爽やかくん

 失恋が確定した夜。

 俺はベッドに寝転んで、スマホを適当にその辺へ転がす。

 話したい事があるからと、さっき笹森さんに連絡した。それは彼女も同じだったようで、『大切な話だから直接したい』と言われてしまった。


 顔見て話すの、きついな……。


 時間が経ったからだろうが、フラれる場面を何度も想像して涙が出そうになる。そんな俺の事なんて知りもしない妹が、いつも通り勝手に部屋の中へ入ってきた。


「おにい! 明日の放課後、教室にいて!」

「……お前さ、いきなりなんなの?」

「ふっふっふっ」


 今はほっといてくれよ……。


 もう会話する気力すらないのに、元気な妹の相手は無理だ。それが伝わるように、寝転んだまま会話を続ける。


「疲れてるから、寝かせてくれ」

「そうなの? でも明日の放課後、おにいは自分の教室にいてね」

「なんで?」

「爽やかくん、紹介するから!」


 爽やかくんをわざわざ2年の教室に連れてくるのか……。

 ん? いや、これは使えるな。


 明日、笹森さんにも残ってもらって、爽やかくんと妹の姿を見せる。そうすれば納得するはず。だから俺は妹へ頷く。


「わかった。もういいか?」

「もういいんだけど、よくない。ちょっと待ってて! 起きてて!」


 なにか閃いたのか、妹が慌てて部屋から出て行った。


 まぁ、寝る気もしないし、笹森さんにメッセしとくか。


 明日の放課後話そうと送れば、すぐに『わかった』と返事がきた。


 普通のクラスメイトにも、戻れないのかもな。


 文字だけでもぎこちないやり取りに、恋愛は終わった時が怖いんだと知る。


 でも、フラれても、ずっと好きだ。


 きっと笹森さんの性格上、他の人を好きになったら元好きな人には頼らないだろうし、距離を置く気がする。

 それでも、そんな簡単に消える気持ちじゃない。


 だからって笹森さんが失恋した時にそこにつけ込むのも、なんか、かっこ悪いしな。


 笹森さんにはたくさんの友達がいる。俺がいなくても、大丈夫。だから、笹森さんのどんな言葉も受け入れて、送り出そう。

 いつかまた振り向いてもらえる日まで、俺はよそ見せず、笹森さんだけを見つめ続ける。


 俺は今まで通り、接していこう。


 ようやく自分の気持ちにケリをつければ、少しだけ胸の痛みが和らぐ。

 そのタイミングで、妹がドアを開けた。


「おっまたせー! はい、これ飲んでから寝てね!」

「これ……」

「はちみつ入れてあるから! じゃ、おやすみー!」

「……ありがとな。おやすみ」


 ホットミルクとか、持ってくんなよ。


 にししとでも笑うような顔で、妹は手を振りながら静かにドアを閉める。

 残された俺は妹の温かな気持ちに、目の前がぼやけた。


 ***


 あっという間に放課後になって、今日に限って、教室から人がいなくなるのも早く感じた。

 笹森さんの友達も今日は隠れていたりしないらしい。大切な話だからって、笹森さんが説得したようだ。

 だから本当に、2人っきり。


「あのさ、話したい事、もう少しだけ待ってくれる?」

「うん。私もね、そう言おうと思ってたの」


 笹森さんの席の前を借りて、窓の方だけを見て話す。

 この沈黙もあと少し。きっと妹が騒がしく登場するはず。

 そのあとで、ただのクラスメイトに戻るんだな。


 沈黙なんて気まずいだけだと思ってたけど、今だけはずっと続いてほしいとか、だめだな、俺。


 気持ちがまた沈みはじめた時、教室のドアが開く音がした。


「おにい、お待たせ!」

「えっ!」


 妹の声に、なぜか笹森さんの方が先に反応する。

 そして、すごい勢いで振り返った。

 だから俺もつられてうしろを見る。


「姉さん、どうしたの?」

「はっ!?」


 俺も思わず大きな声を出せば、2人は不思議そうな顔のまま教室へ入ってきた。

 でも、それはすぐ笑顔に変わる。


「初めまして、爽やかくんです」

「初めまして、子猫ちゃんです!」


 爽やかくんが自らを爽やかくんと名乗り、妹はまさかの言葉を吐き出す。


 子猫、ちゃん?


