第一幕 死神派遣会社チューリップ

第1話 死神派遣会社チューリップ 壱

「……さん、お客さん、わざわざこんなとこまで何用なんですかい」


 一人で大きなリュックサックを抱えて馬車の荷台で揺られていると、前方から声が聞こえてきた。


 リュックサックについている時計を見るとすでに出発してから一時間が経過していた。


 荷車の外装の布がふらふらと揺れているのを見ているうちに眠ってしまっていたようだ。


 うんと伸びをして、敬語がおかしくならないように気を付けながら返答する。


「僕、今日から死神なんです。その職場がこの先にあるんですよ」

「おぉ、坊ちゃん死神なのかい。たしかに綺麗な顔してるもんなぁ」

「あ、ありがとうございます」

「かっかっか、死神なのに褒められ慣れてないたぁ珍しいな」


 黄泉の国で死神と名乗ったら顔を褒められることは社交辞令のようなものだが、僕は慣れる気がしない。


 ずっと死神訓練校に缶詰めだったため、もしかしたら何百歳も年上の大人に褒められることがくすぐったくて仕方ない。


「お客さん、ちと外を見てくだせぇ、とんでもねぇでっせ?」


 快活な話し方の御者さんに呼び掛けられ、荷台の前方へと移動する。


 気持ちの良い風とほんのり甘い香りが漂ってきて、それに釣られるようにつま先立ちで身を乗り出してあたりを見回す。


「わぁ」


 びっくりするほどに鮮明な色彩に息をのむ。


「すごいですね…」

「今日ほど綺麗な日もそうそうねぇさ。あんた運が良いねぇ」


 ずっと木々の間を颯爽と進んでいた馬車はいつの間にか、見渡す限り一面のチューリップ畑をゆっくりと走行していた。


 青空にうっすらとかかった雲の隙間から光が差し込み、花々が発光しているのではないかと錯覚するように目を細める。


「お、あれじゃねぇですか?」


 御者さんの指さした右奥には木造2階建ての大きな屋敷が見えていた。チューリップ畑にぽつんとある建物だが、違和感無くきれいに風景に溶け込んでいる。


 まるで絵画のような風景に見とれているうちに、あっという間に目的地にたどり着いてしまった。


 荷台からぴょんと飛び降り、御者さんの隣へと小走りで移動する。


 財布から運賃を取り出し、手を高く伸ばして御者さんに受け渡す。


「ありがとうございました、すごく楽しい旅でした!」

「おう、こんなに綺麗な景色見れて俺も楽しかったぜ」


 にかっと笑ってそんなことを言ってのけるこの御者さんはさぞ人気に違いない。ほんとに今日は運が良い。


 頑張れよと最後まで御者さんに励まされ、僕は馬車が見えなくなるまで大きく手を振り続けた。


「ふぅっ」


 軽く息を吐き、背筋を伸ばして大きな屋敷の入り口に向き合う。


 ここが今日から僕が働く職場であり、寝泊まりする家なのだ。


 所属が決まってからずっと緊張しっぱなしだったのだが、素晴らしい旅のおかげで晴れ晴れした気持ちで扉の前に立てている。


「優しい人たちだといいなぁ」


 片方の扉に手をかけゆっくりと扉を開く。そして少し埃臭い木造建築のにおいを感じながら中へと進む。


 これが僕の死神派遣会社チューリップへの記念すべき第一歩だ。良い印象を抱いてもらわなくては。


 表情を引き締め前を向き、入店の挨拶をする。


「失礼し―」

「いい加減にしなさいよ‼」


 瞬間、キラリと緑色の光が視界の右側を横切り耳元でズドンッという重く鋭い音が響く。


「…え?」


 顔を横に向け、音のした場所を見てみると羽のついた銀と緑色のが突き刺さっていた。あと数センチずれていたら僕の右耳にはコインサイズのピアスホールが開いていたに違いない。


