第24話 もう一度会えますように 弐

 チューリップの扉を抜けると、僕たちは白くて色味が薄い場所にいた。


 シンと静まり返った周囲には僕たち以外誰もいない。


 ここは生と死の境目、ハザマと呼ばれる別世界。


 現世でも黄泉の国でもない、魂の中継点と言えるこの世界は、迷える魂と、干渉することを許された者たちだけの異空間だ。


 無念を残して死んだ魂は、悪霊となり現世に現れる前にハザマに顕現する。


 そして、僕たちは魂がハザマに作り出した概念空間、ほとんどの場合はその人が死んだ場所の具現化した空間で魂と渡り合う。


 めいちゃんのお母さんが作り出した概念空間は、円形に広がった大きな建物の中で、天井は高く、何かの施設の受付のようだ。


 僕たち以外に人がいないこと、そして執拗なまでに白く塗られた壁のせいか、どうしようもなく無機質で冷たい空間だ。


 初めての鎮魂ということへの緊張や、約束を果たさねばという意思で昂っていた感情を丸ごと潰されるような不気味さに寒気を感じる。


「ここは?」

「…病院よ、シラクサ総合病院」


 この雰囲気に呑まれそうで、両隣にいる先輩に問いかけると、アキトさんがすぐに返答した。


 病院の受付だからこれだけ広くて閑散としているのかと納得する。


 そして、シラクサ総合病院という名前を聞いて僕は魚の骨が喉にあるような引っ掛かりを感じる。


 どこかで聞いたことがある気がする…


 思い出せなくて、この病院について詳しく聞きこうとアキトさんを見ると、アキトさんは嫌なものを見ているような、息が詰ったような、苦悶が滲み出た表情をしていた。


「やっぱりそうか…」


 そう呟いたリュウキさんの目線は細く鋭い。


「どうかしたんですか」


 まだめいちゃんのお母さんは顕現しておらず、ハザマに来てから特に変化はない。


 でも、二人の様子がおかしい。


「この病院はね、有名なの。ここが建設されてから20年以上の間、ハザマで一番指定されている場所がこのシラクサ総合病院よ」

「なんで…」


 それはつまり、無念を残した人が最も息を引き取っている場所ということだ。


 アキトさんは遠くを見たまま、何かを思い出すように語り出した。


「シラクサ総合病院は、30年前の大災害の被災地の中心に建てられた世界一大きな病院なの。そして、ここは病院であると同時に巨大な慰霊碑のような役割を果たしているわ」

「っ……!」


 全てを理解して、今自分が立っている場所の意味に慄く。


 僕は、このシラクサ総合病院に溢れた、救われなかった魂たちを知っている。


 ―30年前の大災害。


 それは約30,000 km²の土地、小国一つを飲み込むほどの陸地を、山も、街も、人も、何もかもを更地へと一瞬で変えてしまった最悪の厄災。


「…大気振動」

「……えぇ、ここはその被災者が集まり、最期を迎えるための場所よ」


 その低い声に込められたものは追悼の祈りなのだろうか。


「死神の最大の罪。あの時、ヤツを誰一人として止められなかった。ここは私たちが背負い続けなくてはいけない十字架なの」


 アキトさんの右手は強く握られていた。


 ちがう、アキトさんが閉じ込めているのは自責と後悔だ。


 大気振動は現世では起こり得ないはずの超常現象だった。


 大気が超高速で振動し、空気中の粒子がミキサーの刃のようになり、大気に触れている全てのものを消し去る、理不尽の終末。


 そんなものが、起こってしまった。


 いや、起こしてしまったのだ。


 その原因は最も悪魔に近づいた悪霊”ひつぎ”と、一人の死神だったのだから。


 一人の死神が、迷える一つの魂に自分の魂を捧げ、契約した。


 死神は”死の執行者”という概念と力、そして己の魂を引き換えに、”万来の死腹いせ”を願った。


 契約した魂は死神を取り込み、神の名を冠する悪霊となった。


 それは”ひつぎ”と呼ばれる一つの最悪のシナリオだった。


 ”柩”は死を取り込み、膨らみ続ける怨嗟の風船と形容された時限爆弾だ。


 しかし、死神達は死を取り込み続けるその爆弾を止めることが出来なかった。


 そして、数えきれないほどの魂と死神を取り込んだ魂は―


 ―爆発した。


 結果、大気振動という形で”万来の死腹いせ”の願いが果たされた。


「30年前、私たちが殺してしまった人の数は15,307,081人。償いきれない命、取り戻すことのできない命よ」


 大気振動に巻き込まれた人の99.8%が一瞬にして命を絶たれた。


 その数は、向き合うにはあまりに非現実的だけど、今この場所で感じる重みは間違えることを許していない。


 きっと、アキトさんはこの重みを今までも、これからも、ずっと背負っている。


「そして―」

「―その内の一人が、めいちゃん」


 僕はアキトさんの言葉を引き受ける。


 アキトさんは遠くを見つめたまま沈黙した。


 めいちゃんは死神に希望と命を奪われていた。


 なんで、どうしてだろう。


 皆、必死に命に向き合っているのに。


 それなのに、死神は一方的に殺すことしかできない。


 人の命を理不尽に奪うことしかできない。


 そんなのが、死神の在り方だなんて。


「あぁ、たしかにそうだ」


 リュウキさんが一歩前に出る。


「俺たちは、殺すことしか出来ない」


 その背中と言葉は僕に向いている。


「でも、俺たちにしか殺せない」


 ………。


 あぁ、そうか。


 僕は殺さなくちゃいけないんだ。


「自分の役割を間違えるなよ、ユウセイ」


 赤い瞳が一つ、僕を睨んでいた。


 命の重みも、死者の祈りも、死神の罪も、魂の行方も。


 その全てを背負って、殺さなくちゃいけないんだ。


 この二人のように。


 一人の死神として。


「ユウちゃん、あと10秒よ」


 僕は目を閉じる。


 両手を前に伸ばして、僕だけに許された断命の刃を顕現させる。


「来るぞ」


 伸ばした手で、死神の鎌を掴む。



 ――午前8時42分 藤原ゆう子 死去





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