 ちらりと笹森さんに視線を送れば、彼女もこっちを窺うように見る。


 あれだよな、これ、俺らが付けたあだ名、なんだよな?


 きっとそれしかないと思い、気を取り直して立ち上がる。


「初めまして。兄です」

「あっ! 初めまして! 姉です!」


 笹森さんも急いで立ち上がり、頭まで下げる。こういうところ、本当に丁寧だと思う。


 ってか、弟って、俺……。


 ほっとしたが、自分の間抜けさに腹が立つ。

 でも、笹森さんとはあまり似ていないから、気付くのが遅くなったのはしかたない。


 あれ?

 じゃあ笹森さんの話って、なんだ?


 そう思えば、俺の両手が爽やかくんに包み込まれた。若干、頬も染まってる。


「お義兄さん! ずっと、直接言いたかったんです!」

「な、なにをかな?」


 ちっか!

 え、なんで? なんでそんな顔近付けてくるんだ!?


 やはりお兄さんの言葉に重みを感じれば、ぐいっと引き寄せられた。目の前には、輝くような笑顔の爽やかくんしか見えない。

 

「バレンタインのチョコレート、ありがとうございました!」

「え? あ、こっちこそ、ありがとう」

「あんなすごいチョコ初めてで。もったいなくて食べたくなかったんですよ。でも食べたら美味しすぎて、とても感動しました」


 必死に感想を伝えてくれる爽やかくんの言葉に、俺の心が満たされる。


 こんなに喜んで食べてくれてたとは。

 食べてくれたのが爽やかくんでよかった。

 頑張った甲斐があった!!

 ………………あ。


 しかし同時に、奈落の底へ落とされた。


 嘘だろ?

 俺のチョコのせいで、付き合えないの?


 ぎこちなく笹森さんを見れば、潤んだ瞳の彼女が目に入る。


「子猫ちゃんが、妹さん。よ、よかった……。勘違い、してた。でも、でも、あのチョコを、谷川くんが作ったの?」


 あ、そういう事か。

 俺達、考えた事が一緒だったのかも。


 泣くのを堪えているような笹森さんの様子から、俺はそう勝手に解釈した。


「俺も、爽やかくんを勘違いした。同じだったんだな、俺達。あとあのチョコはもう気にしないで! そんなすごいもんじゃ――」


 あーもう、抱きしめたい!


 ほっとしすぎて、笹森さんへの気持ちが爆発しそうになる。だから、気付くのが遅れた。

 笹森さんが泣く理由は他にある事を。


「わ、私、谷川くんのチョコを超えなきゃ、いけないんだね」

「え?」

「負けないんだから!!」


 えっ!?

 勝ち負けとか関係ないし!

 むしろ、俺の負けでいい!!


 笹森さんの言葉に驚きすぎて、涙を拭って走り出した彼女を追いかける事ができなかった。


「あ! ごめん、行くね。あんな風になると、姉さん止まらないから」

「うん、わかった! じゃあまた明日ねー!」


 笹森さんのカバンを掴み、爽やかくんが走り出す。それを、驚きもせず見送る妹はいったいなんなんだ? 改めて、実の妹がよくわからなくなった。

 すると、ドアのところで爽やかくんが立ち止まり、こちらを振り返った。


「お義兄さん、またゆっくりお話ししましょう! 僕はお義兄さんの事をもっと知りたいんです!」


 そう言って、爽やかくんは頬を赤くしながら走り去った。


「なんで?」

「なんかね、尊敬してるんだって、おにいの事」

「え……。チョコがすごくて?」

「チョコもだけど、あたしの兄でいてくれてありがとうって言ってた」

「は?」


 解決したけど解決していない。

 そんな胸のモヤモヤを抱える俺の呟きを拾った妹の言葉が、よくわからない。

 でも、これから俺は妹だけじゃなく、爽やかくんにも振り回される高校生活になるんじゃないかと、そんな予感がした。

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