夏焼きパーチー
湖ノ上茶屋(コノウエサヤ)
第1話パクチーで人生を決めろ!
「生春巻き、嫌い」
そう言って、春野は頬を膨らませる。
「そんな、マジぴえん」
春野を見つめ、夏巻は笑った。
ベトナムの軽食、生春巻き。それを英語で言うならサマーロール、中国語で言うなら夏巻きである。
夏巻が「マジぴえん」などと返したのは、そんな別名ゆえだ。「生春巻き、嫌い」を、ふざけて「自分が嫌われた」こととして扱ったわけだ。
春野の話をよくよく聞けば、具材が好きだからと自分で生春巻きを作ろうとしたところ、ライスペーパーに嫌われて全然うまくできなかったと。それで大人げなく幼稚園児のように可愛らしく拗ねているらしい。
小麦粉製の皮の気分で扱うことのできないあのピラピラ。戻しすぎるとうまく巻けないだけではなく、食感が微妙になる。
反面、戻し足りないと割れてしまうという、なんとも難易度の高い代物なのだ。
スーパーにはあったり、なかったり。輸入食品店なんかに行けばたいてい置いてあるから、気になる方はぜひ一度、その手で戻してみてはいかがだろうか。
ちなみに、生春巻き以外にも、スープに入れたり、油で揚げたりと美味しくいただく方法はいろいろとある。
閑話休題。
生春巻きづくりに失敗したためにエスニック欲が満たされずむしゃくしゃしている春野に、オブラートならぬライスペーパーに包んで嫌いと言われた気がしなくもない夏巻が、ニヤリと笑って提案する。
「夏焼きパーティーしようよ」
夏焼きパーティーとはなんだ?と頭上にクエスチョンマークを浮かべた春野。
夏巻曰く、夏焼きはたこ焼きの親戚、らしい。
タコの代わりにエビ、その他生春巻きに使う具材を入れて、たこ焼き器で焼く。
ソースもマヨネーズも掛けることなく、スイートチリソースでいただきましょうときた。
夏巻きの具材を焼くから夏焼きという、なんの捻りもないネーミング。一通り話を聞いて、気づけばだらしなく開きっぱなしになっていた口を、春野は手を添え閉じる。
ネーミングはさておき、エスニックなそれには興味津々の春野。二人は次の土曜の夜、夏巻家にて盛大に夏焼きパーティーを開催することとなった。
†
さぁ、買い集めた材料の下拵えから始めよう。
豚ひき肉をフライパンで炒め、パラパラにして冷ましておく。
人参をしりしり器でしりしりーしたら、砂糖で揉んで置いておく。
サニーレタスとシソ、ニラ、パクチーを細かく切る。
エビはたこ焼き器の穴に入る程度に切っておこう。大きめだとテンションが上がるから――大きめに。
たこ焼き粉に卵と水、隠し味のナンプラーを入れてシャカシャカと混ぜ、用意していたエビ以外の具材をドンとぶち込む。
おっと、ふんわり食感の素、揚げ玉も入れておこうか。
あとはもう、焼くだけだ。
油を敷いて、生地を流したたこ焼き器の穴にもれなくエビを突っ込んで、コロコロクルクル焼いていく。
春野はタコパマスター。彼女に焼かせておけばまん丸のたこ焼き――ではなかった、夏焼きが大量生産されること間違いなし。
仮に写真を撮ったところでたこ焼きだとしか思われないだろう、けれどもエスニック臭がプンプンと漂う球体、第一陣が焼き上がる。
さっそく。
焼きたてをスイートチリソースの湖にとぷんとつけて、口に放り込む夏巻。
熱々のそれにヒーハー言いながら、けれど満面の笑みである。
猫舌春野は、球体を半分に割って、中の蒸気を逃がしてやる。
そこにスプーンでスイートチリソースを垂らし掛け、半分ずつ口に運んだ。
エビなしを先に食べ、エビありを後で。
エビ割合の高いそれを食べた瞬間の顔ったらもう、ガキンチョにケーキを食わせたときのそれである。
「夏焼きうま!」
「生春巻きよりイケるのでは!?」
「ちょい、追いパクチーしたい」
エスニック感マシマシで焼く、第二陣。
生春巻きより焼く手間はかかるだろうが、手軽なこれ。
ポイポイと口に運べるフォルムは、酒の肴にもちょうどいい。
進む、進む。
夏焼きと、酒。
春野はガンガン丸めていく。
