お揃い

 雨にぬれ帰った日から、もう1週間以上経ってる。

 俺も笹森さんも、妹も爽やかくんも、風邪を引かなかった。

 妹達も遅くまで学校に居残りしていた理由が、勉強だったのには驚いたが。妹に付き合ってくれた爽やかくんには感謝しかない。あいつの歴史の覚え方、むちゃくちゃだからな。

 あとなぜか、稲田と杉崎さんが風邪を引いて休んだ。雨が降る前に帰ったはずなのに、気の毒するぎる。


「さて、やるぞ」


 そして俺は今、自室の机の上に広げたTシャツと対峙していた。


 まさか『今、成長中』の『、』が小さなハートだったとは、気付かなかった。そこまで笹森さんの胸、直視できるはずもないしな。


 あの時のやましい気持ちを思い出しそうになり、頭を振ってやり過ごす。

 そして改めて、笹森さんのお願いを思い浮かべる。


『私達もお揃いにしない?』


 最初、言っている意味がわからなかった。

 でも笹森さんが指差すのは、Tシャツの文字。


『じ、実は、その、弟が名前書いてたの見て、わ、私も、書いちゃったの……』


 可愛すぎんだろ!!!


 危うく叫びそうになり、極細の油性ペンを握りながら、奥歯を噛みしめる。


 落ち着け俺。今、荒ぶってはいけない。

 しかし笹森さん、よくこれ書いたな。


 俺の助言通り、妹はTシャツに名前を書く事を爽やかくんにもすぐ伝えていた。それが笹森さんの目に止まった結果がこれだ。

 Tシャツのすべてをお揃いにするために、スマホの画面を見つめる。

 そこには小さなハートの周りに、『谷川くんへの気持ち』と書いてある写真が映し出されている。


 これで『今、谷川くんへの気持ち、成長中』と読んでほしい、との事だ。


『ハートだからね。その、そういう気持ち、だからね!』


 嬉しすぎる!!

 漫画も引かれなかったし、むしろこんなに想ってくれてる事がわかって、幸せすぎる!!!


 言いながら顔を真っ赤にする笹森さんも思い出して、反射的に机を叩く。


 だめだ!

 落ち着け、落ち着け……。


 大好きな人の想いに応えたい。だから今からは、集中しなければならない。

 指先ほどの大きさのハート。その周りに、『笹森さんへの気持ち』と書かなければ、完全なお揃いにはならないからな。


 試し書き……、よし。あんまりゆっくり書いてもにじむから、普通に書くぞ。普通に。


 今まで生きてきた中で、これ以上ない集中をする。


 俺は器用だ。だから大丈夫。


 深呼吸して、書き始める。丁寧に、でもすらすらと。


 よし。順調だ。


 そして『笹森さん』まで書き終わった時、悲劇は起きた。


「おっにいー!」

「うぉっ!!」


 バタン! とドアが開き、妹の明るい声が部屋に響き渡る。

 そして俺の手元は、大変な事になった。


「あぁぁあああーーー!!!」

「ど、どしたの!?」


 驚きたいのはこっちだ!!


 思わず叫べば、妹の慌てた声がすぐ後ろから聞こえた。だからノックしろってあれほど言っただろうがっ!! と、吠えたいが、とにかく目の前の緊急事態をどうにかせねば!


 笹森さんまでは書けたが、『ん』の終わりがクルンとしすぎてる。これ、女子が書いたなら可愛い。でも俺は男で、別に可愛さなんて必要ない。

 ってか、俺の文字を可愛くしてどーする!!


「あっ! なにこの字、可愛いっ! お義姉さんに愛込めてたんだ!」


 うるせーーー!!


 頭を抱える俺の耳元で、妹がきゃっきゃしている。愛、込めたさ。でもな、お前のせいで台無しなんだよ!!

 とは言えず、とりあえず目を閉じて深呼吸。1回じゃ足りない。3回ぐらいしとく。


「あのな、見てわかっただろ。だから邪魔しないでくれ。それでなくともお前が勝手に部屋に入ってきて驚いて、ここ、ミスった」

「ん? これ、ミスなの?」

「どっからどう見ても、ミスだろ?」

「えっ。ハートでも描こうとしてんのかと思った」

「ハート?」

「あっ! ミスならハートにしちゃいなよ!」


 これ、ハートにしたら誤魔化せるのか?


 妹の提案は、俺の心を激しく揺さぶる。


 いけるのか?

 でもこれ失敗したら、もっと酷くなるぞ?


 どうするか悩む俺の手から、妹が油性ペンをもぎ取る。


「あたしにまっかせなさーい!」

「させるかーー!!」


 いやもう、自分以外誰も信じられん!

 これは俺がやり切る!!


 これでまた妹がなにかやらかしたら、俺はきっといつものお兄ちゃんではいられなくなる。だから素早く、妹から油性ペンを取り戻す。


「えー! おにい、ハートとか描けるの?」

「それぐらい描けるわ!」


 やってやる!


 妹の言葉で気合いが入り、ものすごく小さなハートを描き切る事ができた。


「おー! やるね、おにい!」

「まあな」

「残りの文字も書く?」

「この勢いで書く! ってかお前、なにしに来たの?」


 無事、ミスをカバーできた俺は上機嫌のまま、妹に質問した。


「それ、書き終わってからでいいよ」

「おう」


 妹が我慢を覚えた。


 自分の用件を最優先する妹のまさかの成長に、思わず胸が熱くなる。


 少しずつ大人になってんだな。

 でもな、見すぎ。見すぎだから!


 まるでご飯を待てされている犬のように、妹が俺の机の横にしゃがんで、手元をじっと見てる。楽しいのか、これは?

 ある意味拷問に近い事から逃れる為、俺は慎重に最後まで書き切った。急いだらまたミスするだけだからな。

 そして息を吐き、油性ペンにフタをする。


「あのねあのね、これ見て見て!!」

「はいはい。お待た、せ?」


 思わず頭を撫でたくなったが、妹が俺に向けてきたスマホの画面には、いろんなTシャツの写真がひしめいている。


 なにこれ、たくさんありすぎて怖いんだけど。


 これはなんだ? という風に妹を見れば、へへっと笑い出した。


「これ、あたしのクラスみんなの寄せ書きTシャツの写真! 待ち受けにするために作ったんだよ! すごくない!?」

「お、おう。すげーわ。情熱は伝わった」

「でしょ!?」


 小さすぎて、よく見なきゃ判別できねーけどな。


 よっぽど嬉しかったであろう妹の気持ちに水を差す気はない。だから「大切にしろよ」とだけ伝える。


「じゃ! そういう事で!」

「用事、これだけか?」

「うん! これで心置きなく、勉強に励める!」

「おー。お互い頑張ろうなー」


 爽やかくんと一緒に頑張ってるみたいだし、俺の出る幕はないな。


 部屋から出て行く妹の背中を見送りながら、これからは妹の歴史の勉強に付き合わなくていいという解放感に浸る。


 あ。書けたって、送っとくか。


 自分のやり終えた事を笹森さんに伝える為、写真を撮る。やっぱり付け足したハートは気になる。だから理由は正直に書いた。

 しばらくして笹森さんからメッセが届いて、俺の口からは変な声が出た。


『これでお揃いだね』


 どーしよ。大好きすぎる。


 添付されていた写真の『谷川くん』の『ん』にも、ハートがちょこんとくっついている。

 今はまだ始まってもいない俺達のお付き合いだけど、笹森さんとならどんな事でも乗り越えられる。そんな気持ちになった。

 だから俺は、笹森さんの事をもっと好きになれた梅雨に感謝した。

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