失恋

 新入生が入学して少し経った頃、事件は起きた。


 あ、笹森さんだ。


 帰り道。大好きな人の姿を前方に見付け、思わずニヤけそうになる。

 この通学路の両脇には、桜の木がトンネルを作るように並んでいる。だから、見上げながら歩く人も多い。

 その中の1人に笹森さんも含まれていたが、友達と桜を見ながら盛大にこけた。


 あれはやばい――。


 思わず走り寄ろうとした俺の横を、誰かが颯爽と駆け抜けていく。


「おっ、足はやっ! 谷川、出遅れたな」

「うるせー」


 稲田がニヤリとした顔をしたが、俺も同感だった。


 それでも、行くか。


 見知らぬ男子に先を越されたが、笹森さんは心配だ。だから走り出そうとすれば、彼女を助け起こしたのは爽やかくんだった。


 うわ。直接見るとさらにかっこいいな。


 背は同じくらいなのに、向こうの方が先輩みたいな落ち着きを感じる。それになんか、勝手に輝いてる気がする。


 完全に王子様だな、あれは。


 笹森さんの友達がみんな同じ顔をして、爽やかくんをじーっと見てる。どの女子も、さくらんぼみたいに真っ赤だ。ん? 杉崎さんだけは違うな。

 それにしても、一瞬でほとんどの女子の心を奪うとは、やるな。


 妹の彼氏になる男か。


 笹森さんの無事を確認するついでに挨拶でもしようと歩き出せば、思わぬ光景に足が止まる。


 え……。まさか。


 助け起こされたまではいい。

 だけど、怪我の確認に違和感がある。至るところを触られているのに、笹森さんは嫌がるどころか足を差し出すように見せている。

 そんな笹森さんの顔は真っ赤ながらも、見た事のないはにかみ笑顔を浮かべていた。


「なぁなぁ。あれ、やばくない?」

「……なにが?」

「いやだってさ、普通、あんな触らせる? それにほら、笹森さんの顔――」

「人がいる場所で転んだから、恥ずかしいだけだろ」


 稲田に言われなくたってわかる。

 笹森さんは爽やかくんに恋をしたんだ。

 でも、認めたくない。


 その真実を笹森さんから知らされるのが怖くて、足がすくむ。

 その間に、爽やかくんが笹森さんのスカートの汚れを払う。その手を、今度は笹森さんが優しく微笑みながら払う。

 少し走れば手が届く。だけど、まるで俺がいる場所は別世界な気がして、踏み込んじゃいけない気がした。


「谷川……」

「……ん?」

「なにがあっても、俺がいるからな」

「なに言ってんだよ。でも、ありがとな」


 稲田がはっきりと言葉にしないでくれてよかった。本当に、良い奴。


 季節は春なのに、俺の春は先に終わったな。

 いや、待てよ。笹森さんもじゃないか?


 ついこの状況から、2人で幸せになってほしいとか思ってしまった。

 しかし、爽やかくんには妹がいる。


 まずいぞ。どうする?


 真実を告げなければ、笹森さんが傷付く。遅ければ遅いほど、深い傷になる。

 そこまで考えて、ようやく俺の足が動く。

 なのに、爽やかくんと目がった。


 えっ。

 なんだ、今の。


 驚いた顔をした爽やかくんが頬を染め、軽く頭を下げた。そして小さく手を振れば、笹森さんになにかを言って走り去った。その姿に、笹森さんの友達がキャーキャー言ってる。


「あれ? 知り合いなの?」

「知り合いっつーか、妹の彼氏予定」

「彼氏予定?」

「妹も俺と一緒。バレンタインまで告白禁止」

「なんなの、そのおもしろ情報!」


 手を振るなんて知り合いですって言ってるようなもんだし、稲田が驚くのも無理はない。俺もびっくりしたし。妹が勝手に俺の写真を見せたんだろう。

 だからこそ、やっぱり爽やかくんは悪い奴じゃない。

 で、稲田もこんな笑ってるけど、口が堅い。だから話せる。

 そんな稲田も気付いたらしい。顔が一瞬で変わった。


「修羅場じゃん……」

「だよな……」


 でも、言わなきゃな。


 そう決めて1歩踏み出そうとすれば、2、3歩踏み出させるような衝撃をうしろから食らわせられた。


「いっ!!」

「おにい!」


 全体重をかけてきたような妹が、そのまま俺にぶつかってくる。痛みに耐えながら妹を引き剥がせば、嬉しそうに話し出した。


「今からね、爽やかくんと駅で待ち合わせして帰るんだ! デートっぽいでしょ!」


 浮かれすぎて、俺の状況わかってねーな!


 花でも咲かせたみたいな笑顔の妹を、いろんな意味で恨めしく思う。

 しかしここは、兄らしく接する努力を心がける。


「お前、それより他に言う事あるだろ……」

「ん? えーっと……。あっ! 初めまして! 兄がいつもお世話になってます!」

「あ、どうも」

「ちげーよ!! 今の痛すぎんだよ!」

「えっ! こんなか弱い乙女のパンチ、痛いわけないっしょ!」

「か弱い乙女はパンチなんてしねーよ!!」


 誰とでもすぐ打ち解ける稲田ですら、ちょっと引いてるぞ!? 

 気付け、ここは家じゃない。外だ!


 睨んだところで妹は察する気配もなく、走り出した。


「あれだよ、それ、軟弱ってやつ! じゃあねー!」

「なんっ!?」

「軟弱!!」


 あいつ!

 覚えておけよ!!


 俺が言いかけた言葉を、稲田が爆笑しながら完成させる。俺のまだ痛む背中を叩きながらな。


「なにあれ。谷川と全然性格違うじゃん」

「兄妹だからって、性格まで似てたまるか」


 まだ笑ってる稲田を視界から追い出すように、顔を背ける。すると、笹森さんと目が合った。


 まだ、いたんだ。


 てっきりもういないと思っていた。でも、笹森さんは思い詰めたような顔をして立ち止まっている。


 話すか。


 爽やかくんには彼女がいると伝える為、近付く。

 でもたどり着く前に、笹森さんが悲しげに手を振って歩き出してしまった。その横にいた杉崎さんには、睨まれたような気がした。


「あ、行っちゃったな」


 いつの間にか普通に戻った稲田が、俺の横に並ぶ。


「早く教えた方がいいんだけどな」

「いや。今は周りに女子もいるし、あとでメッセとかすれば?」

「……そうだな」


 きっとその話をする俺の顔はひどいだろうから、稲田の提案は有り難かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る