で大きく爆ぜた。


 重みすら感じるほど濃緑の煙幕はビーストの視界を奪う。


 そこにさらにアキトさんの二投目が突き刺さる。


 煙で見えずとも、確実に口元で炸裂したことが分かる。


 咆哮は聞こえなかったから。


 ビーストの頭上で岩石の砲弾が形成されているが、両腕は困惑を表すように左右で不規則に揺れていた。


 その隙に赤い直線がビーストの攻撃範囲内に突入する。


 ようやくビーストが赤い直線に気付いたときには、もう左手は遠く、辛うじて右手でその延長線上を潰そうとゴオッと迫る。


 一瞬のラグ。


 ラグを射点としてロケットのようにリュウキさんが跳ね上がる。


 右手は赤い線を止められない。


 発射角は垂直ではなかった。


 最高点はビーストの頭上だ。


 呼吸一つの間に赤い線の終点が頂点に到達する。


 アキトさんの右手がブレた。


 咄嗟にビーストが、形成途中だった岩石の砲弾を放つ。


 が、加速する間もなく細く鋭い翠線に貫かれ、崩壊した。


 ビーストが真上を見上げるコンマ。


 空中で赤い点が急激に膨張した。


 リュウキさんは空中で静止したまま、いつの間にか両手で大きなハンマーのようなものを掲げていた。


 リュウキさんのソウルズは形を変えていた。


 赤い点は紙に滲むようにどんどん広がり、その中心は白んで見えるほどに彩度を増していく。


 その輝きに見覚えがあった。


 訓練校で先生が一度だけ見せてくれた輝き。


 色は違うけれど、間違いなく同じものだ。


 高出力のオーラが一点に収束することによって発生する、限界まで膨張し続ける輝き。


 あれはオーラの過剰出力、と呼ばれる、死神の一つの極致だ。


「GO!」


 僕はアキトさんの短い檄を引き金に一気に駆け出した。


 あの光の下ならば、どれだけオーラを高めようとビーストは気付かない。


 最大出力のオーラを死神の鎌に収束させる。


 さっきよりも細く、鋭く、速く。


 僕はただ一点だけ、ビーストの足の前を見据える。


 終点に近づくにつれ、世界は単色になっていく。


 無機質だったキャンパスが、強く熱く赤い光に染まっていた。


 ビーストが完全に頭上を見上げる。


 音も影も空間も、そして時空さえも、赤に収束した。


 ―――――――――――――――――――――


 赤の時間。



「墜ちろ―」



 ―深紅の重荷


 ―――――――――――――――――――――



 極限の重撃が墜とされた。


 深紅は一直線にビーストの脳天を叩き墜とす。


 雷が束になって落ちたような音と、目玉に真っ赤なペンキを塗られたような光が全てを飲み込んだ。


 波紋を幾重にも空中に描きながら、その一撃は何重にもビーストの頭上から降りかかる。


 巨大なはずの石像は、もはや軽く薄いガラス細工に堕とされた。


 地面と地面がぶつかったような破裂音と共にビーストの頭が地に堕ちた。


 僕の狭まった視界の中心に首が擡げられた。



 一撃目、空を刈る。


 地を捉え、鎌を捉え、首を捉える。


 加速―――



 二撃目、時間を刈る。


 真っ赤な世界を切り裂きながら、白い死神の鎌が弧を描く。


 加速――



 視界は360度回っているはずなのに。


 僕の瞳には動かない細く小さな首しか映らない。


 加速―



 ―ヤれる。



 初めて感じた自信は、僕に新しい世界を知らせていた。



 僕の周囲だけが白く、白く、白く染まる。



 最高の一撃、僕だけのデスサイズ。



 僕は身体を傾けながら、必殺の刃を高く振り上げた。

 


 白い断命の三連撃。


 

 ようやく、僕は願いを果たせるんだ…



 めいちゃんの、願いを…!



 僕の願いを!





 ガンッ





 「え?」

 

 

 


 僕の身体が見えない何かにぶつかって、弾かれた。






 天使は残酷なまでに気まぐれだ。

 

 

 





 

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