第12話 第四章 対話
家中同様、トースの部屋も見慣れない音楽機材が多少増えた以外、そう変わった様子はなく、やはり散らかった男の部屋のまんまであったが、そこには見慣れない顔ぶれが僕を笑顔で迎えていた。
周りのメンバーを無視するかの様に部屋中を呆然と見回していると、長身でヒョロっとした体格をしていて、少し長めの髪がなんともバンドマンの雰囲気を醸し出している男が、薄く微笑みながら真っ直ぐに僕の眼を見ながら右手を差し出してきた。
「岡田君だね?俺はこのバンドのリーダー兼リードギターをやっている宇高智安だ。よろしく。」
元々人見知りがちの性格である上に、この上ない疑いの目で彼らを見定めると心に決めてこの場所に存在している僕は、ここで一発かまさずおくべきかという衝動にかられ、右手を差し出す彼の手に左手で手の甲をぎゅっと力強く握りしめ、彼の目の意地悪な視線で見つめた。
すると今まで醸し出していた周りの和やかな雰囲気は一瞬にして凍りつき、殺伐とした雰囲気に見事早代わりした。宇高も一瞬表情を曇らせたが、僕の思惑を瞬時に悟ったのか、一瞬にして表情を笑顔に変えた。
「なるほど…。噂通り面白い方だ。他のメンバーも紹介したいが、続けていいかい?」
彼の華麗なるかわし方に僕は思わず驚いた。
『ふむ…。流石はバンドを取り締まる立場にある人物らしく懐は深いようだ。しかしまだまだ気を許す訳にはいかない。』
僕は無言で頷いてその場で胡坐をかいて腕を組んだ。この行動も相手の気持ちを錯乱させて本性を出させる作戦の内なのだ。
その僕の行動を気にせずに宇高は笑顔で自己紹介を続けた。
「俺の横にいるこの男がサイドギターの岩崎大輔で俺の昔からの相棒だよ。」
髪型は短く、身長は僕と同じくらいだが、体格は細いが肩幅があるから少しがっちりとして見えた。
ジャニーズにいても可笑しくない様な整った顔が、少し冷たそうな印象を与えていて、尚且つ僕の大胆で傲慢な態度に少し怒りを覚えていたのか、どこか殺伐とした雰囲気が否めなかった。
その彼の気持ちを悟ってか、宇高が彼の肩にぽんっと手を置いて意味ありげな笑顔で軽くウインクして合図を送った。そして瞬時にその意味合いを理解したのか、彼はすぐさま笑顔を浮かべ、宇高にウインクで合図を返した。浮かべた笑顔の口元に密かな八重歯が見え、冷たい表情を何となく柔らかいものに変えていた。それは意外と好印象なイメージを与え、笑顔の素敵な男の軽い魔術に僕はとても不思議な感覚に陥った。
一つ息を呑んで岩崎と紹介された男は笑顔で僕の方を向いた。
「岩崎です。トースからいつも話聞いてたよ。よろしく!」
その声に僕は片眼で確認し軽く会釈をした。
今さっきの宇高の話から思っていたのだが、トースは一体僕の何を話していたのかと気になっていてふとトースの方を見たのだが、トースはもう一人の今から紹介を受けるメンバーと、どうも馬鹿話を繰り広げているらしく、全然こっちを見ている様子は無い。当然問い詰める雰囲気ではなかった。
僕はなんとなく諦めて腕を組み直し、眼を瞑った。そして宇高からのメンバーの紹介は続いた。
「で、あのベッドに腰掛けてトースと話している奴がドラムを担当している伊川正だ。」
いきなり自分の名前を呼ばれた宇高の声に不意をつかれた様子で、伊川と紹介された男は瞬時にその場に立って僕の方を見た。宇高が岩崎と接する態度と彼と接する態度の違いに少し疑問を抱いてしまったのだのだが、彼が言った自己紹介でこのバンドの体制というものが少し理解できた。
「いっ、伊川正とっ、いいます。僕もまだまだ楽器を始めて間もないっす。まじ下っ端っす!よろしくっす!」
脱色をしているのか、はたまた地毛が元々茶色いのかは分からないが、なぜかほんのりと茶色い髪の色で、多分スポーツをしているのか服の上からでも筋肉質である事が分かるほど鍛え抜かれた体格で、その肉体とは裏腹に何故か情けない顔を浮かべていた。直立不動のまま、きびきびと言葉を並べている姿が誠実さを感じさせていて、他のメンバーに比べて比較的第一印象が良い男だった。
少し思ったのだが、仲良しこよしと見せながら意外とこのバンドは縦の関係が出来ているらしい。
伊川と名乗った男は何かにつけてこのバンドの中では新参者の様で、リーダーである宇高をどことなく尊敬している眼差しで見つめている様に思えた。メンバーの関係がはっきりしていて組織的にメリハリのある団体という事は個人的に実に好ましいと思った。
僕は思わず一瞬表情を緩めてしまったが、まだまだ許すまじと、気を引き締め、顔を強張らせた。そして気を取り直して軽く会釈をして再度眼を瞑った。僕の一瞬の表情の変化を捉えたのか宇高は元気よく最後の紹介を始めた。
「そして最後に岡田君もよく知っていると思うけどベースを担当しているトースだ。今はこの四人のメンバーでバンドが構成されている訳だ。」
ちらっとトースの方を見るとへへっと笑顔で頭を掻いていた。なんだか幸せそうな様子である。
