第11話

 保健室のベッドには倉橋美月と長谷川椎子のふたりが眠っている。

 あたしの友人、かけがえのないクラスメイト。


 美人で頭がよく誰にでも優しい美月。


 控え目で大人しいけど、優しくていつも一緒にいたしぃちゃん。


 思い描くのはふたりの姿。でも昨日までとは随分変わってしまった。そんなものがあたしの単なる思い込みだということを今日一日で思い知らされてしまった。

 あたしは明日からどうやってこのふたりに接していったらいいのだろう。どんな声をかけていいのか、もうわからない。

 宏樹はずっと美月の横に付き添っている。あんたは本当に美月が好きなんだね。だけど、美月のことを知ったらあんたはどうするだろう?それでも好きだって言えるのか?どんなに頑張ったって、うまくいかないことだってあるんだよ。


「ひー坊」


 そっとちひろが後ろから抱きとめてくる。もう振り払う気力なんてない……


「何があったかは聞かないけどさ。私はあんたの頑張りを認めるよ。あんたはちっこいけれど本当にすごい奴だと思う。前にも言ったよね。私は何があってもひー坊の味方。これは絶対。だから言うよ。本当にお疲れ様、ひー坊」

「ち、ちひろ~」

「おお、よしよし、おねーさんの胸で泣きなさい」


 ああ、もう駄目だ。どんどん涙があふれてくる。不覚。こいつの前で一度ならず二度までも泣いてしまうなんて。だけど本当に嬉しい。それだけの言葉が本当に嬉しい。


「あとは任せた。もう大丈夫そうだな」


 ポンと、一回ちひろの頭を撫でてから有希子さんが、踵を返す。


「うん、おねーさんも有難う。ひー坊に代わってお礼を言うよ。ええと……」

「有希子だ」

「じゃあ、ユキねぇさん。本当に今日はありがとう」


 ちひろの言葉に右腕をヒラヒラと振りながら部屋を出ていく。

 しばらくちひろの胸の中で泣いたあと、あたしはちひろに付き添われて保健室を出て自宅に戻った。


「ひー坊、大丈夫?今日はおねーさんが添い寝してあげようか?」

「い、いいよ。もう、何だよそれ。子供じゃないんだし……」

「くぅー、しおらしいひ―坊もいいねぇ、もうおねーさん、萌え萌えっすよ」

「ば、ばか!早く帰れ!」


 バタンと扉を閉める。困った。明日から当分あいつに頭が上がらない。どうしたものか。


 部屋に戻ると、そのままベッドに倒れこんだ。すごく疲れた。

 ひとりになるとやっぱり頭をめぐるのはあのふたりのこと。


 ――お願いです。もう、これ以上私たちの関係に立ち入らないでください。

 ――ひかりちゃんなんてだいっきらい!


 ああいやだいやだ。今日はもう風呂入って寝よう。もう何もやる気が起きない。

 その時、携帯電話の着メロが鳴った。聞き慣れたそのメロディーは、しぃちゃんからのメールの音だ。あたしは携帯電話を手に取り、文面を確認する。


 ――ひかりちゃん。今日はゴメンなさい。わたしがどうかしてました。ずっと一緒にいたのにあんなことしちゃって、本当にゴメンなさい。


 ああ、しぃちゃん許してくれたんだ。うん、そうだね。明日からまたやりなおせるよね。


 ――だから今度は一緒に作りましょう。今度はひかりちゃんも一緒に、ずっと仲良くやっていける世界を。みんなで楽しく暮らせる世界を。


 いいねそれ、ずっと楽しく暮らしていけたら最高だよ。

 しぃちゃんからのメール。とても魅力的な文面。それをずっと見ながら、

 あたしは携帯電話に語りかけた。


「いいよ。一緒に作ろう。あたしたちだけの世界を……」




 


 月の光の下を霧崎有希子は歩いていた。

 

 先ほどまで空を覆い隠していた雲は霞のように消え去り、暗闇を照らす鮮やかな光が何かを祝福するかのように夜空を彩っている。時折吹き抜けていく冷たく乾いた風が、高揚した心には気持ちがいい。


 実に愉快な気分だった。


 いつの時代も子どもの発想と言うものは大人のそれを遥かに上回ると言うが、あれはまさに規格外の選択だ。全くもって驚かされる。


 恐らく本人してみれば無意識の内にやった事なのだろう。だが、結果として、あの子は有希子が思いもよらない方法でもって問題を解決してみせた。それはとても貴重で、微笑ましい選択。おそらくあれが正しい。


 しかしだ。それとは別に、今回は妙に恣意的なものを感じる。


 10年前のこと。そして、今回起こった出来事。何故あの日、あの時有希子があの場所にいたのか。チャットによる鬼の具現化、そして携帯電話におけるもの。それらは無関係ではなく、すべてが必然性の見えない糸によって繋がっているようにすら思える。


「やはり、もっと詳しく調べてみる必要があるかも知れんな」


 長谷川椎子について調べてはみたものの何も出てこなかった。ごく普通の家庭に居るごく普通の高校生だ。あんな現象を起こせるような人間ではない。結局、現時点で考えるには、揃っていないピースが多すぎる。目に見えているものだけを集めたところで何もわからないだろう。


 さて、この場合はどのツテを使えばいいものか。


 などと考えを巡らせ始めた時、神無が声をかけてきた。


「有希子、大変だよ!」

「何だ神無、私は今忙しい。つまらんことなら後にしてくれ」


 最近、この小妖精との会話も板に付いてきた。全く、以前までは無視出来ていたからいいものの、本当に存在することがわかったとなると、これはこれで厄介の一言に尽きる。これほど公式にあてはまらないものは、他に存在しないだろう。さて、どのようにこの特異点を処理したらいいものか。


「そんなことより大変だよ!ひかりが大変なんだ!」

「あの子ならもう大丈夫だろう?あのちひろという子も付いているようだし、なに時間が解決するさ。そういうものだ」

「違うんだよ!そうじゃなくて、ひかりが、ひかりが……」


 珍しく切羽詰まった声でわめく。わかった。聞いてやる。一体どうしたというのだ。


「ひかりが消えちゃったよ!」

「……」


 数瞬の沈黙。虫の声だけが辺りにこだまする。


「なんだと?」


 星の瞬く月夜の晩、悪夢はまだ終わらない。

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