第25話 もう一度会えますように 参

 瞬き一つ。


 前兆は無かった。


 気が付くと目の前にそれはいた。


 僕は突然のことに声も出せず、ただ困惑していた。


 受付の手前に突如出現したソレは、異様な見た目をしていた。


「人型のビーストか」


 リュウキさんが呟く。


 ビーストとは、ハザマに現れる悪霊になる前、彷徨える魂のことだ。


 僕たちはこのビーストの首を刈る必要がある。


 そして僕の目の前にいるビーストは間違いなくめいちゃんのお母さん、藤原ゆう子さんのものだろう。


 目を閉じ、口を閉じ、俯いている。


 足は座禅のように組んであり、両腕は身体に巻き付くようにきつく抱きしめられていた。


 そして、その全身はこのハザマと同じような石膏色。


 それはまるで。


「白い石像のようね」


 生きていた魂とは思えないほどに無機質で無生物的だった。


 顕現して数秒が経過したが、ビーストに動きは無い。


 ビーストは姿形、アクション、知性、攻撃性も様々だ。


 顕現した瞬間に攻撃してくるものが多いが、中には今回のように静かなものもいる。


 危険度が高くとも、何のアクションもせずに刈られるビーストもいるらしい。


「ユウちゃん、彼女が静かなうちに決着をつけるわよ」

「はい」


 僕はサイズを脇に構え、歩き出す。


「いつでもカバー出来るようにしておくから、彼女の首を刈ることだけ考えなさい」

「わかりました」


 歩くスピードを少し速める。


「俺が先導する。油断するなよ、仮にもイエローだということを忘れるな」


 先を歩くリュウキさんの言葉に頷いて、僕は走り出した。


 目標との間合いを測りながら距離を加速度的に詰めていく。


 近づくにつれ、その全長が思いのほか大きいことに気付く。


 顔の高さは優に二階の廊下を超える場所にあり、首と地面には4メートル以上の距離があった。


 この高さの跳躍に必要な速度まで加速する。


 僕はオーラを纏い、全速で駆ける。


 三、二、一。


 間合いに入った。


 僕のタイミングに合わせてリュウキさんが横にステップして道を開けた。


 踏み込む間でよく観察するが、今尚ビーストは沈黙している。


 跳躍。


 オーラを鎌に収束させる。


 目測は正しく、首元に十分に届く跳躍だ。


 僕は跳躍の最高点に達した瞬間に大きく振りかぶる。


 狙いを白く滑らかな首に定める瞬間。


 目が合った。


「えっ」


 ビーストは真っすぐに僕を捉えていた。


 その瞳には瞳孔も光も無い。


 真っ白な瞳はまるで夜空のように深く不気味だった。


 自分の首を狙われていることを認識して、ビーストは大きく口を開いた。



「ぃぃぃぃいいいやぁぁぁああああああ」


 咆哮。


 身体ごと鼓膜を震わせる音圧と、脳を丸ごと揺さぶられる超高音。


 声激が黒い衝撃波となり、感じきれないほどの周波数で周囲を拒絶した。


 ―キィィィィン


「ぅぁぁ」


 最高速で首元に迫っていた僕の身体は真逆へと吹き飛ばされる。


 極限の音のせいか、衝撃のせいか。視界が歪み、今どこにいるのか、どこを向いているのかすら分からない。


「ゅぅイッ」


 微かに聞き慣れた低い音のする方へと意識と手を向ける。


 リュウキさんっ。


 ドンッという厚く弾力のあるものに身体が衝突し、顔を歪めるが、一瞬で黒い衝撃波は薄くなった。


「はあ、はあ、はあ」


 ようやく揺れと衝撃が収まって視界が定まる。


 僕はリュウキさんに抱き留められていた。


「意識は?」


 荒れた息を呑み込み、無理やり一瞬で枯れた喉を鳴らす。


「あ”ります」


 あまりに突然の狂気に触れ、怯んだ身体を転がし地面で強打する。


 ジンジンと伝わる痛みは確かに熱い。


 何をこんなことで怯んでいるんだ。


 遠く離れてしまったビーストを見上げると、咆哮していたはずの口元には緑色の煙が立ち込めていた。


「そう、それでいいわ、ユウちゃん」


 後ろから毅然と歩み寄ってきたアキトさんの右腕には緑色のオーラの残滓が迸っていた。


 僕が吹き飛ばされている間に、リュウキさんは僕を保護し、アキトさんはビーストの咆哮を閉ざしていた。


 不甲斐ない。


 この中で唯一鎌を使うことが許されている僕がこんな有様でいいはずがない。


「すみません、僕の―」

「―謝罪する時間があったら、鎮魂するために時間を使え」


 ソウルズのダンベルを両手に持ち、真っ赤なオーラを湛えたリュウキさんに𠮟責される。


 すでに二人は前を見据えていた。


「はい…!」


 強く鎌の末尾を地面に叩きつけて立ち上がる。


 そうだ、時間は限られている。


 再び鎌にオーラを集中させていく。


「次のアクションよ、彼女の攻撃手段を分析しつつ隙を狙うわ。リュウキはオーラで障壁を展開しながら正面から一直線に突撃。ユウちゃんは鎌の一振り分の間を空けて追跡。跳躍の隙があれば迷わず跳びなさい。咆哮は私が防ぐわ」