彼的にはこのメンバーといる今が至福のひと時なのであろう。彼の笑顔の意味もなんとなく分かるのだが、僕はまだまだ気を許す訳にはいかなかった。それは何故かというと、喧嘩を売った僕の態度も然り、このバンドへの誘いを断らなければならない可能性があるからだ。いくら自己紹介を穏便にされたとしても、僕の中で友人は愚か、まだまだ知り合いにも慣れてはいない。ましてや自分の中の人間性的な疑いも完全には晴れてはいない。僕は相変わらず頑なな態度を変えずに、まるで拗ねた少年の様に殺伐とした雰囲気を飛ばしまくっていた。
僕の態度に呆きれた様子もなく、丁寧な口調で宇高は語り始めた。
「楽器隊はこうそろってスタジオに入っている訳だけど、肝心のバンドの顔であるボーカルが不在の為、今探している真最中なんだ。確かに幾度かボーカルを加入させた事もあったけど、なかなか思う様なボーカリストがいなくてさ…。」
彼の深く、そして真剣な声が夕暮れの部屋にそっと響いた。ふてぶてしく思わせる僕の態度をむしろ惨めに映すかの様な深刻な面持ちであった。
これも言いたい事はなんとなく分かるのだが、ただ僕の長く考え抜いた日々がこの場の雰囲気に流されてしまうほど安いものではない。素直に『はい、そうですか。』と承諾してしまうのは嫌だった。
その場を納めるのは言葉一つで解決するのもよく分かっていたのだが、それでは自分なりに苦悩してその時を乗りきった自分の心に余りにも忍びなかった。もっとも支えてくれた仲間達の気持ちも然り…。
僕は相変わらず黙んまりを効かせていると、僕の邪険な態度に、まるでだめ押しを与えるかの様な優しい口調で宇高は言った。
「以前トースから君の事を聞かされて是非歌声を聴いてみたくなったんだ。君を騙す形になってしまった事をリーダーである俺から深く詫びたい。申し訳なかった。」
さっと音がした事とその言葉に、僕は何となく視線を浮かべてみると、彼は深々と僕の前で頭を下げている姿が見えた。
大の男が夕暮れを浴び、深々と頭を下げている姿。その裏には暗い表情を浮かべて項垂れている姿の他のメンバー。いつもなら空気を読まずにヘラヘラしているトースでさえも、今にも泣き出しそうな表情を浮かべていた。その表情はかつてカラオケを断った夜に、僕の家へとやって来た時の表情と同じだった。
あの日の僕は…。今まで過ごしてきた彼との日々は…。悔しくて泣いたあの日の夜は…。過ごしてきた日々が走馬灯の様に僕の頭の中を駆け巡った。どうすればいいか自分でも分からなくなってきて、僕は思わず天を仰いだ。
かつて感じたこともない激しい葛藤が僕の心の中を支配する。再び眼を瞑ると、しばらくしてトースの声がした。
「俺も…辛かったんよ。」
切実な態度、そして泣き出しそうな声を浮かばせて、彼は僕の心に話しかけてきた。
「岡田さんをこんな気持ちにさせるなんてホント思ってなかったんよ!岡田さんと縁切りすることなんか俺…ホント考えてなかったよ!」
顔を赤くさせ、必死に僕に語りかけてくる横で、宇高はまだ深々と頭を垂らしていた。
『僕はなぜこんなに困惑しているのか?』その言葉がふと頭に過ぎり、我に返った。
ここまで心から話してくれている事に、なぜ僕は気づけないでいたのか。それは僕が初めから色眼鏡をかけて話しを聞くと決めたからだ。
初めから疑いの姿勢で出来事を見てしまっていては、本当に大切な事さえも気がつかない事など考えなくても分かり過ぎていた筈…。
そう思うと、僕の顔面からだんだんと血の気が引いているのが分かった。どうしようもない想いに苛まれ、僕は急いで声を上げた。
「お、俺こそごめんなさい!なんかつまらん事で自分の心閉ざしとった!ほんまごめん!」
急いでその場に立ち、僕も深々と頭を下げた。それに驚いての事なのか、宇高から優しい声が発された。
「もうこれで分かり合えたのだから…。岡田君も頭を上げて。な?」
その言葉に、素直に頭を上げたが、うまく宇高の目を見る事ができない。自分のみすぼらしい行動とは対象に彼の紳士的な態度と深い心の器。全てにおいて自分が情けない。そう思えてならなかった。僕の余り見せる事のなかった暗い表情にトースがあえてなのか明るく振舞った。
「もうええやん!お互いの気持ち確認出来たんじゃけん!な、智さん?」
トースの言葉に宇高も穏やかに列を連ねた。
「岡田君に疑いを持たす行動を初めにしたのは俺達の方だ。本当に申し訳なく思っているよ。だから今からは少しだけこれからの話をしないか?」
彼のその言葉にようやく正面を向く事が出来た。宇高は万弁の笑みを浮かべて僕を見つめていた。
「トースから聞いた話を元に君からも色々話を聞きたい。熱く重苦しい話が続くかもしれないけど少し付き合ってくれないか?」
そう言うと彼は真剣な顔つきに変わり僕を見た。その言葉に僕も無言で一つ頷き、お互いその場に座った。
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