今だから出来る事

「びしゃびしゃ! 谷川くん、大丈夫?」

「俺は気にしなくていいよ。笹森さんの方が心配なんだけど。冷えるだろ?」


 駅に着いて、ぬれた顔を拭く。俺は毛先だけだが、笹森さんの長い髪からは水が滴っている。


「平気! 頑張って走ったから、暑くて! ちょうどいいよ」

「そう? 電車の中、寒くなきゃいいな」


 ほんのり頬を染めた笹森さんが、嘘を言っているようには思えない。そんな彼女が少しだけ身を屈めて毛先を絞り、タオルで拭く。


 なんか、こういうの、目のやり場に困る。


 今さらだが、雨にぬれた女子の破壊力はすさまじい。可愛いだけじゃなくて、なんか綺麗。これが色気ってやつなのか?

 漫画とかだとお約束のように下着が透けたりするが、現実は透けない。妹が言っていたが、透けにくい白シャツがあるそうだ。その下にはTシャツも装備している。

 なのに俺の目は、ある言葉をとらえた。


 今、成長中?


 ちょっと小さくて読みにくいが、笹森さんが着ているであろうTシャツの文字が、雨で胸元に張り付く白シャツに浮かんでる。しかも場所が場所なだけに、そこまでじっくり見る事ができない。


 えーっと、成長中とは、成長させてますという事、ですよね?


 目を逸らしながら、笹森さんが拭き終わるの待つ。その間に、俺は考え続ける。


 あれだろ。心と身体を成長させてんだろ。

 いやでも、場所が場所なだけに、その場所を成長させているという事では?

 いやいやいや! 落ち着け俺!

 そんな深い意味なんてないだろ。なんかそういう気分だったんだろうな、梅雨だし。それに俺は成長させてあげる事はできないし、じゃねーわ!!


 意識すればするほど、余計な考えが生まれる。そんな俺の前に回り込むのは、なにも知らない笹森さん。


「今日、もしかして急いでる?」

「な、なんで?」

「ずっと改札の向こう側見てるなーって、思って」

「や、その、稲田達、いるかなと思って!」


 上目遣いな笹森さんよりも、Tシャツの文字に目が行きそうになる。それを誤魔化すために、声が大きくなった。


「一緒に帰ればよかったね」


 ほんの少しだけ、寂しげな顔をした笹森さんを見逃すはずもなく、俺の胸はちくりと痛んだ。


「いや、今いたら一緒に帰ろうと思っただけで――」


 さっきから俺達と同じように、雨に降られた人が水を払ったり、畳んだ傘をバサバサと振る音が続く。

 だからそれらの音に紛れ込むように、思い切って俺の言葉を伝えた。


「笹森さんと2人っきりの時間が続くのは、嬉しいよ」


 タイミング悪く、雨以外の音が途切れた。それが余計に俺の言葉を強調させたように思えて、恥ずかしさが込み上げてくる。

 でも、目の前の笹森さんの表情が、ゆっくりと変わった。まるでホワイトデーの、俺がプレゼントをあげた時みたいな、可愛すぎる赤い顔に。


「……一緒の気持ちで、嬉しい」


 笹森さんの小さな口から、雨音に消されてしまいそうな声がする。でも、俺の耳にはちゃんと届いた。


 付き合ってからも、今みたいな関係でいられたらいいな。


 彼氏彼女っていうのは、正直、よくわからん。友達よりも一歩踏み込んだ関係になれるのは嬉しい。でも、友達だった時の心地良い関係は壊したくない。これは俺のわがままなんだろうか?

 今は答えなんてわからない。すべては付き合ってからわかる。だからごちゃごちゃ考えず、めちゃくちゃ可愛い顔で笑ってる笹森さんだけ見ておく。


「あー! おにい! お義姉さんも!」


 なのに、この大切な時間をぶち壊す声がする。


「あっ! 大丈夫、2人とも!?」


 先に反応したの笹森さん。俺も横を向けば、妹と爽やかくんが土砂降りの中を走ってきた。


「カバンとか、傘代わりしとけばよかっただろ? 風邪引くぞ」

「ここまで降ってるなら意味ないっしょ! だから自然と戯れてきたんだー!」


 俺も声をかければ、妹がさも当然とばかりに笑い出す。


「いやお前、爽やかくん巻き込んでんじゃん」

「いいんですよ。谷川さん、水の妖精みたいで可愛かったですし」


 まじかよ。


 爽やかくんの愛が重いのは知っている。だが、どこをどう見たら『水の妖精』なんて言葉が出てくるのか、俺にはわからない。

 そんな爽やかくんは水も滴るいい男すぎて、ドラマのワンシーンでも見ている気分になる。

 しかし、彼の着ているTシャツが、すべてを台無しにしている。


 妹とお揃いだったはずが、どうしてこうなった?


 妹と爽やかくんがタオルで顔を拭く中、笹森さんと楽しそうに話している。けれど俺は、爽やかくんのTシャツの文字を追い続けた。


『谷川さんひとすじ!』

『2人はうちらの推しだから! みんな、邪魔せんといて!』

『この男、もう将来決めちゃってるんで』


 これ、寄せ書きか?


 この前妹から見せられたTシャツは、『売約済』の文字だけだった。しかし今や見る影もなく、至る所に手書きだらけ。


「どうかしましたか?」

「いや、これ、すごくない?」

「あはは。なんか今日、クラスのみんなで書き合っちゃって、こうなりました。大切にしたいから、これはもう着ずに保管です」

「そうそう! クラスのみんなのTシャツにも、今だけの言葉、書き合ったんだよ! だから体育が終わった後もしばらく着替えてなくて、先生に怒られちゃった。でもでも、事情話したら『思い切りやれ』って、許してくれたんだー!」


 俺の視線に気付いた爽やかくんが真相を教えてくれれば、妹が補足してくる。妹達のクラスメイトもだが、うちの学校は先生もノリが良すぎる。生徒の事をわかってくれるのは、いいよな。


「すっごい楽しそう! みんな、仲良いんだね」

「どの子も面白くて優しくて、この高校に決めてよかったです!」


 笹森さんも、自分の事のように嬉しそうな顔になってる。そんな彼女へ、妹が屈託なく笑った。

 そして、この話の流れだからこその提案をしてくる。


「お義姉さんもやってみます? 楽しいですよ!」

「えっ!? えーっと、それは……」

「楽しいのはわかるが、人それぞれだ」


 明らかに妹の提案に戸惑う笹森さんのフォローをすかさずすれば、彼女が俺を見上げてきた。


「あ、あのね、谷川くんだけに、お願いがあるの」


 赤い顔をしてはいるが、声はしっかりとしている。そんな笹森さんのお願いに、今度は俺が赤くなる番だった。

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