第4話 真面目でしっかり者の東山くん

 清水先生は若干申し訳なさそうな表情で俺に向かって学級委員にならないかと頼んできた。さすが星座占い最下位、とことんついていない。ここまで不運だとこれから占いを信じざるを得なくなる。いや、そんなことはどうでもいい。周りを見渡すと一人の生徒を除いて、クラスメイト全員、東山頼む! と言わんばかりの表情でこちらを見ている。隣の清治も両手を合わせてこちらに頭を下げている。小学校の頃に国語の授業で読んだ小説の一節のように『そうか、そうか、つまり君たちはそんなやつなんだな』と、俺は言えない。


 今まで俺は他人に抵抗をしないことで自分を安全地帯に留めてきた。先生に荷物を職員室まで運んでくれと言われたりしても、放課後の掃除の当番を変わってくれと頼まれたとしても、何か言われたら余程な頼みでなければ引き受ける。そうすることで、うわべでは『優しい』東山くんを演じられる。優しければ誰かに迷惑をかけることもないし、誰かに恨まれることもない。とりあえず、先生に推薦理由を確認してみることにした。


「嫌とはいいませんが、なぜ俺なんでしょうか。自分はあまりクラスの前に立つようなタイプではないと思うのですが」

「まず、君は真面目でしっかりしているよね。学級委員の仕事もちゃんとこなしてくれそうだと思ったよ。あと、去年担任してたから頼みやすい!」

「なるほど」


 前半の意見は正直うれしい。1年生の時、先生の頼みは断ったこともなかったしクラス内でもなるべく良い生徒とみられるように過ごしてきたが、清水先生が俺のことをそんな風に思ってくれていたとは。だが、それよりもおそらく後半の頼みやすいというのが推薦理由の8割を占めていそうだな。もちろん学級委員なんかやりたくない。だが、このまま俺が断ってしまうと話し合いの埒が明かず、先生も手詰まりになってしまいお通夜状態になることは避けられない。仕方ない。ここで自分の意志を貫く勇気は、俺にはない。


「……わかりました。他の皆さんは俺が学級委員でいいんですか?」


 クラス全体に最後の確認をすると、清治が口火を切るように拍手をし始めクラス全体に広がっていった。中には俺のことを称えんとばかりに指笛を鳴らす男子も。お前、絶対感謝するつもりないだろ。面倒ごとは他人に押し付けようとしたのがまさか自分に押し付けられることになるとは。クラスメイトは俺が学級委員でいいらしい。だが、最重要の問題が残っている。俺は教室最前列に座っている例の人に問いかける。


「錦織さんは、俺でいいんですか」

「ええ、別に誰でも構わないわ」


 いいんですね!? もう少しで声に出そうだった。今朝あれだけのことがあったのに同じ委員になるのはいいんですか、そうですか。本当に錦織千草は何を考えているのかわからない。


「と、とにかくこれで学級委員は決定ですね! 東山くん、ありがとう。よろしくね!」


 先生が話し合いをまとめ、黒板に書かれた学級委員の文字の隣に錦織千草と東山大輝の名前を書き並べるとやっと次の委員決めに進んでいく。これはとんでもないことになった。思わず自分の席に両肘をつき頭を抱えるが、俺のことは誰も気にかけることなく、今まで膠着状態だったのが嘘のように他の委員はスムーズに決まっていく。その様子を呆然と後ろの席から眺めることしかできなかった。


 一通り委員会が決まり、残りのLHRの時間で清水先生から業務連絡や様々なプリントが配られる。2年1組の時間割や1年生の時に選んだ選択科目についての説明、新年度の挨拶が書かれた学級通信を見たり聞いたりすると新年度ということをより実感する。


「はい、本日実施予定だったことはすべて終わりました。新2年生の皆さんは、1年間夏島高校に通って、ある程度高校生活に慣れてきたころだと思います。しかし、慣れというものは非常に怖いもので、いくらでも人間をダメにすることができます。皆さんはこれから徐々に高校を卒業した後の将来について考えるステージに来たということを忘れないでください。3年生になってからでいいだろうと思っていると、1年後の自分を崖っぷちに追い込むことになるでしょう。この1年間を有意義に過ごせるようにしましょうね!」


 さすが清水先生。俺に学級委員を頼んでいなければ拍手をしていたかもしれない。それでも、明らかに他の生徒の緩んでいた表情は引き締まった。ちょうどそこでLHRの終了を知らせるチャイムが鳴った。今日は新年度初日のため午前中のLHRのみ、午後の授業はない。全体で帰りの挨拶をすると、部活がある生徒は同じ部活の人と部室棟や活動をしている教室に移動していく。校内が一気に賑やかになる。


