第9話

「おつかれさま~」


 と、ちひろが、声を上げると、みな、一斉に紙コップを掲げる。

 文化祭2日目も無事終了。あたしはホッと息をついた。いや、ホント、疲れたよ。


 ちなみに、天野坂の文化祭に後夜祭はない。後片付けは明日の午前中に行なわれるから、そのまま解散となるのだが、あたしたちのクラスでは内輪だけのお疲れパーティーが始まっていた。


 とはいえ、ジュースやらポテチやら、まぁ定番のものを食い散らかしてオシマイなので、それほど大したものではない。1時間もすれば解散となるだろう。10月に入って、日も短くなりつつある。既に暗くなりかけているから、早く帰れと教師もやたらとうるさい。


 頃合を見計らってあたしは美月を廊下に呼び出した。

 美月はやや首を傾げて不思議そうな顔をしたがすぐにニッコリと笑うと、承諾した。


 廊下に出る。


「ひかりさん。私に何の話でしょう?」

「え、えとさ……美月。宏樹のことなんだけどさ……」


 思わず口ごもる。ここまで来て何を恐れているんだ。あたしは……


 美月は軽く微笑んでから、静かに目を閉じ、


「ひかりさん。ここでは何ですから、少し散歩をしましょう」


 そう言って、ゆっくりと歩み始めた。

 あたしはその後に続く。





 夕暮れの色に染まった中庭を歩く。赤い夕陽に染まった美月の横顔はとても綺麗で見とれてしまいそうになる。あたしたちは、まだ喧噪の残る中庭を抜けると人影の少ない校舎裏に足を踏み入れた。そこで美月は立ち止って振り返り、静かに微笑んだ。いつもの優しい微笑み。


「ひかりさんにはお風呂で、宏樹さんの昔のことをお聞きしましたね」

「うん」

「では、私も中学時代のことを話します。いえ、話さなければなりません。でないとフェアではありませんから、どうか聞いてください」

「わかった」


 ゆっくりと美月は語り始める。

 それは中学一年生の時、クラスの委員を決めるときのこと。

 当然のように誰も立候補する人間の居ない中、既にクラスメイトの信頼を得ていた美月がほぼクラス委員長に決まりかけていた。美人で頭がよく、優しくて慎ましい。多分それは今も昔も変わらなかったのだろう。当然の選択とも言える。

 だが、その中で突然立候補すると言い出した人間がいた。それが宏樹。その一言でクラス委員長は宏樹に、副委員長は美月に決まり、そこからふたりの関係は始まった。

「宏樹さんが委員長、そして私が副委員長。今と同じ関係ですね。とても情熱的で行動力のある宏樹さん。それを支える私……この構図はずっと変わりません」


 2年ではクラスが離ればなれになってしまったが、それでもお互い話すことは多く、そして生徒会長と副会長という役目がふたりを結びつけた。そして3年では再び同じクラス。


 ずっと同じ立ち位置でものを見、そして考えることができた。宏樹の隣には美月が、美月の隣には宏樹がずっと側にいた。いつしかふたりは理想の関係と呼ばれるようになっていった。


「じゃあ、本当にずっと一緒だったんだね」

「ええ、お互い何も言わずとも何をすべきかわかっている。そういう関係でした。それは多分、わかっていただけると思っています」

「うん。今だってそうだよね」

「ええ、今も変わりません。私はそういう宏樹さんを見て……」


 不意に顔を伏せる美月。しばらくして顔を上げるとその視線をあたしに向けた。


と感じました」

「え?」


 声のトーンが変わった。


「だって、そうではありませんか?何も言わずともお互い何をしてほしいのかわかる。なんてやりやすい。なんて利用しやすいのだろうと。私は女ですから、あまり出しゃばることをいい目で見ない人は今の時代でも意外と多いのです。そういった負荷は全て宏樹さんが、かぶってくれる。そして私はやりたいことを考え、宏樹さんが実行に移す。こんなやりやすい関係なんて他にありません。そうは思いませんか?」

「み、美月?」


 声が震える。今、あたしの前に居る倉橋美月は本当に、あの倉橋美月なんだろうか?


