最終話

 老田は積極的な治療を受けない事を選択した。藤吾も琥珀もそれに同意した。三人はいつも通りの生活を送り、変わらぬ日常を何より大切にした。

 老田の病状は悪くなっていく、それでも老田は悲観しなかった。家族で出かける時間を持ち、旅行することもあった。その中でも老田のお気に入りは、あの秘密の場所に三人でピクニックに出かける事だった。琥珀が気合を入れて作ったお弁当を食べ、藤吾にキャッチボールを教えた。相田が持ってきたげんこつ程の大きさのおにぎりを口一杯に頬張った。幸せな時間を家族や友人と過ごす事が、老田が選択した事だった。

 程なくして、老田はこの世から旅立っていった。穏やかな笑顔を浮かべて、満足そうな顔をしていた。

 葬式の喪主は藤吾が務めた。沢山の参列者に、老田の人徳を感じさせられた。その中に特別な人がいた。老田が実家に帰るために協力してくれた刑事の親族だった。老田はもらった連絡先で文通を重ねていて、刑事が亡くなった後も交流があった。老田の部屋を整理していた琥珀が、大切にしまわれていた手紙を見つけて、藤吾が連絡を取って実現した。刑事は亡くなる直前まで老田との文通をとても大切にしていて、それを引き継いだ息子も、老田に様々な相談事でお世話になったと教えてくれた。藤吾と琥珀は一緒にお礼をして、いつか刑事の墓参りをする事を約束した。

 葬式が終わって、相田が二人当ての手紙を渡してくれた。

「志郎は一緒に読むようにって言ってたぜ」

 相田がそう言うので、手紙は二人で開けることにした。相田宛の手紙は藤吾達が預かっていたので、交換する形で渡し合うことになった。相田はその場ですぐに開いて手紙を読んだ。

「かっちゃんもう読むんですか?」

「俺はせっかちだからな、それに大した事も書いてないさ」

『勝雄へ、お前と友達でいれた事は俺の誇りだ。先に逝くが、くれぐれも二人を頼む』

 短くも力強く書かれた手紙と、若き日の二人が写っている写真が同封されていた。

「志郎らしいな、短く短くまとめやがって、こんなに」

 言葉の途中で相田は涙を抑えきれず慟哭した。藤吾も琥珀もその姿を見て、また涙が込み上げてきたが、ぐっとこらえて相田に寄り添った。


 藤吾と琥珀は一緒に手紙を開いた。

『藤吾、琥珀、愛する我が子達へ

 琥珀と出会ったあの日、不思議なことに俺はやらなきゃいけない事が分かった。お前と一緒に居てやる事、お前の家族になる事。そして小さな小さなお前の姿を見て、お前のお父さんになってやれたらと思った。琥珀、俺はお前の父として相応しかったかな?もしそうでなくとも、俺は琥珀と過ごした日々に満足している。琥珀がくれた日々、笑顔溢れる毎日、些細な喧嘩、どれも大切な宝物だ。俺の毎日は琥珀によって彩られ、輝いていた。本当にありがとう。


 藤吾、出会った日、お前は弱弱しく縮こまって痛々しかった。言葉も上手く出なくて、悲しい悲しい目で俺の事を見ていた。情けないことに、俺はお前にしてやれる事が思いつかなかった。家に置いてどうすればいい?今にも消えてしまいそうなお前を、どうやって繋ぎ止めてやればいいか分からなかった。

 でも、心配はいらなかった。お前には琥珀が居た。お前たち二人は共に過ごしていくうちに、強くたくましくなっていった。お前たちが二人で歩んだ思い出の旅路は、癒しと成長を与えてくれていたんだな。最後は俺にも足並みを揃えさせてくれてありがとう。

 藤吾、俺の自慢の息子。旅路には苦難が多く、何度も躓いて傷つく、それでも前に進め。隣に居る人の手を握って、たまには一緒に歌って踊って、泣いて笑って進んでいけ。お前ならできる。


