第20話 第七章 調練
時間より三十分余り早くスタジオへとたどり着いた。
ゆっくりと鼻歌交じりで向かった割には意外と早く着いてしまったようだ。
余った時間を潰す術も見出せなかった為、とりあえず受付の方に挨拶を済ませ、スタジオがある二階のベンチで来る時を待つ事にした。
開始時間ぎりぎりにいつもスタジオへとたどり着いていた僕は、まだ誰も到着してはおるまいと足取り軽く階段を駆け上ると、そこにはステレオの前で楽譜を広げ真剣な面持ちでギターを手にしている大ちゃんと智さんの姿があった。
二人は曲を巻き戻し、聴いてはギターを弾き、眼を合わしてはまた曲を巻き戻し聴くという、見ている側にはどこか不毛なやり取りを行っているように見えてしまうのだが、漂う空気がそうは語ってなかった為に敢えて声も掛けず静かにベンチへ腰を下ろした。
ちらっとスタジオの中を見てみると、どうやら誰も入っていないらしくもちろん音も聞こえない。
真面目に練習している二人の雰囲気にどこか背徳感を覚え、何気なく歌詞を手に取り読み返す振りをした。テスト期間中の時にもクラスメートにこんな感情は抱いた事はない。運命を共に生きる間柄だからこそ感じてしまう空気なのか…。
聞こえてくる裸音(アンプを通していない楽器の音)はどうやらスタジオでの課題曲らしく、僕はそれに合わせてなんとなく口ずさんでいた。ようやくつかめてきたと感じた矢先に一階からなにやら騒がしい音が聞こえ、その先へと何気なく目線を向けた。
何かは明確には分からないがどこか騒がしい様子である。微かに「ちわーっす」という声が聞こえてきてそれがイータダの到着だと瞬時に思った。
トースもトースでオーバーな行動を起こす人物なのだが、醸し出す雰囲気がどこか陰湿なのである。それに引き換えイータダはいつも爽やかな雰囲気で騒ぎ立てていた。人でこうも感じ方が違うのかと改めて思い、少しだけ悟りを開けた様な感覚になった。
そうこうしている内に、どたどたと足全体で階段を踏みしめながら駆け上がってくる音が近づいてきた。そして見えてきたのは何故か焦った表情をしたイータダの顔であった。
「よかった…。間に合った…。」
項垂れて息を切らしながらそう呟くと、倒れるようにベンチへと誘われていった。苦しそうに持っていた清涼飲料水を一口飲んで、溜息交じりに大きく息を吐き、肩を激しく上下に揺らしていた。
時計を見ても、開始までまだ二十分余りある。正直ここまで焦る理由が僕には理解できなかった。もしかすると智さんに何かしら弱みを握られているのではないかと直感したのだが、そんな事を聞いてしまうほど野暮な性格ではない。僕は項垂れ頭を抱えるイータダの横へ静かに座り肩に手を乗せた。
「よかったの!間に合ったんじゃわ。」
彼はピクッと体を反応させて苦しそうな表情で僕の方を見た。そしてすっと親指だけを立てて無理に微笑んで見せた。その姿がまるで昔のドラマに出演していたトレンディ俳優を思わせ噴き出しそうになった。しかし何より真剣な様子の彼の為に何とか高ぶる感情を抑えて僕は、力強く頷いて見せると、彼は満足した表情で眼を瞑った。
そんなイータダを見ていると、やはり噴き出しそうになってしまうので誤魔化し紛れで真面目な二人の方を見てみると、そんな僕達のやり取りをよそに、二人は相変わらずギターを寡黙に弾いていた。気づかない方が不自然な程騒がしい音を立てていたはず…。何故この二人は気がつかないのかが逆に不思議に思えてしまう。ただ気づいていないだけなのか。または知りたくないのか…。
やはり深く考えないようにしようと思った。
イータダの一連はさておきスタジオ開始まで残り10分足らず。今まさに気になっている事は未だトースの姿が見えていない事であった。
今までは自分に起こる全ての事に精一杯で、周りの事など気にも留めている余裕はなかったのだが、今改めて思い返してみると毎度遅刻しているような気がしないでもない。しかもメンバー誰一人彼の遅刻を咎めていた場面を見た事がないのだった。
イータダのこの焦り様よろしく。時間に厳しいリーダーでさえ黙認している訳なのである。思えば思うほど不可思議極まりない。
未だ頭を抱えているイータダの横で、僕も頭を抱えて項垂れた。するとスタジオスタッフの「入り三分前でーす。」という言葉が聞こえてきて頭を上げた。すると真面目な二人は散らばらせていた機材などを片付け始め、智さんが今日始めて僕達の方向へ顔を向けた。
「おはよう。二人頭を抱えてどうしたんだい?」
「おはようございます。いや、別に何でもないです。はい…。」
「そう?ならいいんだけど。」
そう言うと笑顔のまま、僕から目線を外し、手を動かしていた。
忙しいそうな彼らの姿に躊躇してしまうのだが、気になっているだけでも仕方がない。僕は勇気を出して核心に迫った。
「智さん…。トースは毎回遅刻しよるみたいなんじゃけど事ないん?」
その言葉に反応はなく、表情一つ変えずに黙々と作業をしていた。片づけが終わりスタジオへと入る寸前にこっちへ顔を向けた。
「え?トースかい?大丈夫だよ。それより中に入ろう!君はミキサーの設定をしなくちゃならないじゃないか。さ、早く。」
そう言ってそそくさとスタジオに入っていった。
ミキサーの準備…。そうだった!彼の冷静な一言に人の事を気にしている場合ではないと気がついて、急いでスタジオの中に入った。続いて他の二人もスタジオに入ってきたようで各自楽器の準備を始めた。
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