第16話 第六章 始動

 そしてある日の夕方に、緊急の徴集があるとトースから連絡を受けて、ミーティング場所であるトースの家へと足を運んだ。


 その内容は著しく真剣なモノだという事は知らせてくれた彼の表情が十分物語っており、果たしてどんなものかと隠す事もできない戦慄を表情に浮かべながら急いで自転車を走らせた。


 とりあえず急いで自転車を止めて、疾風の如く階段を駆け上り、影だけが進んでいるという速さで彼の部屋へとすぐ様入ると、まだ集まっているメンバーは智さんとトースの姿だけだった。


 リーダーからの初緊急発令という事で、僕は心なしか緊張していたのだが、その発令元であるリーダーは、僕のざわつく気持ちとは裏腹に、自身のフェルナンデス社製造のモッキンバードをチャラチャラと鳴らしながら鼻歌なぞを浮かべている。


 緊急ともあって来た僕から言うとその態度は少し尺に触ったのだが、今から語る事を聞いて後でも遅くないとその場を自身で諭した。


 僕の横では何故かトースが親指の爪を噛みながら諤々と震えて一人焦っている様子だった。

 

 僕はトースの横へ行き、肘で少し小突いてみた。智さんは気にせず相変わらず眼を閉じギターを弾いていた。


「おい…。」


 依然トースの態度は変わらなかった。そこで僕は思った。


 彼は徴集の内容は聞かされておらず、ただただ緊急発令の言葉だけで怯えているだけの様だった。


 彼は昔からそんな落ち着かない心境の時はいつもする行動である事を知っていた為、緊急発令という言葉に捉われるのはよそうと思い、その場へと静かにしゃがみこんだ。


 しばらくして他のメンバーもたどり着き、今回徴集した意味を智さんが語り始めた。話し始めると彼は頑なな表情に変わっていた。


「さっそくだが俺は半ば強引かもしれないが一つ行動した事を告白する。それは俺の独断だ。」


 ギターを弾いていた時の余裕を浮かべた表情は微塵もなく、寧ろその表情は深刻を極めている様子であった。その殺伐とした雰囲気に何事かと思わざるを得ない様子で、皆は固唾を呑んで耳を傾けていた。


 すると智さんは一瞬表情を崩し、微笑を浮かべて話を続けた。


「君らには黙っていたのだが、今までスタジオに入って練習していた音を全て録音し続けていたんだ…。」


 その言葉に一同はどよめいた。


 そのような事は誰にも知らされていなかった事であり、その言葉がどの様な意味を持つものなのか。皆に浮かべられる動揺は火を見るより明らかだった。様々な意味が考えられた。


 録音をした音源が全て。その音に対し、愛想を尽かしたのか。希望を見出したのか…。やはり想いは交差した。


 こんな状況の時の皮肉な人間の習性なのか…。不の方向にしか考えられない皆の想いが顔を青ざめさせ硬直させていた。その皆の想いを無視するかの様に、智さんは顔をまたもや強張らせていた。


 集まった時間も夕暮れに差し掛かる刻で、日ざしは優しく、僕達の影をより深くしている様だった。


 初めてメンバーと逢った時も同じ様な雰囲気であったとおぼろげながら僕は思った。


 生暖かい風が皆を包み、切なくもあり、不気味でもあると感じさせる。


 皆の額に色んな意味の汗を浮かばせて拭われていた。堪えきれぬ言葉は皆が共に一緒であったはずだ。


『駄目だしならばはっきりしてくれ』と…。


 妙に感じるほど静寂すぎる夕暮れに違和感を覚える余裕さえも無く、それは答えを待っている僕達が作り出している幻想に過ぎないのか。はたまた本当に静寂なのか。それさえも分らないほど、その場は緊迫し尽していた。