 二人と別れる事、苦しくて胸が張り裂けそうだ。悲しくて頭がぐちゃぐちゃになる。それでも俺は今とても満ち足りた気持ちでいる。こんなに立派な家族が居るんだ。誇らしくて仕方がない。

 何もかもを腐して生きてきたあの日の俺に、こんな素敵な未来が待っていると教えてあげたい、生きてきてよかったと心から思える日々が訪れると伝えてあげたい、ありがとう二人共、俺に家族をくれて。ありがとう二人共、俺に輝かしい日々をくれて。

 二人共幸せに生きろ。

 老田志郎より愛を込めて。』

 藤吾は自然と琥珀の肩を抱いていた。琥珀もいつの間にか藤吾に体を預けていた。二人の目から涙は絶えず溢れ続けても、二人の心には老田から貰った優しくて消えない、確かな温もりがあった。


「じゃあ藤吾さん、行ってきます」

「行ってらっしゃい、気を付けてね」

 季節は巡り、琥珀は大学へ進学していた。先が見つからないなら学べばいいと、進路を決めてからはトントン拍子に事を進めて、難関大学をあっという間にパスした。

 勉学だけでなく、サークル活動にも積極的に参加して、演劇を続けている。今では役者だけでなく、脚本演出役者とマルチに活躍して、才能を遺憾なく発揮している。人々の中心に居る事も多くなり、大学でも屈指の人気者になった。

 それでも、男が寄り付く事はない。琥珀の左手の薬指には美しく輝く結婚指輪がはめられている。琥珀は藤吾と結婚した。

 結婚を迫ったのは琥珀の方からだった。そして藤吾の背中を押したのは相田だった。藤吾は自信を持てずにいた。恋人同士だとしても、琥珀の未来を決めていいものかと怖気づいていたのだ。相田はそんな藤吾の背中を叩いて言った。

「藤吾ちゃん、志郎に言われたんだろ?琥珀ちゃんと生きろってな。素直に考えろよ、隣に琥珀ちゃんが居て欲しいか?どうだ」

 相田のこの問いに、藤吾は自信を持って答えられる。勢いのまま琥珀にプロポーズした。

「琥珀さん、僕とずっと一緒に居てください。僕はあなたと生きたい」

「当たり前でしょ、あの時から藤吾さんの隣はずっと私のものだよ」

 二人が手を取り合う姿を見て、相田は懐から写真を取り出して、一人静かに泣いた。

 藤吾はパートタイムの仕事を、少しずつ始めた。琥珀が毎朝作る愛妻弁当を持って仕事に行く、藤吾もまた、やりたい事を見つける途中なのだ。

 そして畑仕事も欠かさない、相田と協力しながら畑を広げたり、栽培する野菜の種類を増やしたり、老田が遺してくれた畑を大切にしている。老田の父から息子へ、そしてその息子の藤吾へ引き継がれた畑は藤吾の宝物だった。

 畑仕事をしていると、相変わらず散歩している中田とよく出会う、中田は百歳を超えてなお頑強に生きている。挨拶を交わして雑談をして、中田は相変わらず私もそろそろだと言っている。藤吾はそれを聞くのが好きだった。まだまだこれからだと思わせてくれる力を密かに貰えているように感じるからだ。


 ある日、藤吾と琥珀はあの秘密の場所へ出かけた。

 二人で手を繋いで座る。琥珀が楽しそうに日々の出来事を話して、藤吾はそれを嬉しそうに聞いた。そのうちには二人で何がしたいとか、どこへ行きたいとか、未来の話をし始める。

 藤吾はふと空を見上げた。青空はこの場所に辿り着いたあの日からまるで変わらない。ただ違うのは、思い出を巡り、琥珀と老田と歩いた旅路を経て、今この澄んだ青空はここで生きる勇気をくれた。

 人生は続いていく、手を繋ぐ人と共に、心には大切な人がくれた優しさを持ち、二人はまた遥かに続く旅路を歩み始めた。


 了

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清澄の旅路 ま行 @momoch55

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