「大輝ー、この後どうするよー」

「今日はまっすぐ帰るかな、なんかすんごい疲れた。それか、俺に学級委員を押し付け、自分は希望通り実行委員になった人に飯でもおごってもらおうかな」

「ゲ」

「俺が全体に意思を確認した時、真っ先に拍手したの忘れていないからな?まあそれのおかげで気まずい雰囲気になることは避けられたが」

「そ、そう! お前のことを思っての拍手なんだよあれは! 許してくれ!」

「高校生に人気の高級イタリアンのお店にでも連れて行ってもらおうかな?」

「それソイゼリアだろ。別にそこならいいか……。今日は特別だぞ」

「よし、じゃあ行くか」


 放課後の予定が決まり、清治と共に教室後方の扉を開けようとしたところだった。


「あ、学級委員さんは早速仕事があるので残ってくださーい!」


 先生からお声がかかった。え、新年度初日から仕事あるんですか? そんなの聞いてないんですけど。採用初日、研修もなしにいきなり勤務ですかどこのブラック企業ですか? さすがにいくら良い生徒を演じてきたとしても、初日から居残りで仕事はしたくない。しかも、もう一人の学級委員さんとは今朝トラブったばかり。すみませんが、今日だけは許してくれ清水先生……!


「よし、じゃあ行くか清治……ウ゛ッ」


 聞かなかったふりをして教室を出ようとしたところ、清水先生が背後から学ランの襟をつかんできた。暴れた猫は首根っこをつかむといいと聞くが、それは猫が首をつかまれると安心してリラックスするからだそうだ。なんとなく、猫の気持ちがわかった気がする。いやいや、いつから猫になったんだ俺は。早く先生の拘束から脱しなければ。


「先生。俺、これから清治と高級イタリアンを食べる約束が」

「そんなファミレス、いつでも行けるでしょー?」


 食い気味にアイドル張りの眩しい笑顔で俺を問い詰める。


「その笑顔、逆に怖いんですが」

「んー? 何か言ったかな?」

「いいえ、何も言っておりません」

「よし、ということで久我くん、ごめんねー。東山くんとの約束はまた別の機会で!」

「は、はぁ。じゃあな、大輝」


 清水先生がまさかこんな横暴だとは思っていなかったのだろう、驚きを隠せずにいる清治が一言俺に声をかけてから教室を出ていく。清水先生は清治が出ていったのを確認してから俺を教室前方の教卓の方へ引きずっていく。この人、基本はいい先生なんだが、たまにこういうパワープレイをしてくる。それでも許してしまうのは先生が美人だからか、それとも首根っこをつかまれ引きずられるのに快感を覚えてしまったからか。いや、前者に違いない。引きずられた俺は先生によって無理やり、錦織千草の隣の席に座らされた。先生のパワープレイを見ても、彼女が表情を変えることがなかった。


「東山くん、重いなー。部活やってないにしては結構ガシッとしてるよね、さすが男子高校生」

「あの、様々なハラスメントが蔓延っているこのご時世にこんな物理的なパワハラはよろしくないのでは」

「大丈夫、何かあっても泣けばお偉いさんたちは許してくれるから」


 やはり大人の女性は恐ろしい。これ以上言っても無理だなこれは。さっさと用事を終わらせて帰ろう。


「早く本題に入ってください。新年度早々、学級委員がやることなんてないでしょう」

「いいえ、あります! 学級委員になった二人にはこれから学級日誌を書いてもらいます!」


 先生は両手で少し高級そうな革表紙に金色の刺繍で『学級日誌』と書かれたノートを俺たちに見せる。俺はそれを手に取り、ノートを開く。上部にその日の日付、中央には時間割と各授業内容を記入する欄。そして下半分が自由記入欄となっている。このセットが見開きで2日分。あくまで一般的な学級日誌だ。


「去年は学級委員にそのような仕事はなかったのですが」


 やっと錦織千草が口を開いた。去年学級委員だったからか、疑問に思ったのだろう。


「そうだよ、うちのクラスだけ学級委員さんに頼もうって思ってるんだ」

「なぜでしょうか、例年通り日直が記入すればいいのではないでしょうか」


 確かに俺も去年日直になった時に面倒だったが書いた記憶がある。その時は自由記述欄で清水先生と生徒の間で絵しりとりが繰り広げられていたため、俺もその流れに乗らざるを得なかった。美術の成績をオールBの『3』しかとったことがない俺が描いた絵は、先生に理解されることはなく絵しりとりを止めてしまった。そのときのクラスメイトからの非難はまあすごかった。なんとか笑ってやり過ごした嫌な記憶を思い出してしまった。


「そうだったんだけど、日直だと書かない人もいてさー。あまりにも無記入が多くて一回教頭先生に注意されちゃったんだよね。だったら、信頼できる学級委員さんに書いてもらった方がいいよねって思ったわけ。だから、錦織さんと東山くんにはこれから毎日放課後学級日誌を記入して職員室に持ってきてもらいたいの」


 は? 嘘だろ。毎日? じゃあ、俺は錦織千草と毎日、放課後二人きりになるということか――!?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る