第22話 死神探しの少女 月
「こんなに疲れるとか思わなかった。ここまで来るともう猫好きというより、化け猫好きだよ」
「もしかして僕の趣味って変なのかな」
「趣味ってそういうものなんじゃない…」
全ての荷物を出し終わり、疲れて体力も眠気も限界になった僕たちは、二人仲良くベッドで横になっていた。
僕たちの枕もとでは(化け猫)2号と名付けられた三つ眼猫が常夜灯の役割を果たしていた。
「姿が見えないと、2号の光って優しいんだね」
「愛着が湧けば全部かわいく見えるよ」
「むりだとおもう…」
めいちゃんのツッコみにはもうほとんど勢いが無くなっている。
二人とも仰向けになって天井に向かって会話する特別な空間だった。
白いはずの壁紙は、夜の闇に塗られて暗くなっている。
チューリップの館は花畑の中にあるから、僕たちの声以外は、さわさわとした柔らかい風が窓を掠める音しか聞こえない。
少し肌寒く感じる夜の空気も、隣に誰かがいるだけで心地よく感じる。
二人の身体で沈めた布団は、そのまま二人の疲れた心と身体を抱きしめて溶かす。
「……ねぇ、ゆうせい」
「……ん?なに?」
僕たちは必要もないのに、声を潜めて会話する。
「私、本当によかったのかなぁ…」
話し出しためいちゃんの声は震えてこそいないけど、不安が混じった朧げな声だった。
「……ここを選んだこと?」
「…うん。……私、お母さんの殺頼書が届いてからずっと、死神を探してたんだ」
めいちゃんは、ぽつりぽつりと言葉を漏らす。
「…私、30年間ずっと親がいない子供たちの集まる院にいてさ。私より先に殺頼書が届いた子達もたくさんいたの。………そして、その子たちが何も分からないうちに死神協会に預けて、依頼が失敗した子も何人も見てきた」
そう語る言葉には抑揚が無く、何かを押し込めているようだった。
死神協会に預けられた依頼は、適正ある死神をリストアップした後、他の人からの殺頼書の依頼が被っていない死神に割り当てられる。
昔は協会からの依頼は全て受けなければいけなかったらしいけど、最近は企業所属の死神は会社や個人の実績によっては断ることが出来るようになっている。
現在では上位2割の実力を持つ死神のほとんどが、協会からの依頼は断っているとも聞く。
だから、死神協会に預けた依頼の成功率はどんどん低下していっている。
それをめいちゃんは、30年という時間の中で敏感に感じてきたのだろう。
母親を待つ自分と重ねながら。
私の依頼も失敗したら、二度とお母さんに会えなくなるかもしれないと。
死者の魂は、もし鎮魂できずに悪霊になってしまった場合、二度と元に戻ることは無い。
悪霊となった魂に残された道はただ一つ、破壊だけだ。
破壊された魂は輪廻の輪から消失し、黄泉の国に還ることは無い。
依頼人と死者はもう二度と黄泉の国で再開することが叶わなくなる。
だから、死神の依頼が失敗するということは魂の死を意味する。
「それが嫌だったから、評判が良い死神とか、実績がたくさんある死神とか、自分で色んな噂を聞いて死神を探したんだけど、誰も私の依頼を引き受けてくれなかった…」
「……」
めいちゃんの悩みは現在の死神業界の抱える大きな問題だ。
死神派遣会社の乱立によって、依頼人は自分たちで理想の死神に殺人依頼をすることが出来るようになった。
そして、実力ある死神は人気になり、自分たちで仕事を選べるようになる。
そうすると、死神達は出来るだけ難易度が低く、報酬が大きい、効率の良い依頼ばかりを優先するようになっていった。
それが煮詰まって今の死神業界は、良い条件の依頼は実力ある死神のもとに、悪い条件の依頼は実力のない死神のもとに収束してしまっている。
これは死神の中で格差が広がることも問題だけど、それ以上に大きな問題がある。
「……誰も依頼を受けてくれないって分かった時にさ、私、なんだか凄く悲しくなっちゃった。……………私の、お母さんの、私たちの価値はそういうものなんだって」
「………」
そう、人間の命の価値に明確な差が生まれてしまうのだ。
僕たち死神の使命はただ一つ、魂をあるべき黄泉の国へ還すことだ。
本来、還すべき魂に差なんて無く、平等だったはずなのに。
効率を求めて、一つでも多くの魂を黄泉の国へ還すために出来た、派遣会社というシステムが、魂を差別化してしまった。
報酬と難易度の明文化によって、僕たち死神の使命が揺らいでしまっている。
「私ね、ここの死神たちが凄く好きになったの。アキちゃんは優しいし、リュウキさんは頼りになるし、クマさんは料理が上手だし、社長は面白いし、ユウセイはなんだか友達みたいだし。少しの時間しか一緒にいないのに、みんなの事が大好きになった」
「うん」
チューリップのメンバーを思い浮かべながら、めいちゃんの素直な大好きという言葉を飲み込む。