「毎日毎日、私がいる時間に合わせて懸垂しないでもらえる⁉振動で手元がぶれるんだけど‼」

「てめぇが俺の筋トレの時間に降りてくるのが悪いだろうが、元からこの時間はここで筋トレしてるんだよ」

「私だってこの時間にメイクしてるのよ‼」

「部屋でやれ」

「あんたが私の部屋の鏡を倒して割ったの忘れたのかしら⁉」

「固定しとけよ」

「なんで私が悪いみたいになるのよ‼壁を蹴って筋トレした方が悪いに決まってるでしょ⁉」


 …………お、鬼だ。二匹の鬼がいる。


ドレッサーに座った暗い緑色の髪で綺麗な顔立ちの鬼と、真っ赤な髪で上半身裸の鬼が汗だくで喧嘩している。


 全く想定していなかった事態に身体から冷や汗が止まらない。穏やかで綺麗な景色の中身がまさか地獄の釜のようだなんて誰が思うだろうか。


「私がメイクしてる時間くらい外で筋トレしなさいよ!」

「外で上裸で筋トレしてる人がいたら嫌だろ」

「なんでその配慮が出来て私には配慮できないのよ……っというか服を着なさい!!」

「ルーティンが乱れる」

「私の朝のルーティンを乱したのは誰だったかしら⁉」

「もういいだろ、続けるぞ」


 赤髪の男が埒が明かないとばかりに店の角に移動して、なぜか窓上に設置してある懸垂用の棒に手を伸ばす。


 ―リィィィン


 またしても鋭い緑色の光が赤髪の人の頭上をかすめ、奥の窓ガラスを貫いた。


 スピードが速すぎるせいか、窓ガラスは割れることなく綺麗な丸い穴が開いていた。


「ひえぇぇ」


 緑髪の人が右手を突き出した体勢でいるため、どうやらあの人がずっと殺人ダーツを投げているようだ。あんなのもはや銃弾だ。


 赤髪の人は掠めた致命の攻撃に動じることなく銀髪の人の方に振り向き、睨みつける。それに応じるように緑髪の人も脱力して首を傾げる。


「再開したら今度こそあんたの頭を貫いてあげる」

「やってみろよ、全部叩き折ってやるから」


 先ほどまで地獄の炎のように熱を帯びていた声が、寒気がするほどの低い声へと変化していた。


 もはや喧嘩というより果し合いとか決闘とか命のやりとりをするような雰囲気だ。これはいよいよまずい気がする。


「あのぅ、」

「「あ?」」


 ふり絞るように出した声に反応して二人がこちらを向く。完全に喧嘩腰だった二人の目はギラギラと刃物のように僕を刺している。


 今日から所属することは伝わっているはずなので、てっきり歓迎されるとばかり思っていた。


 しかし実際はそんなことは無く、もはや殺意が飛んできている。これが社会の厳しさなのだろうか。ハードすぎる…


「僕、今日からお世話になる、新人の」

「あーーーーー‼ごめんねぇーーーーー」


 緑髪の綺麗な人が突然手を叩いてはじかれたように立ち上がる。ほんの数舜までの殺伐とした雰囲気から一転、朗らかに優しい話し方に切り替わった。


「思ってたより早い時間に来てくれてたのね、ごめんなさいね変なとこ見せちゃって」

「いえ、そんな、いえいえ」


 テンションの変化についていけず困惑してしまい返事がしどろもどろになってしまう。


 それにズンズンこちらに近づいてくるシルエットが思ってた以上に大きく、綺麗な顔と男性にしては長めの緑髪と相まって独特のプレッシャーを感じずにはいられない。知らずのうちに一歩後ずさりしていた。


「そんなに緊張しなくていいのよ、ほらこちらへいらっしゃい、長い移動で疲れたでしょう」

「あ、はい…」


 おかしいな、前に一歩進んだはずなのにさらに一歩後退していた。


「そんなに迫るなよ。ただでさえデケェんだから」

「………なにか言ったかしら?」


 赤髪の人はそれだけ言うと流れるように懸垂を始めていた。


 いやいやいやいや、怖い怖い怖い怖い。笑顔の上からも分かるほどに頬がヒクヒクと痙攣している。


 また一歩後ずさり、ドンと背中が扉にぶつかる。もう逃げ場は無い。ヌッと銀髪の人が長い手を伸ばしてくる。


「その荷物私が持っててあげるから、こちらに来なさい」


 いよいよ命令形じゃないか。逃げてはいけないのに、反射的に身体を反らす。…いや、これは一度逃げるのが正解なのではないか、逃げなくてはいけないのではないだろうか。ジリジリと長い手が迫ってくる。荷物だけではない何かを狙われている気分になってくる。


 ―――――バゴォォン


「グェッ」

「あっ」

「帰ったぞ‼朝飯の時間だ‼」


 突然扉が壊れたかのような爆音とともに開き、当然扉の前に立っていた死神は吹き飛ばされる。吹き飛ばされたのはもちろん僕である。視界がぐるぐる、身体がぐるぐる、意識もぐるぐる……。


「今日は遂に、綺麗なキャベツが一人一玉食べれるぞ‼」


 ………あぁ、ロールキャベツ、好きだなぁ…



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