「「了解」」


 アキトさんの指示を違わず聞き取り、僕たちは前傾姿勢をとる。


「GO!」


 アキトさんの合図に合わせてリュウキさんが飛び出し、一呼吸置いて僕はリュウキさんを追う。


 リュウキさんは絶え間なく全身からオーラを出力して全方位への障壁を形成している。


 空気に残った真っ赤なオーラが描く線は僕を取り囲み、まるでトンネルのようだ。


 ビーストが身体を抱きしめていた両腕を広げていた。


 それに気づいても指示通りに僕たちは愚直に突き進む。


 ビーストの腕の形は華奢な女性の腕だったが、その大きさと威圧感は巨大なコンクリートの柱と差し支えない。


 ビーストの右手が僕たちを振り払おうと風を潰しながら押し寄せる。


 しかし、伝わってくるはずの衝撃と圧はリュウキさんのオーラに阻まれる。


 圧死せんと迫った右手が届く寸前、リュウキさんが叫んだ。


「跳ぶぞ!」

「はい!」


 その一言で僕は加速し、一気に地面を蹴りつける。


 間合いだ。


 首元まで先導する赤いトンネルの中で、二度目の跳躍。


 僕より先にリュウキさんが首元に到達する間際、再びビーストは大きく口を開いた。


 一陣の緑色の閃光が迸る。


 ビーストの咆哮の代わりに鮮やかな緑色の爆炎と、低く響く爆発音。


 アキトさんのソウルズ、ダーツによる援護投擲。


 緑色の爆発が炸裂した直後、リュウキさんのダンベルが彼女の顎を強烈に叩き上げた。


 反動でビーストの顔は大きく上を向き、リュウキさんは下へと落ちていく。


 目の前には赤と緑の印が打たれ、淡白で綺麗な首が無防備に晒されている。


 今だっ…!


 僕は咄嗟に最高出力のオーラを鎌に纏わせ、長く広いハンマーのようになった鎌の先をその首元へ振り下ろす。


 僕の鎌を邪魔するものは無く、一直線に彼女の首に吸い込まれ―


 止まる。


「なっ!?」


 白いオーラを纏わせ、鈍い白色のみとなった僕の鎌は、石膏色のビーストの首にしっかりと命中していた。


 しかし、刃が届いた首の表面で僕の鎌は停止していた。


 僕の死神の鎌は弾かれることこそ無かったが、ビーストの首を傷つけることも無かった。


 彼女の首の硬度が僕の最高出力の一撃を上回っていた。


 その事実を理解すると同時にぶわっと体の奥底から冷たい汗が噴き出した。


 それじゃあ、僕はこのビーストを…


 急激に全身が冷え、集中が途切れる。


 鈍く染まっていた僕の鎌から白色が抜けていく。


 突然、僕は大きな影を感じて右に振り向く。


 もう数メートルの所に石の壁のようなビーストの左手が迫っていた。


「退きなさい!」


 アキトさんの声で我を取り戻した僕はビーストの胸元を蹴り、距離を取ろうとする。

 

 しかし、大き過ぎる手の平は既に風圧を感じるほどの場所にあった。


 呑まれる!


「チィッ!」


 真下から赤く強大な塊が突き上げる。


 リュウキさんが両の手のダンベルを突き上げ、轟轟と衝撃を発して自分の身体より大きな手を空中で受け止めていた。


 僕は辛うじて致死の隙間から抜け出し、地面に着いた左足で、さらに後退する。


 焦った心をなんとか無視せんと、ビーストにだけ集中して下がろうとした僕の意識は、ビーストの頭上に奪われた。


 バゴッ、ゴッ、ゴゴ


 何もない空間に、ビーストの顔と同じ大きさの灰色の岩石が形成されていた。


 その数は二つ。


「あれは…」


 それを敵性の弾丸だと認識したのは、僕に向かってその二つが放たれた時だった。


ドォッ


 猛烈な勢いで飛んでくる大砲のような岩石。


 まずいっ!

 

 重心が後ろに下がったままの体勢では、僕の鎌では振り落とせない。


 なんとか着地して踏ん張ろうと、右足を下ろす直前。


「そのまま下がって!」


 アキトさんの叫び声に反応して、止めようとした右足はバックステップを踏んだ。


 僕の両脇を緑色の直線が通過する。


 二つの緑色は僕を狙っていた致命の灰色の真ん中に突き刺さる。


 空中で灰色は緑色に塗り替えられ崩壊した。


 十秒にも満たない時間でハザマは絵の具を零したような彩と雑多な戦場の喧騒に包まれた。




 その中に紛れた一瞬の燦然たる綻びには、まだ誰も気付いていない。








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