痛瑕儀礼
第8話
文化祭初日はよく晴れ渡った一日となった。
入学時には桜色に染まった学校へと続く並木通りは、今やすっかり秋モードだ。
あの初々しかった春の装いはなりを潜め、色づき始めた桜の木々が、どこか落ち着いた大人の雰囲気を漂わせている。何だか自分まで大人になった気分になる。
道行く人の顔ぶれもいつもとは異なり、子供連れの家族や他校の生徒など様々だ。皆、楽しそうに話しながら、煌びやかに飾られた校門をくぐっていく。
天野坂の文化祭は、10月下旬の土曜日、日曜日の二日間に渡って開催されるちょっとした街の風物詩だ。開催期間中、学校は一般にも開放され、毎年多くの人が訪れるのだが、今は誰もが入れるというわけではない。入るには入場券が必要となっており、予め関係者や家族からそれをもらっておく必要がある。
どうも過去に変な人間が入り込んだ為にこうなったらしい。それでも毎年強行突破を試みる不届き者も居るらしく、校門では生徒会の人間と教師が目を光らせている。
あたしは兄貴と有希子さんに入場券を渡した。有希子さんは普段、市内の高校の物理の教師をしているらしく、土曜日は都合がつかないとのことだった。日曜日なら来れるらしい。兄貴は知らない。中学の時からこういった催しに来たためしがないので多分来ないだろう。
文化祭初日。1Aの喫茶店は意外にもかなり繁盛していた。恐らく、ちひろが事前にビラを配りまくっていた影響だろう。店内は飾り付けも含めてかなり落ち着いた雰囲気を漂わせているのだが、何だかところどころ妙だ。
ちひろがこれ幸いにと、制服ではなくチャイナ服みたいなのを着ているのはいいとしても、何でわざわざメイド服とか着ている子がいるのか意味がわからない。「うちにあったからもってきた~」とか言うのが数人。
何で持ってるのさ。そんなもん。というか、これ方向性ちょっと間違ってないか?まぁ、あたしが言えた義理じゃないけど……
うう、めっちゃイヤなんですけどこの格好……
大人の気分は何処へやら、あたしが身に着けているのはお馴染みのネコミミセットだ。これに着替えた途端、クラスの女子とかにもみくちゃにされて携帯で写真取られまくりましたけど、あれの肖像権とかどうなってるんだろう?
うう、あたしもう帰りたいです。
とはいえ、この喫茶店の繁盛の原因は、誰が何と言おうと、間違いなくあっちです。
あたしの視線の先には人だかり。そこには大正時代の女学生姿のようなハイカラさん姿で給仕をする美月の姿があり、周りには男女問わず様々な人間が群がっている。
はっきり言おう。アレ目当てで来る客は間違いなく全体の半数を超えています。
ちひろがここに来て出してきた秘密兵器がアレ。美月は最初躊躇っていたが、渋々承諾し、そして今に至る。自業自得だ。ざまぁ見ろ……と言いたいところだけど、あれ本気で似合ってます。あたしも思わず写真を撮ってしまいました。ちひろ、マジでグッドジョブです!
とか思ってるうちに午前の部終了。かなり疲れた。あたしは女子更衣室に戻り、
「ひー坊おつかれ!」
途端に抱きつかれた。もうどうにでもしてくれ。
「いやいや、狙い通り繁盛してますね。私、天才かも!」
「ほとんど美月のおかげだろ」
「え~、そんなことないよ。だってひ―坊目当てで来てる人たちだって沢山いたじゃん。こんなに可愛いのに自信持ちなよ。ウリウリ」
あ~、もう離れろこいつ。暑苦しい!
頬ずりをし始めたちひろから離れる。全く、こいつはいつもこうだ。
「でも良かったよ。元気そうで」
「え?」
「だって、何かさ、最近ひ―坊、元気ないじゃん。どうしたのか知らないけどさ。よかったら話してくれるとおねーさん嬉しいんだけどね」
意外だった。傍若無人のような振りをしていてこういうところは鋭いんだなこいつ。
「まぁ、ひ―坊の気が向いたらでいいからさ。その時話しなよ。私はいつでもひ―坊の味方。うん。可愛いのは正義。だからどーんと胸に飛び込んできなさい」
「うん。有難うちひろ」
いや、はっきり言ってちょっとジーンと来ました。こいつに感動させられるなんて思いもよらなかったよ――!?
