第10話
「本当に美月姉さん何処に行ったんだろうね。」
食べのこしのポテチを啄みながらちひろが呟く。
打ち上げパーティー解散後のこと。
クラスメイトが次々と帰途につく中で美月としいちゃんの姿だけが見当たらない。てっきりあたしより早く教室に帰っているかと思っていた美月はそのまま何処かに行ってしまったようだ。口ぶりからしてそんな様子はなかったんだけど、やっぱり少し気まずさを感じたのだろうか。それはとてもよくわかる。あたしも今は、美月とどう顔を突き合わせていいのかわからない。
「まったく、椎子はともかく、美月まで荷物を置いたまま居なくなるとは一体、どうなってるんだ?」
困ったものだと宏樹がため息をつく。
「確かに美月姉さんが職場放棄するなんて珍しいよね~」
と余ったお菓子を片っ端から平らげていくちひろ。
「そう言えばひかり、美月と一緒に出て行ったように見えたんだが、何か心当たりはないのか?」
「……」
「ひかり?おい?聞いているのか?」
「え?なに?」
「何って、お前……」
宏樹が何かを言いかけたとき、クラスメイトのひとりが飛び込んできた。
「委員長!倉橋さんがお手洗いで倒れてる!」
「え?」
あたしがその言葉の意味を理解するより早く、
宏樹は教室を飛び出していた。
「はて、倒れてるって……なんで?」
さすがにお菓子を啄む手を休めてちひろが首を傾げる。
うん、よくわからないけどあたしたちも行くべきだろう。
そう思って教室を出ようとしたとき、
「ひかり、君が向かうべきはそっちじゃない」
だしぬけに神無がそんなことを言ってきた。
「君が向かうべきは屋上。そこで有希子が待っている。だけど、君がどうするかは君の自由。僕はちゃんと伝えたよ。あとは君次第。どちらにしろ急いだほうがいい。有希子はああなると容赦ないからね~」
惚けた口調で神無が言う。だけどその目は決して惚けてはいない。
「ん?どしたの、ひ―坊。行かないの?」
「うん、ゴメン、ちひろ、美月をお願い!」
あたしは屋上に向かって走った。
何で!どうして!
紫色の閃光が舞う度に自分の力が削ぎ落とされていくのがわかる。
あの夜と同じだ。どんなに頑張ろうとも、どんなに大きな力を駆使しようとも全て跳ねのけ、打ち砕かれる。目の前のこの人は別格だ。まるで敵わない。まるで通用しない。わたしはこんなに強くなったのに!
瞬時に肉薄され、何もわからないまま地面に叩きつけられていた。
痛い痛い。こんなのイヤ。助けてHiro君。
「強くなったか。どこをどう取り違えたらそうなるかはわからないが、まぁいい。仮に『強く』なったとしてどうする?あの夜のようにひかりちゃんを追いかけ回すか?」
ああ、そうあの時は楽しかった。だって、あんなに強かったひかりちゃんが泣いたんだよ。わたしに追いかけ回されて、何もできずに怯えていた。あはははははは、思い出しただけでもいい気分。
「度し難いな。では問うが、10年前、お前は何に脅えていた?そして何がお前を救った?そんなことも忘れてしまうほど摩耗しきったか?」
え?何それ、何であなたがそんなことを?
「思い出すがいい。お前は彼女の何を『強い』と思った?そして何に憧れた?そこにお前の言う『強さ』は存在したか?あの小さな体で何に立ち向かった?それがわからない限り、お前は永久に弱いままだ。恥を知れ馬鹿者」
バタン!