夏巻はそれをドンドン食べていく。
「ちょい、私の分取っておいてよ?」
「もち。ってか、焼けてるやつ冷めちゃうから、オレ食べておくよ」
「違う違う、私が猫舌だって知ってるでしょ?冷めてるくらいがちょうどいいんだってば」
「ええー?舌火傷するくらいあっついのを食べると美味いのに……」
とはいえ価値観の押し付けはよろしくないと、夏巻はブーブー言いながらも冷ます用の夏焼きを取り分ける。
「そういえば、最近どうよ?」
「いいかんじー」
「例の件は?」
「いいかんじー」
はぐらかす春野。
お気づきかもしれないが、この二人、恋仲である。結婚しよう、いつする?レベルの深い仲。
夏巻は、春野がプロポーズされる準備を整えるのを、今か今かと待っている。
春野のこだわり、資格取得が未達成というのが、二人を婚姻届から遠ざける、唯一のハードルだ。
「次はいけそう?」
「どうかな?」
「いや、頑張ってよ」
「あいよ」
「ってかさ……」
夏巻、箸を止め神妙な面持ち。けれど春野は、目の前の球体の世話に夢中である。
「資格、取れてなくても別に良くない?」
「良くない」
「結婚してから取っても良くない?」
「良くない」
「オレと、結婚したくない?」
春野、焼きたてほやほや、ソースなしの一粒を鉄板から夏巻の口へと直行させた。
ヒーハーと舌の火傷を楽しむ夏巻を、睨みつけるようにして言う。
「私、割とロマンチストなんですってば」
資格取得を待ちきれないのは仕方がないにしても、このままプロポーズしてくるんじゃないぞ、という牽制である。
夏巻が今日、何かサプライズを仕掛けてくる可能性は低い。
準備をこっそりできない奴なのだ。だから、指輪やら花束などの必須アイテムが、いくらここが夏巻家だとしても、あるとは到底思えない。
百歩譲って取得前の結婚になるとしても、高層階の夜景がきれいなレストランで食事をしながらリングケースを差し出されるとか、海辺で花火を見上げながらとか。いつまでもキラキラと輝く思い出となるようなシチュエーションでないと、春野は嫌なのだ。
今じゃない、今じゃ。
「えー、じゃあどうしたらいいのさ」
頭をポリポリ掻きながら、熱さに負けた舌を酒で冷やす夏巻。閃いた、とすっくと立ちあがれば、ステップを踏むように軽い足取りでキッチンへ向かう。
草束を掴んで戻るなり、球体の外側をカリッとさせるべく転がし続ける春野に言う。
「結婚してください!」
手を止め、片膝立ちで草束を差し出す夏巻を見つめる春野。ひとつ大きくため息をついて叫んだ。
「パクチー差し出してプロポーズするバカがいるか!」
エスニックプロポーズは、話のネタとしては釣りで言うところの餌。
春野は愚痴のつもりで友人知人に件の話をしたのだが、みんな揃ってゲラゲラ笑いながらおめでとうと手を叩く。
誰か慰めてくれないかと、手当たり次第に話したせいで、今度は引くにも引けなくなった。
そんなこんなでロマンチスト春野はパクチー夏巻と晴れて夫婦に。
婚姻届提出の後になってしまったが無事に資格を取得して、心に空に、雲一つなく執り行う結婚式。
振る舞われる料理にはふんだんにパクチーが盛られて、パクチー嫌いの参列者は涙を流す。
大丈夫、パクチーのせいで泣いたようには見えていない。
そうだ、パクチーのせいなんかじゃない。
これは――祝福の涙だ。
放るブーケにまでパクチーを仕込んだのはさすがにやりすぎか。
けれど、咲いた咲いた。笑顔は満開だ。
†
妻の誕生日にはきちんとロマンチックなことをするけれど、プロポーズのひどさを忘れないようにと、仲良し夫婦の結婚記念日のディナーは毎年夏焼きだ。
今年は三人でたこ焼き器を囲む。
もっとも、新入りさんは食べられないが。
泣き声響く、リビング。
泣いている理由は、パクチーの香りのせい?
いや、きっと――オムツかな?
夏焼きパーチー 湖ノ上茶屋(コノウエサヤ) @konoue_saya
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