梅雨

センチメンタル

 毎年思うが、夏じゃないのに暑すぎる。いつかこの暑さに耐えられなくなる日が来るんじゃないか? その時、人間はどんな進化を遂げるんだろうな。


 教室の窓から外を見れば、雨を降らせる為だけに集まった雲が目に入る。


 うむ。

 梅雨とは、人の心の深いところを感じさせる季節なのだろう。なんてな。


 賢そうな言葉を浮かべて満足しかけたが、現実から目を逸らしてはいない。なぜなら、試験前だから。


 このままだとまずい。

 しかし、しかしだ。

 笹森さんが漫画を返してくれないのが気になってしかたがない!!


 心の中で叫んだところで伝わるはずもなく、悶々とした気持ちで黒板を眺める。


『あの漫画ね、しばらく借りたままでもいい? あっ! ちゃんと返すから。それだけは絶対に約束するから』


 貸したままなのはいい。でもよくない。

 いや、いいのか? もしかして笹森さん、ああいうのが好きなのか?


 ゴールデンウィーク中、妹がよかれと思って『おにいのイチオシだよ!』と、笹森さんへ勝手に貸した俺の漫画。

 タイトルは、『たとえ世界が壊れても、君だけは守り抜く』、だ。

 内容は、ウイルスに汚染された世界で生き残る人々の終末を描いてる。で、主人公の男がウイルスに感染してしまった幼なじみを助ける為に奮闘する話だな、簡単に言えば。

 あとで主人公が抗体持ってる人間ってわかる。まぁ、ありがちなパターンだけれども。それが他にもいて、なんならそいつと大人な関係を持つとウイルスが弱まるとか、あとはウイルスに感染した人間に対する仕打ちが酷い。そんな感じで、エロもグロも混ざってるけど、ついつい読んでしまう。


 続きが気になって、一気に読みたくなるんだよな。

 でも結構、やばい事も描いてある。

 うーん。うちの妹も読んでるし、気にしすぎか?


 谷川くんってそんな人なの? みたいな引かれ方はしてなかった。たぶん。いや、そうだと思いたい。なんて、真剣に考えていたら、授業が終わってしまった。


 やべっ!

 と、とにかく、黒板だけでも!


 消される前に急いで書き写す俺の視界に、稲田が割り込んできた。


「どした? そんな焦って」

「焦ってんのわかってんならどいてくれ」

「ごめんごめん。でもさ、帰り、ちょっと時間くれる?」

「……お、おう」


 いつもの稲田らしくない真剣な顔に、俺は戸惑いながらも頷いた。


 ***


 なにか話したい事でもあったのかと思ったんだが、違ったか?


 雨が降り出しそうな中、いつもと変わらない稲田と、普通の話をしながら歩き続ける。

 しかし急に、稲田の足が遅くなった。


「そういやさ、なんかあった?」

「ん?」

「最近もだけど、今日は特におかしいからさ」

「おかしい?」


 稲田からの質問の意味がわからず、俺の足もつられて遅くなる。


「悩みでもあんのかと思って」


 あ。俺の事、だったんだ。


 稲田の悩み事を聞く気でいた俺は、まさか自分が心配されてるとは思わず、返事に困る。


 稲田、やっぱり良い奴すぎる。


 なんだか自分の悩みが馬鹿らしくなって、笑えてきた。


「谷川、そんな急に笑い出すなんて、なにがあったんだよ?」

「いや、俺さ、本人に聞けばいいだけの事、ずっと悩んでたんだ。今、稲田に心配されて、なんか吹っ切れた」

「まじ? 俺の存在、すごくない?」


 にやつく稲田の肩を、俺は笑いながら腕で軽く押す。


「いつもありがとな」


 照れくさいけど、稲田とはずっと友達でいたい。だから、伝えなきゃならない事はちゃんと伝えておく。その辺りしっかりしとかなきゃ、こんな良い奴の友達として、胸を張れないからな。


 俺も稲田みたく、周りの人間を気遣える奴になりたい。


 人として成長したい。やっぱりこんな事を考えるのは、梅雨だからかもしれない。太陽が隠れて、雲だらけで、なんか静かで。だから、いろんな事を考える時間が増える。

 目標が稲田っていうのもどうなのか? とも思うが、それぐらいの奴が友達にいる事が嬉しくなった。


「礼ならいらねーぜ! とか言いたいんだけどさ、ちょっち質問に答えてほしいんだよね」

「ん? 改まってなんだ?」


 ゆっくり歩きながら、稲田が真面目な顔になった。

 だから俺も、笑いを引っ込める。


「漫画のさ、たとえ世界が壊れても、ってあるじゃん? あれ、谷川は誰推し?」

「なんだよ急に」

「いいじゃん。教えて!」


 ずっと悩み続けた漫画の事を言われ、ちょっと驚いた。稲田、もしかして推しができたのか? 普通におもしろ! とかだけで、誰が、とか言ってるのは聞いた事がない。

 まぁ誰でもいいが、俺は推しなんていない。

 いや、言い方が悪いな。それぞれ良い所があるから、みんな応援したくなる。


「選べないな。ほら、なんかみんな一生懸命だし、それぞれかっこいいっつーか」

「わかる。めっちゃわかる。じゃあさ、強いて言えば?」

「うーん……。幼なじみ、かな」

「あー、わかる。それは」


 主人公ががむしゃらに頑張る理由。それは幼なじみ。そりゃ昔から知ってるから、好きだから、助けたいって気持ちはわかる。

 でも、この幼なじみはただ助けてもらうだけじゃない。一緒に頑張るんだ。主人公と生きる為に。ウイルスの症状が進行する中、それを悟らせない強さもある。でもその事実を、主人公も知ってんだよな。

 だから、ラストは泣いた。2人の絆が尊すぎて。


 思わず漫画の余韻に浸ってしまい、無言になってしまった。そんな俺へ、稲田がさらに質問してくる。


「どのシーンが1番好き?」

「そりゃラストだろ」

「だよな! あれ、いいよな!」


 迷いなく俺が答えれば、稲田も同意見だったようでいい顔で笑ってる。


「稲田の推しは幼なじみなのか?」

「いや、違うけど?」

「えっ。じゃあこの質問、なんなんだ?」

「いやー、俺の推しの為、なんだよなー」

「は?」


 なんだかよくわからないが、稲田はそれ以上なにも教えてくれず、ただニヤニヤしていた。

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