あたしは再びガバリと抱きしめられる。
「くぅー、やっぱりひ―坊かわいー!だから好きさ!マジでお持ち帰りしたい!」
前言撤回。やっぱりこいつ単なる馬鹿です。
でも――少し楽になったよ。サンキュちひろ。
さて、順調な出足にも見えた喫茶店だったが、午後になると客足が鈍った。演劇部の上演や、前々から評判だった映像研究会の映画上映などメインの催しが相次いだからだ。
更に言うと、客足が遠のいた原因はそれだけではなくて、人気NO.1の倉橋美月が、午後からは所属する華道部の催しに参加する為まるまる居なくなったことが一番大きい。
「美月姉さん、華道部に断って明日は一日居ること出来ないんですか?」
「無茶なことを仰らないでください」
申し訳なさそうに目を伏せる美月。そりゃ、美月だって文化祭を楽しみたいだろうし、華道部だって倉橋美月が居ないと困るってもんだろう。午後にちょっとだけ覗いてみたところ、美月の実演の時にはやっぱり人だかりが出来ていた。大したものだよ。全く……
「あたしも明日は午後から結構空けるつもりなんだが……」
「なんと、それは由々しき事態!」
「美月。明日は午前中にしてもらうということは出来ないのか?」
「無理を言わせて頂ければ出来なくもないとは思うのですが……」
とりあえず頼んでみてくれと、宏樹の言葉に美月は頷き、携帯電話を手に取った。
しばらくの間、会話が続く。やがて美月は電話を切ると軽く微笑んだ。OKらしい。
さて、何でこんなことが問題になっているかというと、明日の午後、実は生徒会主催でプロのバンドの演奏が入ることになっているわけで、ちひろは是が非でもそれに対抗したいとかわめいているわけだ。
普通無理だろそんなの?
「あたしはまぁどっちでもいいけどね。どうせ午後には有希子さん来るんだし、一緒に回ろうと思ってたからバンドでも見てくるかな」
「だらしないぞ。それでも1Aを代表するマスコットキャラか?」
知らん。あたしはそんなものになった覚えはない!
「よし、それで行こう」
と、その時宏樹の声。
「それ?」とあたし。
「ああこれか」とちひろ。
そしてあたしを見る。
それ?それって何?どういうこと?
翌日――つまり文化祭二日目は、冷たい雨の中で幕を開けた。
夜半過ぎから降り始めた雨は、シトシトと断続的に降り続き、このところの晴天続きで乾ききった大地に潤いをもたらしていく。忘れかけていた秋の到来を思わせるような肌寒い一日となった。
ただ雨と言っても、大げさなものではなく、朝には細々とした小雨がパラつく程度のものになっており、予報では午後には止むとのこと。心配された野外での催し物への影響は殆どなさそうだ。本日の午後にはビッグイベントが待っている。中止ははっきり言って痛い。
そしてその日の午前中。
あたしは校内巡回の旅に出ていた。
1A公認のマスコットキャラの使命として客引きを命じる。
そう言って宏樹が用意したのは、校内地図と巡回路。これを1時間くらい客引きしながら回ってくること。それがあたしに与えられた仕事だった。
「いーやーだー」
とあたしは断固拒否したわけだが、問答無用で却下。あたしは例のネコミミメイド姿で客引きをする羽目に……とほほ。もうお日さまの下を歩けません。
ただ、地図を見ると何処で何をやっているのか結構細かく書いてあって、見ようによってはパンフレットよりもちょっとだけ詳しいイベントマップにもなる。書き込まれた綺麗な文字は多分美月のものだ。催し物に対するちょっとした評価まで書かれている。
あたしの脳裡に、パンフレットを片手に文化祭を回る美月の姿が浮かんだ。細かい部分は昨日の午後を利用して調べたのだろう。華道部の催しがあったとはいえ、どうりで遅くまで戻ってこなかったわけだ。
昨日はバタバタしていたせいもあって、殆ど見て回ることが出来なかった。午後から有希子さんを案内することになっているのでこれは助かる。
何だかんだ言って本当に頼りになる。あたしはふたりに感謝した。やっぱりあのふたりは本当に凄い。あたしには過ぎた友人だよ。
「ひかりちゃんか。今、校門のところに居る。オーケー待ってればいいんだな」
正午過ぎ、有希子さんから電話を受けて、あたしは教室を後にした。
校門のところまで行くと有希子さんが手を振っているのが見えた。
「やぁひかりちゃん。早かったな」
「うん。有希子さん目立つからね。すぐわかったよ」
「それにしても、やけに厳重な警備だが、いつから学校は監獄になったんだ?私が子供の頃はもう少し一般の人も自由に出入りできたぞ。いいのやら悪いのやら……」