その時、屋上の扉が開き、そしてひかりちゃんが姿を現した。
「有希子さん?それにしぃちゃん!何やってるのふたりとも!?」
屋上に足を踏み入れたあたしが目にしたのは有希子さんと、すぐそばにうつぶせに倒れている痛々しいしぃちゃんの姿。明らかに尋常な雰囲気じゃない。
「何と言うと?」
「その目!有希子さん、何で力を使ってるの?しぃちゃんは何で倒れているの?まさかまたあいつが……」
「ひかりちゃん。もうそろそろ目を背けるのはよしたらどうだ?邪魔をするなら出ていくがいい。あたしは今、その『あいつ』と戦っている」
「あいつって……?」
「『本体』だ。そこに転がっている」
見下ろす先にはしぃちゃんの姿。
「そういうことだ。あたしはこいつを狩る。それはあたしの役目でもある。だから用がないならそこでジッとしていろ。なにすぐに終わる」
「だ、駄目だよそんなの!」
あたしは有希子さんとしぃちゃんの間に割って入った。
「どけ。もはやどうにもならん。いいか、これは君のせいでもある。真実から目をそむけ続け、あたしとの特訓を疎かにし、挙句の果ての結末がこれだ。ここに至るまで何度も機会はあったはずだ。だが君はそれをしなかった。こいつと向き合わなかった。だからこうなった。いいかもう一度言う。これは君のせいでもある。君が躊躇うからあたしがその始末をつけてやるというのだ。感謝されることはあってもそんな風に睨まれる筋合いはない」
「で、でも……」
「もう一度言う。どけ、邪魔だ」
「いやだ!どかない!」
「ほう?」
ニヤリと笑う。酷薄な瞳。絶対的な強者。怖い。そこにはいつもの優しい雰囲気はない。
「ではどうするというのだ?」
「そ、それは……」
「やめて!」
その時、後ろから悲痛な叫び声が上がった。
「いつもそう。いつもそうやってわたしと誰かの間に入って、頼まれてもいないのにどんどん割って入ってくる。イヤなの、もう放っておいてよ!そうやって憐みの目でわたしを見ないでよ!そんなのわたし、もう耐えられない。イヤ!イヤ!もうイヤ!ひかりちゃんなんて――」
膨れ上がる巨大な「力」
「ひかりちゃんなんてだいっきらい!」
爆発する感情。巨大な力の渦。そしてあたしを包むように広がる淡い紫色の光。
次の瞬間、あたしは抱かれてフワリと宙に舞った。遠ざかる地面に、まるで重力がなくなったかのような浮遊感。世界は反転し、音を失い、質感を失い、切り離された時間だけがゆっくりと流れていく。
「マズイな。ちょっとやりすぎたか」
「当たり前だよ。有希子容赦なさ過ぎ。もうこれ、本格的にだめじゃないの?」
あたしを抱きかかえたまま着地する。殆ど衝撃は感じない。
「そうかな、まだ手は――っ!」
途端にガクリと膝をついた。
苦しげに明滅する紫色の光。世界は再び反転し、急速に失われた質感を取り戻していく。
「有希子さん。瞳の色が……」
「ああ、マズいな。短時間に力を使いすぎた。情けないがちょっとピンチだ。はは……これでは狩ることはできないな。だから――」
黒色の瞳があたしを捉える。
「あとは君がやれ」
しぃちゃんのまわりに見えるのはいつか見た黒い影。顔のない異形の化け物。それも無数に限りなく増殖していく。様々なカタチ。顔のないカタチ……
「ど、どうなるの?」
「さぁな。膨張しきった自我によって、精神的な熱的死を迎えるか、それとも無数に分裂した『わたし』によって自己統一性を失い、日ごと、分ごとに着せ替え可能な人生を生きるようになるか、いずれにせよ正常な状態には戻れないだろう。ひと思いに楽にしてやるのが一番だ」
「そんな……どうにかならないの!?」
「手はある。いいか、これは君にしか出来ないことだ。私と同じ力を持ち、彼女とずっとともに過ごしてきた君にしか出来ない。よく聞け。彼女の周りに見える無数の影は、全て彼女自身だ。彼女自身の持つ選択肢の群れ、いわば彼女自身の可能性の群れとも言える。今、彼女はその方向性を失い暴走している。無数の選択肢が広がり、通常ではありえない飛躍した可能性までが現出している非常にまずい状態だ。だから君が選んでやれ、ずっと一緒に過ごしてきた君ならできるはずだ。あの狂った状態から彼女を救ってやれ」
「あたしが……選ぶ?」
「ああそうだ。目を開け。イメージするんだ。ずっと過ごしてきた彼女の姿を。10年間ともに過ごしてきた彼女を。そして選びとれ、どれが彼女だ、いつもはどんなことをし、どんなことを考えていた?どんな風に笑っていた?それが出来るのは君しかいない」
「目を――開く……」
「覚悟を決めろ。これが正念場だ。迷うな。ちゃんとイメージしろ。今の君ならできる。出来ると信じろ。一緒に過ごしてきた日々を信じろ。そして選びとれ!」
特訓を思い出す。この場所を見る自分、そしてその視点。そして、あたしはイメージする。それはしぃちゃんのこと。ずっと過ごしてきた日々、通ってきた道、分かち合った喜び、悲しみ、そして怒り。ともに笑い、ともに泣き、ともに怒った。それは魂のカタチ、そして絆のカタチ
想いが広っていく。様々な記憶。様々な過去……そして未来。それらが急速にまとまり、収束したとき、すべてはもう終わっていた。
しぃちゃんが倒れている。もうあの黒い影は周りには見えない。
「ね、ねぇこれでよかったの?あたし成功した?」
「……」
沈黙する有希子さん。その目は、信じられないものを見たかのように大きく開かれ、しぃちゃんの方を凝視している。
「ねぇってば!」
「は、はは……なるほどそうか。いや全く、実に面白い。そんなやり方があるのか、いや参った。脱帽だ」
「ねぇ、ちょっと答えてよ!」
「ああいや、スマン。あまりのことに言葉を失っていた。うん、そうだな。多分それが正解だ。恐らく君は成功した。もう大丈夫だ」
ポンとあたしの頭に右手を置き、
「頑張ったな。本当に偉いぞ」
そう言って片目を瞑って見せた。
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