「……でもね、私ね。みんなのこと大好きなのに、殺頼書を渡すのが怖い……だから、誰も決められないの」
怖い、そう言うめいちゃんの声は、震えていた。
その声がたまらなくて、僕はめいちゃんの方を見る。
めいちゃんは唇を噛み、その窄められた口元はわなわなと震えていた。
「……なんでだろうね」
そう言って、力なく笑った。
何度も自分の願いを突き放されてきためいちゃんは。
もう、死神を信じられなくなっていた。
僕は、怯えるめいちゃんを見て、右手を彼女の肩に添える。
速まっている僕の鼓動は、本来助けとなるべき死神が、苦しんでいる人を傷つけたことに対する憤り、今までもどこまでも救われなかった魂に対する無念、救えない無力感、湧き上がるやるせなさ、いったいどれのせいなのだろう。
たぶん、そのすべてだ。
でも、何よりも。
この子から逃げようとした、自分に対する怒りだ。
今の死神業界が魂の差別化をしていることを知っていた。
それに対して大きな嫌悪を抱いた。
自分はそうなりたくないと思った。
思っていたはずなのに、僕は彼女の依頼を、彼女のお母さんの魂を、何の躊躇いもなく自分の秤に載せた。
そして、自分には無理だと彼女たちの願いを諦めて、見捨てようとした。
そんな弱い自分が、許せない。
震えている小さな身体は、抱え込んできた母親の命の価値に、どこまでも向き合って、必死に踏ん張ってきたことの証明だった。
そんな彼女に、「ごめんね、僕は弱いから君の依頼を受けられないんだ」と許しを請うことはどれだけ彼女を傷つけたのだろう。
――少女は、今にも泣きだしそうな瞳を死神に向けて、問いかける。
僕はめいちゃんの瞳に呼び掛けられた。
「私、どうしたらいいのかな………」
――1人で母親の命の責任を背負ってきた少女が、その責任の果てを死神に委ねようとしている。
めいちゃんの震えた肩を僕は離さない。
「おかあさんにっ、会いたいよぉ……!」
――少女が30年抱え続けた、たった一つの願いは、死神にしか叶えられない。
めいちゃんの願いを響かせた声が僕に降りかかる。
「…………ゆうせいっ!」
――少女に名前を呼ばれた死神は
「……たすけてっ!」と、めいちゃんはたしかにそう言った。
もう、見逃さない。
どんな願いでも手を伸ばすと決めたんだ。
僕がこの願いを、必ず、叶えてみせる。
――立ち上がる。
僕はベッドから出て、床に跪く。
めいちゃんは、離れる僕を追いかけるようにゆっくりと手を伸ばしていた。
窓からは白い月明かりが差し込んでいる。
「めいちゃん、死神はね、魂を黄泉の国に連れてくる為に存在してるんだ」
涙で覆われた顔を優しく見上げる。
めいちゃんは伸ばした手を辿るように身体を起こす。
僕は、めいちゃんに死神の意味を伝える。
「だから、僕達は、今、めいちゃんのお母さんを君の元へ連れてくるためにここにいる」
片膝をついた体勢で、僕は左手を自分の胸に当てる。
逃げることのなかっためいちゃんは、今も死神である僕の言葉に耳を傾けてくれていた。
向き合う強さを、諦めない強さを持った彼女に、もう一度死神を信じてもらうために。
僕たちのことを信じてもらえるように、言葉を紡ぐ。
「でもね、死神としての依頼の条件とか、依頼人が誰とか、鎮魂する魂とか、それはもう僕たちには関係ないんだ」
僕たちの間には、死神と依頼人という変わらない関係がある。
でも、その関係は死神を信じられなくなっためいちゃんにとって、足枷になっている。
僕は例え自分が死神でなくても、めいちゃんの助けになりたい。
それで、いいんだ。
「僕たちはただ、僕たちを好きだと言ってくれためいちゃんの役に立ちたいんだ」
友達として、一人の人間として僕はめいちゃんに向き合う。
死神としての役目を果たすため、この子の願いを叶えるためなら、僕は死神じゃなくていい。
「めいちゃんの願いを叶えるために、僕たちの力の全てを使いたいんだよ」
めいちゃんは今にも零れそうな涙を必死にこらえて、僕を見つめ続けている。
白才ユウセイとして藤原めいに向き合う。
何者でもない僕が心の底から叶えたい願いなのだ。
「めいちゃんを、お母さんに会わせるって約束する」
僕はめいちゃんに友達として指を切った。
でも、その願いを叶えられるのは死神しかいない。
だから、僕は死神として改めてめいちゃんに向き合う。
そして僕は左手を首元に持っていき、自分の首を捧げる。
――死神は魂を刈るために少女に囁きかける。
「めいちゃんのお母さんを、殺させてください」
「―うん、私のお母さんを、殺してください」
――死神の言葉に救われて笑う少女の頬を涙が伝う。
揺らがぬ月光に照らされた二人の約束は
白才ユウセイが果たすべき、初めての死神の誓いだった。
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