 それは数分かもしれないが、数時間と思わすほどの重い空気であった。


 そしていきなりその静寂は一瞬にして崩された。智さんの予期せぬ高笑いがその静寂を切り裂いたのである。


「あーはっはっは!なぜ皆そんな深刻な顔をしているんだい?」


 皆は顔を見合わせた同時に智さんに視線を集めた。皆の魚が口をパクつかせた風の顔を見渡して、彼は満足そうな顔を浮かべ、腹を抱えて笑っていた。


「わはははは!いや、ごめんごめん!少し悪戯が過ぎたようだな。俺が今から話す事は皆が考えているような悪い事ではないさ。」


 何がなんだか訳が分らないがどうも悪い話ではないらしい。


 一同はため息に似た息使いをした。一番初めに正気を取り戻した大ちゃんが、智さんの真意を嗜めた。


「で、智さんが皆をここに集めた理由はなに?」


 大ちゃんの冷静沈着な問いに、皆も真剣な顔つきで、智さんを見た。

 彼はまた真剣な顔つきに変わり、メンバーを見回して、そして語り始めた。


「数回練習して、録音した音源を聞いて思った事は…。」


 その行間に僕達は只ならぬ想いを馳せた。一斉に生唾を飲みながら問う。


「…思った事は?」


 瞬時の返答はなかった。

 彼は目を深く瞑り、まるで言う事を躊躇しているとさえ思うほどであった。


『切るならば切ってくれ…。さあ早く!』


 皆の心の声は彼に届いているはず。しかし彼はまるで心に鋼を纏わせた様に一切動じず、相も変わらず瞳を閉じたまま動こうとしない。


 皆の緊張感はまるで後少しで張り裂けそうな風船の如く膨らんだ。何かの拍子で弾け飛んでしまう。僕にはそう感じた。そして彼は静かに瞳を開け、まるで未来を見据えているかと思うほど遠くの方を見ながら、何故か涙を浮かべていた。


「……完璧だ。」

「…!」


 思ってもみなかった言葉に一瞬言葉を失い、皆は白い灰の如くなっていた。次第に皆は我を取り戻す。そして張り詰めた風船が弾け飛んだかの様に一斉に叫び声に似た声を上げた。


「ええエエぇえええぇええええええぇえ!!!!」

 

 皆の叫び声がまるで山彦の様に空間に声が広がっている様だった。


 パニック。その表現が適切だろう。


 皆は訳の分からない手振り素振りさらしながら視線さえも定まらない。中にはティッシュ箱からティッシュを無駄に散らかしまくっている者までいた。


 智さんの微かな体の動きに皆は冷静さを取り戻し、一斉に注目すると、彼はやはり涙を浮かべながら、拳を固く握り締め、天を仰ぎながら呟いた。


「もう…、教える事は何もない…。」


 彼は頬に流れる熱い涙(?)を拭いながら唇を震わせていた。

 完全に正気を取り戻しつつある他のメンバーは、今まで張り詰めさせた雰囲気の反動をまるで荒れ狂う波の如く彼に向けて、猛烈に突っ込んだ。


「ちょ ちょっと待ってよ!完璧って早すぎじゃけん!」

「いやいやいや、まじ待って!そもそも何で涙浮かべとるんすか!?」

「しかも、ここまでに至ったこの前振りはなんなのさ!?」


 皆の一斉に発する言葉に彼はまったくもって動じてない様子で、彼は少し口元を緩ませただけで表情は変わっていなかった。


 そして少し不思議な光を帯びた瞳で僕達を見つめながら言った。


「だからと言って、いい気になってもらっても困る。という事で俺は一つ行動に移したという訳だ。」


 彼の意味深な言い回しにやはり冷静さを失ったバカ三人集(僕・イータダ・トース)は口々に訳の分からない言葉を発するしかできなかった。


「いや、まじ!どういう事ですか?」

「ええっ!エキゾチックな日々の始まりですか?」

「そもそも、エキゾチックの意味ってなんですか!?」

 

 事前に話し合っていたのかと思うくらい揃った阿波踊りの様なワサワサした蠢きを見せつつ、三人は騒いでいた横で一人の男だけは違った。


 端正な顔つきをより深め、いつも冷静沈着な様子で物事を見据える男。それが大ちゃんなのである。


 彼は…。彼だけは智さんの瞳を一閃の光を浴びせるかの如く捉え、そして尋ねた。


「で、智さんが移した行動とは…?」


 二人の光が交差した。それをも気づかず面妖な動きを見せている三人。


 多分傍観している分には面白い光景だと思うのだが、皆はそれぞれとりあえず必死なのである。


 冷静さに欠けた三人は盆と正月が一緒に来たみたいな騒ぎ方をしている他、人として成り立っていた二人の会話がしばらく続く。


 智さんはいつもと変わらない堂々とした面持ちで、大ちゃんにだけ視線を向けて話し始めた。


「とあるイベントライブにエントリーした。」


 その言葉に大ちゃんは口に含ましていたお茶をぶぶっと吐き出した。それと同時に皆の蠢きもぴたりと止まり、トースが言った。


「大ちゃん…。汚いきんやめて!」


 いや、そこじゃないだろ。


 僕はトースに一つ張り手を飛ばして智さんに聞き返した。


「…イベントってなんすか?」


 その言葉に智さんは誇らしげな表情を浮かべ、胸を張った。


「高校生バンドフェスティバル イン 松山!」


 その聞いた事もないワードに一同は瞬時に智さんの方へ視線を向け、そして一斉に声を荒げた。

 そして一同は祭りの如くもう一度一斉に声を荒げた。


「ええエエぇえええぇええええええぇえ!!!!」


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