「そして今もその関係は続いている。これが全てです。やりやすいから側にいる。これが偽らざる私、倉橋美月です。幻滅しましたか?でもそうなのですから仕方ありません」


 そこまで言うと美月は静かに踵を返し、


「戻りましょう。皆が心配します」

「ち、ちょっと美月!」


 だめだよ美月。それは絶対だめだ。だって、そんなこと言ったって、美月、あんたさっきからずっと、


 ずっと震えて泣いてるじゃないか。


「ひかりさん」


 再び立ち止まり、振り返る美月。能面のような顔。もうあの微笑みはそこにはない。


「お願いです。もう、これ以上私たちの関係に立ち入らないでください」


 強い拒絶の言葉。あたしはもう、何も言えなかった。






 ――最低だ。

 

 洗面所の鏡に映った姿を見ながら心の中で吐き捨てるように呟く。

 

 なんて醜い。なんて汚い。こんなはずではなかった。

 

 こんな姿のどこに倉橋美月がある。ずっと維持してきたもの。それを壊してしまった。

 

 いや、壊してなんかいない。まだそのままだ。何が偽らざる私だ。嘘だらけではないか。臆病で狡猾で、みずぼらしく、そして汚い。もういっそ全て無しにしてしまいたい。


 どこで選択を間違ったのか。あの時だろうか、去年の誕生日、彼からあのぬいぐるみを受け取ったあの時から、あそこで受け取らなかったらこんなことにはならなかったのか。


 ――あのさ、美月。今日誕生日だろ?これプレゼントな。ちょっと安物なんだけどよかったら受け取って欲しい。その……いつもありがとう。


 ズキリと胸がうずく。そう、最初は本当にやりやすい奴だと思っていたはずだ。一緒にいてもいい、とても負荷のかからない関係。だから倉橋美月はそれを承認し、彼を受け入れた。だから一緒にいてもよかったはずだ。でも今は――


 もう嫌だ。もう何もわからない。誰か助けてほしい。

 その時、トイレの奥でふふふと笑う声が聞こえた。


「―――?」


 トイレの奥に目を向けるとそこには長谷川椎子が居た。長谷川椎子は携帯電話の画面を見ながら何かをブツブツ呟いている。それは誰の目から見ても明らかに異常な光景だ。


「椎子さん?」


 問いかけるが椎子は答えない。こちらを見ようともしない。


 長谷川椎子の携帯電話から新たな着信音が流れる。それは携帯メールの着信音だった。そして再びブツブツと何かを語りだす。携帯電話の中の人物に語りかけるように……


 電子人間

 文字を介したコミュニケーション

 空気中を漂う電子の流れ

 幽霊


 兄、陽一郎の言葉がフラッシュバックする。


「椎子さん!」


 すぐさま駆け寄り、携帯を持つ手を取った。


 何故こんな簡単なことに気が付かなかったのか。コミュニケーションの手段は何もチャットだけとは限らない。


「その電話を離しなさい。今すぐ!」


 ようやく長谷川椎子がこちら見た。抑揚のない虚ろな瞳。


 ゾクリと、背中に悪寒が走った。


 次の瞬間、強い力でトイレの壁に叩きつけられ身動きが取れなくなった。長谷川椎子の身体から出る不可視の「力」が体を圧迫する。そして、伝わってくるのは、冷たい感情。妬み、怒り、憎悪……何てことだろう。こんなにもこの子は……


 ギリギリと、壁際に押さえつけられて身体が動かない。声も出せない。身体から徐々に力が抜けていく。


 不意に身体を圧迫していた「力」が消えうせ、その場に崩れ落ちた。


 遠ざかる意識、そして自分の横を悠然と歩いていく長谷川椎子の足……


 ――ひかりさんたちに連絡をしないと……


 そう思いながら、意識は暗い闇の中に沈んでいった。






「やはり、こうなってしまったか。何とも儘ならないものだな……」


 夜の帳があたりを支配し始めた時のこと。

 霧崎有希子はと再び対峙していた。


 は有希子に目を向ける。胡乱な瞳。もう、簡単にはいかないだろう。


「単純な憑き物……というわけでもなさそうだな。だが、先天的なものでもない。だとすると考えられる原因はやはり……」


 何が起こっているかを正確に理解できているわけではない。だがこうなってしまった以上やることは決まっている。そう。不本意だが、それが最もシンプルで効果的な解決法だ。


 瞳の色が変わっていく。淡い紫色の瞳。それは古くから連綿と受け継がれてきたもの。古く歪んだ神代の力。鬼の証し。そして神奈備の証し。

 

 気分が僅かに高揚する。


「神無、少し時間を稼ぐ。あたしに出来るのはそこまでだ。後は――」


 闇夜を駆ける。その手には光り輝くひと振りの剣。


「後はあの子たち次第!」


 月の光が夜闇を照らす中、再び人外の力が激突する。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る