苦笑しつつ周りを見る。そして、視線をあたしの方に移すとジロジロと見始めた。
「……ふむ、別に普通の格好に見えるのだが、その服装の何が特別なんだ?」
「は?何の事?」
「いや、あのちひろとか言う子から連絡があってな。ひかりちゃんが特別な衣装を着て迎えに行くからちゃんと見てやってくれと言っていた。私には普通の制服に見えるんだが?」
あ、あのやろー、なんてことを……ちなみにあたしは当然ここに来る前に着替えている。
「何か特別な格好でもあるのか?ぜひ見てみたいんだが」
悪魔のような微笑み。この人絶対わかって言ってるな。くそー
「見てみたいな~」
「―――――」
30分くらい後のこと。
「あはははははははは」
魔女っ子姿のあたしに容赦なく思いっきり笑い転げる有希子さん。
もう、穴があったら入りたいですあたし……
「いや、開放的で結構。ふむ、『萌え』は現代のスパイスか。いや、実に似合っている。あの子は天才だな。これはいい。実にいい。君は普段からその姿の方がいいかも知れんぞ」
「じ、冗談じゃないよ!」
「いや冗談じゃないぞ。服装もまた人を彩る表象のひとつだ。自分にあった服装を見つけることもひとつの楽しみ。勿論、限度はあるが、常識にとらわれない発想も時には必要だ」
これ、絶対限度超えてると思うんですけど……
あ、今笑いましたね。やっぱりテキトーなこと言ってます。このひと。
「ではひかりちゃん。エスコートを頼むよ。案内してくれ」
あたしは魔女っ子姿で本日2回目の校内行脚を開始した。とほほ、何の修行なんだか……
「フム、少し考察が甘いな。だが、目の付けどころはいい。確かに素粒子の動きと人間の精神活動には似たところもある。なるほど、確かにうちの高校より優秀だ」
有希子さんは、ところどころで様々な展示物に興味を示し、立ち止まっては何かを呟いていた。あたしにはほとんどわからなかったが、この人にとって、様々なものすべてが興味の対象らしい。
しばらく歩いた後、あたしたちは校内のベンチに腰を下ろし休憩を取ることにした。
「ん?何やら中庭の方が騒がしいようだが」
「ああそう言えば、今日はプロのバンドを呼んでライブ演奏をさせるらしいよ。生徒会の誰かのツテで格安で招待できたって話だよ」
「ほう。演奏か、それもいいな。非常に活気がある」
本当に何でもいいらしい。
「さて、ひかりちゃん。私に話したいことがあるのだろう?そろそろ話してもいい頃合だと私は思うのだがどうだろう?」
ありゃ、すでにお見通しか。本当に何でもわかるんだなこの人。
ちひろには悪いけど、やっぱりクラスメイトにはこんなこと相談できない。信用しないわけじゃないけど、やっぱり良くないことだと思う。
あたしは美月と宏樹のことを有希子さんに話した。有希子さんは茶化すことなくじっとその話を聞いたあと、
「なるほど、確かにそれは友人としては放っておけない問題かもしれないな」
「でしょ?だけどどうしていいのかわからないんだ。だって、ずっとふたりはうまくいってるように見えるし、あたしだってあのふたりは今も理想のふたりだと思ってる。だから、あたしが何かを言うことでおかしくなっちゃうことが怖い」
「なら何もしなくいいのではないか?それでうまくいっているのだろう?」
「そ、それはそうだけど……」
やっぱり何か違うと思う。何だろう。このままじゃやっぱりおかしい。
「ふふ、君は本当に純真だな。結構、それもまた稀有な才能だ。なぁ、ひかりちゃん。この世の中は様々な関係でできていると思わないか?ひとつひとつが独立しているわけではなく、様々な関係の織物が絡み合って出来ている。そしてそれはとても緻密で、何かをすればすぐに壊れてしまう儚いガラス細工のようでもある。だから人は臆病になる。自分が動くことで何かが変わってしまうのではないか、ならばいっそ動かない方がいいのではないか。人生は不確定な選択肢の集まりだ。その中で人は通常、自分が確実と思う道を歩んでいく。だけどそれだけではどうにもならないことだってある。受け入れるか、覚悟を決めて立ち向かうか。その岐路はいつだって目の前に転がっているんだ」
「うん。何となくわかる」
「そうか、ならばもう言うことはない」
そして、あたしの頭に手を置く。
「頑張れ」
その言葉はとてもあたしの心に染みた。
「結構結構。青春しているな少年少女よ。大いに悩むがいいさ」
遠くでバンドの演奏の音が聞こえる。いつの間にかイベントが始まっていたようだった。
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